虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

師を仰ぐ

2017年07月24日 | 語りつぎ・・・六次元講義
天国の先生も、研究所もお許し下さると思い、今月の会報から無断で省略掲載。


 土田先生(土田先生の詳細は省略)の奥様の医者にも見放された癌のこと。
 
 高山市の高校に勤務していた頃、神通力を持つと喧伝して、立派なお寺を建てている僧が、高山市に遊びにおいでになったことがあります。土田先生にこのことを告げると、「私の妻を助けてほしい、頼んでくれ」と申されるので、この高僧を伴って土田邸に行きました。奥様は全身が腫れあがり、食欲なく苦しんでおられました。
高僧は般若心経を激しい口調で読誦し呪文を唱え結印し大喝されました。しかし、なんの効験もないので、高僧にその後の報告もしないままに打ち過ぎました。

半月を経て、槌田先生が拙宅を訪れて平伏して、「妻が山本先生に頼んでくれ、先生は素晴らしい力を持っておいでると、ある見舞い人から聞いたという。君がそんな力を持つとは夢にも知らなんだ」とたのむのです。
土田先生との話題は今まで国文学か飛騨の古代史に限っていたので知らぬのも当然でした。

私としては、昭和十年頃、乗鞍の麓の寺田氏の同病を念じて全快したことがありましたが、とても疲れて三日ほど何も出来ないほどであり、それほど疲れるまで念じても、必ず治るという自信がなかったので、進んで治療しましょうと申し出ることは控えていたのでした。
土田氏から頼まれた以上、自信はなくとも「やるだけのことはやらねばならぬ」と決心して土田邸を訪れました。半月前に見た時より衰えは甚だしく、胸腹部の晴れも甚だしく、息も虫の息のようで、臨終も間際かと思われました。
私に「なにがなんでも助けねばならぬ」の激情がわき起こってきました。

私は深い精神統一に入って、六次元の空(言葉は略)を繰り返し繰り返し、心の中で激しく念じました。
時計は計っていなかったが数十分くらいで、私の体力は尽きてしまいました。
ところがその後しばらくしてどんどん小便が排出されて、一夜のうちに胸も腹もピシャッとひっこんでしまって、とても楽になったのです。

翌日訪問した時、土田氏は「奇跡を見た!」と狂喜しておられました。今度は落ち着いて透視に入ることが出来ました。すると奥様の胃の幽門の辺りに林檎のような黒いものが二つあって、腸に通ずる管が塞がっているのでした。私はその黒い瘤を右の掌にのせて「癌消滅せよ」と、数分間念じました。
掌から針のようなものが放射され、異様な痛みに似たものを感じること数十分続きました。すると奥様は食欲を感じ、コップに十分の八程度の牛乳を飲まれました。以後、牛乳その他のものを食べることが出来ました。
毎日、学校帰りに精神統一を続けることが二週間続きました。
奥様は「これで救われる。治る、治る」と喜んでおられたのでした。

その頃、学校の用事で三日間、出張を命ぜられて、精神統一が出来なかったのでした。その三日目に「山本先生に治していただける、有難い有難い」と唱えながら逝かれたとのことでした。「死の恐怖を感ずることなく感謝して喜びながら逝ったのが何よりのことでした」と、土田先生が涙ながらに申されました。
  
                 
                                        

その後、あの高僧の寺を訪れましたところ、その寺の熱心な信者である婆ちゃんが、高山の高校の先生の奥様が、聖師様のお祈りで癌が治り、翌朝は赤飯を食べたということ、誠に大したことですね」と語りかけてきました。私はなんともいいようがありませんでした。

佛に仕える身で、喧伝のために嘘までいうようでは病を治す真心が発露するはずはない。

いかに尊い般若心経といえど、深く心で味わうことなく、語呂を唱えるだけなら蓄音機も一緒。

心の中で、その唱える意味を深く味わい、愛の一念をこめて念誦してこそ神通力も発動する。

漢文を棒読みしたり、インド語を棒読みし、何の意味かもわかない呪文のように唱えても、目的を意識することがなければ、目的はぼやけてしまいます。インド人はインド語で、中国人は漢文で唱えました。

日本人は日本語で、目的をはっきり心の中に描いて精神統一すべきです。


学問が進み、心理学も哲学も科学も進んだ今では、インド語は何ら神秘的な言葉ではなく、印を結んだところで、指の格好の中に神通力が秘められているのではないことは小学生でもわかります。

弘法大師が今日世に出られたら、「語呂合わせや指の組み方は方便じゃ。今は真心さえあれば良いのじゃ。


私は無相の三蜜を説いたのじゃ。

無相の三蜜とは只管に真心を捧げて三摩地に入ることである」と申されるはずです。

形式を抜けきって自然の姿に立ち帰り、真の悟りの精神統一の境地に入ることです。







無相の三蜜は尊い。勉強の甲斐あってかなくてか、しかし今ではもっと違うことも考えます。
また今では神通力はただただ努力すればいいというものではないとも思います。
自力、他力。ほかにも色々あります。

しかし、先生の姿は、この世に生を受けた者の基本姿勢だと思います。
それは一生変わらないでしょう。

今日初めて会った人にでも、身内の如き温かさです。大きな慈悲心です。熱い想いです。
一人しか聞き手がいなくても、大勢を前にしても同じように熱い想いです。
岩をも砕く志の強さです。
努力努力。先生は本当の努力の人でした。仰られていたように人の三倍は生きられたと思います。
今の私はもっと違うことも考えます。
それでも先生の生ききった姿は、私の一生のお手本です。



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