虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

小屋を壊して

2011年02月25日 | 約束の地



いったいに気象予測士だったっけ、ああいう職種の人員を増やしたのは、三十分、一時間毎の天気をより正確に言い当てる為だった。それも主にアメリカの穀物相場の為に。
笑ってしまう。陰謀もいいところ。

今は日本も三時間おきの予測を出すようになったが、まったく昔よりさらに当たらない酷い天気予報を出してしゃーしゃーとしている。
母の天気予報は抜群だった。昔の人は偉かった。農家の人はさらに偉かった!

今日は昨日より五度も十度も気温が低い、どころか眩しいくらいに太陽は燦々。
そして空は青く高かった!
私達はようやく雪で倒れかけた即席の小屋をつぶして、そこを焼くことが出来た。まったく見事なほど乾いた竹や木の枝はよく燃えて、今日は昼までには全部焼き終えた。


時間があまったので、今日は雪が溶けなかったほうの竹薮にも手をつけた。
雪っていうのは凄い。竹は皆倒れてるし、小さい杉の木も倒れかけていた。
一時間、二時間。はかどったような、はかどっていないような。
しかし積まれた竹を見るとだいぶ頑張ったことがわかる。




竹は実は風や雪の重みで複雑に倒れまくっているから根元から切るのは大変で全然はかどらないのだ。もぐって切るとこれが腕に怪我する。目に枯れ笹が入る。
でも一箇所だけ境界線まで行った。





私は何をしているのか。
時々思う。充実した時間を過ごしているのだからいいじゃないか、と自分に言う。
私が特にやらなければいけないことなんぞ決められているわけじゃない。
私にはエネルギーがある。長大エネルギー。まったく人が呆れるくらいの。
それがなぜかわからない人が呆れる。
私が呆れるのはその呆れる人達がものすごいエネルギーを出す時。
本人達はそれの意味がまったくわかっていないらしいが、今ではそのことの意味がこちらにはわかっているからいつも笑えるようになった。本当に面白い。


今日はめちゃっ子も畑近くだったからいつもより相当遊んだ。
何も生えなかった竹薮にも草が生えてきている。

しかし今日は久々頑張った。
竹は二千本以上は切ったと思うな~。

こんなことばかりやってるから手の甲は5ミリくらい美厚くなった気がする。
分厚く固くなって痛いんだ。この間指輪を久々はめてみたら入らない。べつにいいんだけどね、指が太くなってるわけだ。
昔のお祖母さんの手は大きかったが、きっとこういうことなんだ。
昔の人は死ぬまで頑張って生きたもの。





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背骨・中心・基礎

2011年02月24日 | Weblog
芯のないもん 寝たっきり。
背骨なければ 起きられぬ。
こんなものらに誰がした。

子供の頃に言われたよ。
考えよ。
君達はただ人生をエンジョイしたいのか?

昨日の便りに書いてあったよ。
あの先生の話には人生の話多かったですね。
人生の・・・話 多かったですね。

生き様は死に様で、人は生きた通りの年寄りになりますとさ。
なんにでも例外はありますが。


大真面目の話。
洗脳から抜け出せ。社会病理からの脱出。
深層心理はいかにして作られるか。
芯をつくろうと、あそこの話の時にもそう言ったんだった。
ア、マルチョンの神様の話だったんだけどね、ほんとは。



基礎になる考え方を持った少数の者がいる。
その基礎の考え方を持たないで同じような事をする多くの者がいる。


前者の国づくりは今も続いているが、
後者は気付く事なく亡国の徒と成り果てる。
















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研究所のこと

2011年02月24日 | 語りつぎ・・・六次元講義
時に忘れ、時に思い出す。
あそこは他とは何かが違い、とても自分に似合っていた。
「ここに集まる人は皆似てますね」と言った人の言葉を反芻する。
似てるんでしょう!
私はそれまでそういうことは何も考えたことはなく、少々の縁あって掛川の難病を治す寺に行った時にはじめてその違いを認識したのだった。

声明に酔いしれて、天からの光を眩しそうに語った人らのそばで、また阿吽社の編集者の横で、夕餉の席で、真言密教でもこれは違う・・・・・という思いを禁じえず、私は豪華なテーブルを前にほとんど何も食べずにホテルに引き上げたのだった。
しかし弘法様は私の上に舞い降りて来られた。


あなた方一人一人の中にその力があるのです

自分が治すのではない、あなたが、自分で治すのだと、そう先生はいつも言われたから、
私達はいつも自分で努力しなければならないのだと感じた。皆、ノートを持ってきた。ある者は先生に自分の読んだ本を見てもらい、その本の是非について話した。

あそこは研究所というよりは学校の雰囲気を持っていた。
それは先生が醸し出す雰囲気だった。あそこに来る者は、T教授でさえも生徒でいられることを喜んでいたと思うのだが、私もいつかは教える立場になりたいといったL達とは少し違う、大きく違う。





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純粋永遠

2011年02月24日 | 語りつぎ・・・六次元講義
肌理の粗いものは物質になりやすく 

肌理の細かいものは物質になりにくい。

純粋永遠。

永遠不変。


いつだったかの講義で先生はそう言われた。


永遠という言葉が好きな私。


純粋永遠。

永遠不変。






書きかけで放置していた手紙。
書こうともしなかった年賀状。
睡眠不足の頭でも、朝にはいいことがひらめいたりする。

思い出をたくさん思い出す時には理由がある。
重いものは心の一番深い所に沈殿す。
大切な時、理由もなく悲しかった時、
その心の奥底から溢れ出す無償のもの。



  見はるかす山都。

  夕の円座、朝の円座。

  ここは良いところなんです。


ようやく手紙が書ける。


  桜咲く四月

  あおによし 五月





 








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内なるエネルギー

2011年02月24日 | Weblog
ホームレスは可哀想?本当に可哀想なのも確かにいる。しかし大雑把といったって、その可哀想には自分の生きる姿勢がつきまとう。私は少々愛憐地区は知ってるし、義兄達はそこで無惨に死んだし、弟もそうなる道を選んだだろう。ホームレスにトイレを占領されたこともある。ばっか馬鹿しいぜい!人生極めるのにそれも道。幸せな者だって多い。重吾を読もう。

因があり結果がある。こういう話はMさんとしたい。同情は少しはいい。しかし少しでなければいけない。少しが嫌なら徹底的に同情しなければいけない。与え続ければいい。そうでなければ一個の人間だって救えない。
それは外なるエネルギーで補給しなければ切れる。
だから外なるエネルギーが内なるエネルギーに変化するまでしなければならない。
それが出来ないなら皆行き当たりばったりのことでいいわけで、出来るときは優しく、出来ない時は知らん顔で。ま、すべては自分本位の趣味の範疇を出ない。
厳しく言えば、だ。だからこういう話は自身に厳しさを問うMさんのような人としたい。誰がいいとか悪いとかではなく、己に厳しさ、他にも厳しさを問う者。
己に厳しく、他には優しくなんぞと習ったが、果たしてそうか?

機軸、中心点、求心力。民主主義ではない、独裁者でいい。
ただただ機軸、中心、求心力の話。
十人いれば十人の意見。会議は無用は信長以降は『逆命利君』。
そのつまらない会議に食事つきなんぞ最早論外。
中味が知れる。

内なる大エネルギータンクを作り出すなんぞ夢のまた夢。




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最初の日のような

2011年02月21日 | 約束の地


飛行機雲。
最初のあの日は空が真っ二つに割れた。
今日は青い青い空に陽光がまぶしかった。
気がつけば 反対にも飛行機雲。
見てる間にクロスした。



しかし見ているとあちらにもこちらにも、あっちこっち。
そのくらい今日は空が高いんだ。そのくらい天気がいいんだ。そう思った。
林のメチャっ子も自然体。のんびり。




今日はそのあと猪を追っかけてきたという犬二匹が現れあわや格闘になるところだったが。
しかしおっちゃん、そんなんで猪は追っ払えないし、あんな猫にも勝てないような犬では役に立たない。人間がいたせいもあるが。

猪はしかしそんなに悪者?
猪だって食べたいよね。おなかすいてりゃ食べたい。
食べて生きろ!それだっていつか死ぬ。
人間に追い詰められて死ぬこともある。
それまでは食べるさ。










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第三の眼の話

2011年02月17日 | 語りつぎ・・・六次元講義
第三の眼の所に穴が開いた。あそこは毎日指で押さえるといい。お直様は孫にそうしていた。
こちらはそういうこととは関係ないから実に困ったことだ。

第三の眼というと、真偽のほどはどうだったのか、ロブサンの『第三の眼』を思い出す。
実は嘘だったのだとしても、第三の眼が開けた時の眩いばかりの光景は本物だ。
先生、いつだったか第三の眼の上に瘤が出来て見てくれが悪いから、意識で手にそれを移動させたんだと言われたことがあったが、精神が統一されるごとに手の平が痛いのはそういうこともあるらしい。私が手の平が痛いのだと言うと、先生、『あんたはいいぞー』といわれた午後を思い出す。

いつだったか、夢を見た。
ある年の初夢だったような記憶があるが、夢日記を見ないと確かな日付はわからない。
皆には背中になのに、少し前にまわって、私にだけ額に念を入れてくださった日より後の日の夢だったか、それももうはっきりとは思い出せない。
いやがっているのに皆に押さえつけられて、そこに念を入れられた 今も時に思い出すあの夢。「その念を思い出して一心不乱にた頼みなさい」というあの夢。

私が夢であんなに抵抗するほど先生のその念を嫌がる理由は現実にないが、あるといえばある。私は免許の一つの持たないが、紛う事なき先生の後継者だ。それがわかる。
けれどどこをとっても先生の後継者ではない。

桂子氏でも園頭広頭氏でもなく、長尾先生は末端のその末端の弟子だったが、
信次師、ある日曰くの「遠くに輝く真の光」だった。
長尾先生の家は理想の家だった。


※あの額に念を入れられた夢はもう一度見た。
最初に夢を見た時目覚めてから、どうして私はあの念を夢の中であんなに拒んだのだろうかと自分ながら不思議だった。それを拒む理由はどこにもなかった。後継者になるのは半分は気がすすまないという以外は。

しかし実際は五年ぶりに現れた私に、その日、先生がどうして私にだけ額に念を入れられたのか、それがよくわからなかったから見た夢のようだ。





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八月のクリスマス

2011年02月16日 | Weblog
どうして『八月のクリスマス』なのか・・・全然分らなかった。
タイトルなんかどうでもいいか・・・きっといい映画だったんだ。
いいものに触れた夜はいつまでも眠れない。
なんとか撮影監督の霊前に捧ぐ とあり、 主人公は写真屋さんだったから、その撮影監督は若くして逝ってしまったのだろう、きっと。
僅か三十年の人生でも おいそれとは言葉にならない 秘めたるものはいっぱいある。


 愛も いつか 想い出になる


そんな日々、もう死ぬことがわかっているそんな日々に現れた女性。
少し想いを寄せてくれているかのように自分の前にたびたび現れる女性。
特にお茶に誘うわけでも、特に遊びに行くあけでもなく、ただ笑い、なにげなく笑う、
淡々とした日々。
もう締まりっぱなしになった写真館に幾度も足を運ぶ彼女。
彼女は自分が病気だとは知らない。ましてやもう死ぬ人間だとは。

病院にいる間に配置換えになっていた彼女をみつけ、窓越にそっとさわってみる。


 君だけは 想い出ではない

 ありがとう

 ありがとう


ああ、きっと人は誰かを愛しながら死にたいのだ。


自分の葬儀用の写真撮影が彼の最後の仕事となった。


誰のどんなに短い人生にも、そこには完結感があるように見えると吉本は書いていた。



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しばしの間だけ シム・ウナに凝って。
本日は『サランヘヨ あなたに逢いたくて』。
不良の格好 似合うね。魅力的だ。
しかしなんだろうな~、私の好きな女の子っていうのは 結構決まってるのかな~。
ついでに『美術館の隣の動物園』。
ついでのついでに『愛しているから』『白夜』
私はどういうものか、イ・ビョンホンが好きではない。どうもあまり顔を見たくない。
誰か違う役者だったら『美しい人』も見てみたいんだけれど。










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米のない山奥の生活

2011年02月11日 | 語りつぎ・・・六次元講義
祖父母や親の臨終には竹の筒に米を少し入れて詮をし、耳のそばに近づけて「これのおー米の音やぜ、こりやのー米の音や!」と叫び続ける風習が伝わっていたのです。

今はおそらくこんな米鳴らし伝統は消えていると思いますが、せめて米の音だけでも聞かせてやりたいという悲痛の叫びなのです。


私が教員になった頃は山の奥では稗や粟、蕎麦、野草の中の野稗などが主食で、米などは親の葬式の時に少し食べるだけでした。
児童の中の一人が食事の時間に泣いているので聞いてみると、隣の子が「マグソの中に米一粒入ってだで、安田の奴が、島あるわいと言ったら泣くんじゃ」と答えました。

あの頃は金持ちと言われる家の子は稗や粟の中に米を少し混ぜた弁当を持ってきたのです。それも稗や粟を炊くとき、茶碗に少し米を入れ伏せておくと、茶碗の中に米の飯があるので、そこを母が弁当に詰めてくれたのです。


マグソというのは蕎麦を石臼で挽き篩いにかけないで、殻も葉も一緒にして熱い湯でこねた真っ黒な餅のことです。これを学校に持ってくる子は極貧の子らしいのです。その子が米一粒だけ入っていて笑われて泣き出したのです。
弁当をみられるのを恐れて弁当に風呂敷をかぶせて、そこから少し出して、口をそこに近づけて、米の少しだけしか入っていないのを恥じながら、どの子もそんなふうに食べていました。今から考えれば、小学校三四年の複式の組を教えたのですが、あんなかわいい罪のない子供に、あんな悲しい思いをさせたのに何もしてやれなかった私のあの頃のふがいなさに深い悲しみに沈むのです。

あの子らと別れて十数年、私が水田の見回りをしながらラジオを聞いていたら、あのマヅソで笑われていた子が立派に成人したらしく、歌のコンクールに入賞して、ジャンジャンと鐘を鳴らしていました。名前を発表された時「よかった、よかった!」と、思わず泣き伏してしまいました。

                   
                 山本健造「明らかにされた神武以前」より





今ならマグソのおにぎりはとんでもないほどの健康食だと言われるのでしょうが、貧しさゆえにそういうものしか口にできなかった時代の話です。先生は小学校だけしか卒業されていませんでしたから、教員免許をとる為に児童と一緒に、児童以上に頑張って自分の勉強もされていた時代の話です。




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時代としての業

2011年02月11日 | 語りつぎ・・・六次元講義
菩薩は悟りの姿ではない。


曼荼羅図会の四隅の菩薩の意味を誤って後世に伝えたのは龍樹以降ということになるらしい。キリスト教だとて、イエスが心を許していたというマグダラのマリアとヨハネ以外は本当にはイエスの教えを伝えられなかったというから、それは易経が誤って今日伝えられていることと同じことで、伝えないのは伝えられるほどの人物がいなかったということだ。時代としての業という問題もある。つまりは時代のなせる業。人々は辛い生を好まない。佛教のこれからの問題として、時代としての業をかつて語ったのは吉本さんだったが、先生も弁証法に書かれている。


久々に夜も朝も先生を読む。

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