虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

まさに自然。

2010年04月26日 | 約束の地
畑に着いてみるとあちらこちらに水たまり。
よく見ると・・・氷が張って・・・もしやもしや。。。

やっぱり!
折角出てきたジャガイモの葉っぱ、やられてる!
今年は沢山植えたんだ。うちはジャガイモ好きだから。ポテトフライ、いもサラダ、コロッケ。。。あ!雁が鳴いて 「西の空」に 飛んでいかあ、な~。

なす、ししとう、みんなやられちゃった、な~。

ここは自然のなすがままだから対策はしない。肥料もやらない。致し方なし。
自然は凄い。沈黙するね。



あまりに暑いからもう火はご遠慮しててっぺんの竹切り。

だいぶ細長く刈りきることが出来て振り返ったら、これまた凄い。
自然はなんて素晴らしい芸術家なんだろう!
どんなふうに切ったって、枯れ枝をどんなふうに落としたって、
立ち枯れの木をどんなふうに倒したって、どうだろう、どんなふうにだって気高く見せる、この美しさ!
一方で野菜を枯らし、一方ですっくと立ってみせる。



わざと手を入れずにおいた場所を今日は少し刈ってみた。
案の定、わらびが隠れひそんでいた。少し立ち上がったものはやっぱり寒さにやられていたが、ここの蕨は極上品。何も手を入れず、何も加えず、直系一センチ以上もある。
スーパーで売られてる最高級品山形産をはるかにしのぐ。
しかも今から初秋まで収穫できるときている。

まったく自然というやつはたいしたもんだ。




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いつか、また

2010年04月23日 | Weblog
あの頃は、どんな夢の中にも必ずオレンジを輪切りにしたような光がどこからともなく現れて、その光が来ると私はいつも飛べるような気がして、そうして軽々と飛んだ。
いつからか、一体いつからかは忘れてしまったけれど、光はちっとも現れなくなった。
一体いつからかな~。

またそういうことの起きる人に、いつか出会うだろうか。




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石上神拝行事次第

2010年04月21日 | 私の古代史
住んでいればそのようには思わないが、見渡せばここは四方八方山だ。
あちらに遠く霞んで見えるのが私の好きな葛城山だろうか。
生駒がすぐそこに空に映えて、宝山寺の瘤まではっきりと確認できるのはなんといっても中菜畑あたり。あまり傍では鉄塔は見えない。遠景なら竜田川の岸辺あたりが児童達の写生の場所に選ばれそうだ。

ここは生駒も綺麗だが、それよりも矢田山、松尾山、あちらの山並みの方がはっきり見えるから、白庭台墳墓からの饒速日命巡りの前々日、飛行機の神社の神主さんと話したことなどたまに思い出す。
昨日、ひょんなことから『石上神宮神拝行事次第』、神社本庁主催で神道行法練成会があったとは聞いていたが、その折使われていたという石上鎮魂法を著した小冊子をいただいた。
こういうものはその折話したことに使われるように、その神主さんに差し上げたいと思ったりしたが、市役所勤めで境内の掃除もそこそこの神主さんだから、今はまだ私が持っていたほうが似合うかもしれない。



鳥船  
  一段 イーヱッ。ヱーイッ。
  二段 ヱーイ。ホ。
  三段 エッサ。ヱッサ。 
                  こういう雄健は知らなかった。




鎮魂

石上大神の大御名奉唱。
大祓詞斉唱。
十種祓詞斉唱。

高天原に神留坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 皇神等の鋳顕し給ふ 十種の瑞宝を饒 速日命に授給ひ 天津御祖神は言誨詔給はく 汝命この瑞宝を以ちて 豊葦原の中国に天降 坐して 御倉棚に鎮め置て 蒼生の病疾の事あらば 玆十種の瑞宝を以って 一二三四五六 七八九十と唱へつつ 布瑠部由良由良と布瑠部 かく為ては死人も・・・



ここからがよいのだけど、しんどいのでパス。
お馴染みの最後だけ。

ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおゑにさりへてのますあせえほれけ




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精神は物質なり! 念写発見百年目

2010年04月19日 | 語りつぎ・・・六次元講義
物質科学は 何時、何処、誰がやっても同じ結果が得られるのです。機械的ですから当然です。

心の科学は

何時でも同じ結果が得られるとは限らない

何処でやっても同じ結果が得られるとは限らない

誰がやっても同じ結果が得られるとは限らない。

心は機械ではありません。心を科学するのですから当然です。

心は十人十色です。同じ人でも環境が変われば心が変わるのです。



何時、何処で、誰がやっても、同じ結果が得られるとは限らない

中で、ちゃんと原理原則があるのです。


宇宙には

機械的なエネルギーと

心の自由なるエネルギーがあり

そのエネルギーはもとより一体のものなのである


物心未分化


念写の発見は、この宇宙が心とエネルギーの一体となっていることの発見だった。


十二月二十六日。

百年前の明日は、福来友吉博士が、丸亀に住む長尾夫人に、「心」という文字を乾板に写してもらった日。明日は世界初の念写記念日です。




百年目。

記念館が完成したそうです。(宇宙と人生より)



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弘法様から続いた道の傍らで

2010年04月18日 | 語りつぎ・・・六次元講義
山高きがゆえに尊からず というけれど、私は山は高い方が好きだ。白く高い山はどこまでも尊い気がする。一気に春が過ぎ去ってしまいそうな陽光の中、昨日は山を眺めながらそう思った。はじめて梓川から前穂を見上げた時の崇高な想いが蘇える。
そうして森は、深いほうが味わいがある。そう思った。森は深ければ深いほど少し怖気づいてしまうけれど・・・心の中で少しばかり遠くなったアルプスの峰々を思った。


二日続けて弘法様の夢に起こされる。弘法様というよりは空海の夢というべきか。猫の赤ちゃんに布団をとられてから以降、あちらの蒲団で見る夢は雑務のような夢ばかりで、ほとんど意味はないと思える。しかし夢の中でも脳はちゃんと働いていて、昔見た映画を思い出したのだろう、北大路欣也も出て来ておかしく笑ってしまうが、なにしろ空海だから少しは真面目に考える。

そんな朝、なぜとはなく手紙の整理をはじめた。
見覚えのない封書が一通。開封もしていない。
こんなことがあるのだろうかと封を切って読む。2009年2月19日の日付。O氏から。
私は頭をひねりまわすが・・・もう一年以上も前の手紙だ。どう返事を書いたものか。。。
ペンを途中で投げ出し、受話器を取る。
電話嫌いの私に電話をかけさせる人、だ~れ?
電話口。多分その人。多分呼び出し音一回で出る。ハハ、当たり!



あの人は20年前はあんなふうに喋っただろうか?十五年前は?十年前は?当初はただただ寡黙な青年で、おだやかに笑う人との印象が強かったが・・・何年か前、しんみりとした話にずっと俯いておられた横顔を見た時は、それはもう当然ながら私のよく知っている青年の顔ではなく、頭には白いものも目だっていた。


しかし故意ではないにせよ、一年以上も放置していたことにお礼を言われるなんぞ思ってもみなかった。
二十年。良い年月を重ねて来られたのだ。
一途に。青年の日の心のままに。
峠を一つ越え、あちらとこちらで、きっと良い年月を重ねて来られたのだ。
弘法様、福来博士、健造先生と続いた道で行き逢った人。







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生駒山の口の神社

2010年04月16日 | 私の古代史
山口は山の口と、とある地理学の本にあったから、では、畝傍山、香具山、忍坂、二上山あたりだけでなくそのもっと昔、饒速日命を訪ねての生駒ゲート前からの誰が書いたかわからぬような山上地図にもその名のついた神社があってもよさそうなもんではないかと思って地図上で探した神社。役小角の話に生駒大明神とあるからには、小角以前の昔むかし、また饒速日様以前のその昔からでも、生駒にはそれらしきものが何か色々あったと思うほうが自然だ。


初めての所では必ず道を間違える私。しかし今日ははっきりとはわからない道ながら全然迷うような気がしなかったから摩訶不思議!人も通らない道の方からドンピシャ。

山口神社前

鳥居さんの前で思わず手をあわせてしまったくらい清清しい気に満ちていた。
陽が背中から射して来て明るい。
狛犬に迎えられて登る階段ではやたら有り難いような気になって手をあわせながら歩いた。

山口神社階段


拝殿を左に廻るとなんと神武天皇御拝所。先生、喜ばれるだろうな~、また神武様だと笑う。
正面から拝むより、その拝所からの方がほうが良さそうで一枚パチリ。


神武御拝所から



山口神社の話は古代史家さんのものも、神道家を気取る人達のものも色々読んだが私の考えはまだ茫洋としている。混沌を楽しむ。私は異端史が好きなんだから、もっと大真面目な突拍子もないことを誰かが書いてくれなくちゃ!


昨日はしかし神社を降りると猛烈な風。その風にあられが舞い上がった。
満月。逆転現象月。吉兆先生ならそういわれるだろうか?
土曜も日曜も昨日も今日も、今年は一向行楽車の渋滞がない。
おそらくそれはこの寒さのせいばかりではないのだろう。



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ちゃちな竹小屋作り

2010年04月12日 | 約束の地
野茨を伝わせられるようにと、あるものだけを利用しての小屋作り。

しかし、工具もなければ、脚立もなく、人手までなく・・・

どんな小屋になりますか。。。

私のことだから無茶苦茶を楽しむわけですが、う~ん、本日時間切れ。

猫が待ってるので早く帰らねば!とりあえず竹をたてかけて帰途に着く。



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花吹雪まう中で

2010年04月10日 | Weblog
毎日見飽きるほど桜を見て、今年ばかりはもう桜はいらないなどと贅沢を言い、
それでも風に桜の舞う様の美しさにしばし見とれ、手を休める。
空は青く、すっかり春だ。
あと一ヶ月もしたらこの庭はつつじでいっぱいになる。
こういうのが人生の筈ではなかったが、こういうのも人生なんだろう。

空はどこまでも青い。
私はこの庭を見ながらいつか死ぬのだろうか?
どうせなら、疲れすぎたいつかの夕方のように、杉木立の下、涼むようにひっくり返って寝転んで、まだ見える木漏れ日を見ながら眠りたいね。
永遠の眠りだ。


はやくはやく逝きたいのだけど、
これがまだ元気なんだ。



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ある末裔

2010年04月04日 | 約束の地
青空のもと、初めて切った竹を束ねて、杉の木を支柱にして簡素な物置小屋を作り始めた。考えがまとまってきたからではないが、もう竹ばかり切ってはいなれない季節になってしまった。

整備したところがお気に入りなのか、つくしがそこだけに生えてきていた。
わらびも実は整備したところに一番よく生えるのだ。
山の一番上は気持ちがいい。
しかしとりあえずは種をまき、それから小屋作り。


小屋を作っていると父を思い出した。
ああ、父はきっとそうだったのだろうと思った。
だから父があそこに、またあそこに家を作りたがったわけがわかるような気がした。



やっぱりそういう血筋の末裔なんでしょう。
そして私たちよりあとはもうそういう血は生まれないように出来ているのでしょう。



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もしどこかに貧しい村があったら・・・

2010年04月02日 | Weblog
重松なんとかいう人の話を読んだ。朝鮮で聖者と呼ばれた人。碑も建てられていた。


どこかに美しい村はないか


いやいや・・・日本のどこかに貧しくて食べられない村はないか。

私よりも貧しい人ばかりが住んでいて、子供を学校にやることも出来ず、日々食べることさえままならない、そんなところがこの日本にあったら、私はそこに行こう!
日本ではそんな時代はとうに終わってしまい、精神を病んでいることが当たり前のような世になったが、もしそんな村がどこかにあったら、私はそこに行って鍬を持ちたい!

そして、生涯をそこで終えるのだ。





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