虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

今、一つの終焉

2012年11月27日 | 約束の地
紙芝居のおっちゃんが死んだ。
大腸がんで急死したのだとか。享年69歳。
ローカル的なこのニュースをたまたま見ることになった。
本当の終焉を報せるかのように。

おっちゃんはやっさんと呼ばれていた。
やっさんの紙芝居は良かった。それは子供が自ら考える紙芝居だった。
この世は実に不公平だとか、理不尽なことはいっぱいあるとか、それを独特の言い回しで、
妙な説得力で、景品をあげながら喋っていた様が一番印象的だった。

やっさんの本業は紙芝居だが、長い間、土日楽校をやっていた。
おそらくは問題をかかえてやって来たのだろう子供達や父兄相手に、自分の教育哲学を通した。一通り話を聞いていて、実に納得のいく教育現場だと感心した。
卒業して、大人になって、やっさんを慕って、能勢に移住して来た者もいた。

私は紹介されただけだからやっさんのことをよく知っているわけではない。
が、会ったのは一回こっきりでも、実は別の意味で、もしかするととてもよく知っているとも言える。なぜなら、その一回は本質に迫る会談だったからだ。
その日主人は、やっさんのお師匠さんや取り巻きのいる所で寝てしまった。
それがすべてを物語っていた。

話は実はうまく核心にふれないところで行われた。
やっさんは政治家だった。やっさんは実業家だった。
だから人は期待した。人気もあった。その時の私達に政治は必要なかったが、人は無償のものより有償のものを有難がる傾向にあり、ビジネス的発想は何より好まれる。
生まれつきそのように教育されているからだが、それに気付かない自分がある。
気付く必要もない者達の集まりというのがある。
異端者がそこに入ると、さっきまで子供のようだった人が、警戒心あらわになって、全く言葉を発さない。そういうことはよくある。子供のように喋る場なのにである。
異端者の本質を探ろうとするのだ。
彼らはおそらく自分をリーダー的資質だと思って行動するが、
私達の目に彼らは俗物に映る。

死者を鞭打とうというのではない。
私はやっさんより若者を信じたかったし、事実そうすると伝えた。
ただ「人生五十年」と決めていた私の、五十以降の人生があの日を境に決まったから、
忘れられない一夜があったことを振り返ってみたのだ。
それは今となっては、苦い馬鹿げた思い出でもある。

理想を説いていたその人は亡くなったが、
彼の教え子達はそこに根付き、そこで頑張っていくのだろう。
私の理想はもうあの地にはなく、あれ以来、心の中のものだけになった。











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梅ノ木道開通

2012年11月25日 | 約束の地


梅の木のところまで辿りつきたくて頑張ったが・・・
梅はさらさら土の所ではやっぱりちっとも大きくならなくて。。。
やっぱり植え替えするとか、根っこを団子にくるんでしまうとかしなければならない。
酸性ばかりの山のものにやられなかっただけましか。

昨日の雨のせいで、草も木も全部濡れていたが、山主さんが道を造るように刈ってくれていた所は下が良いので、今日はそこで刈っていたものと家から持って行ったものを燃やした。

今日はのんびり。
しかしトン汁は燃えカスが入って困ったので、
今度からはかまどを作ってそこで作ろうということになった。

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魂磨きのこと

2012年11月22日 | Weblog
ほん近くに、日月神示の勉強をさせてくれる所があるというので大いに興味を持ったが、
電話をしてみると、主宰者が他界されたとかで、今はおひらきになっていた。
折角近くなのに残念だと思う気持ちもあるが、一方でそれで良いのだ、という思いもある。
ほつま解読、フトマニ解読などと違い、ああいうものは本来勉強すべきものではないからだ。

般若心経を覚えようと思った頃、どこだったかにあった言葉を旨とした。
【解説本読むにあたわず】がそれだ。
頭で理解したような気になってはいけない、と言うことだ。
自ずとわかる。分かるようになるということ。
仏典、聖書もそうだが、神示などは特に体験する事でしか理解出来ない代物である。
それらは実は指導書でもなければ啓蒙書でもない、ただただ「気をつけてくだされよ」という【注意喚起の書】なのだという人もあるくらいである。
体験しなければ真に理解したとは言えぬから、昔は荒行が主であった。
健造先生は荒行の必要なしを説かれ実践されていたが、
神示には

大事な事は大事に至らぬよう大事にして気をつけてくれよ
目先(本)に学び、目先(本)に迷わぬようにしてくれよ。


という箇所が結構あり、
神の入れる容器になるは、いつの世も危険と隣り合わせなのである。

<純粋永遠>

夢のまた夢。

悟ったと思ったその時すでに悟りの時でなし。




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吉本の見た小沢一郎

2012年11月19日 | Weblog
政治の季節がやってきて吉本さんを思い出した。
私の中ではもう随分前から、生きていても死んでいてもどっちでも変らない人だったが、
こんな時には、やっぱりもうこの世にいないということが惜しまれる。

○戦後、マスコミやマスメディアは、「政治のワイドショー化」を目ざしてきた。しかも、それは日本人の覗き見趣味に合っていたらしく、視聴者の数からいったらそれを好む視聴者や購読者が圧倒的に多かったから、テレビが視聴率を稼ぐなら、あるいは新聞が購読者を確保するなら、そこに軸足を置く必要があった。

○特に、テレビは、小沢一郎や羽田孜が自民党を離党した九三年頃から、ふたりが提唱する政治改革理念など理解できない低知識層に、論点を低くして、「活劇としての政治」を植えつけようと躍起になった。
そうした意図を持つマスコミやマスメディアにとって、自分たちよりも高い見識で政治のあり方を語る小沢一郎という政治家は、いちばんジャマっけな存在だった。

○政治のワイドショー化をはかりたいマスコミ・メディアの思惑、自社さきがけ政権を安定確実にしたい自民党の思惑、企業主導の政治を堅持したい財界の思惑…、そういった各界の利害思惑が一致したのが、この時期の「小沢一郎たたき」の本質だった。しかし、そうした彼らの本当の思惑は、じつに巧妙に隠されたため、国民の眼にあらわにされることはなかった。


吉本隆明好きはやっぱり皆感性が似ていて、小沢一郎を応援してしまうだろう。


○いちばん嘘のない表情で本音のところをみせていたのは、羽田孜や小沢一郎だった。
○テレビ映りの表情をみていると、本音に近いじぶんの責任のとれるところで物を言っていた。
○小沢一郎はテレビなどで見ていると、とても率直に本音を言う人でしょう?
○小沢一郎はもっとタカ派かと思っていたが、すごく大人しい人ですね。


吉本のこういう小沢評とそっくり同じことを主人も言っていた。
そういえば友達の頑固一徹な御主人も軸のぶれていない政治家は小沢だけだと言ってたが、
小沢さんって顔が悪いのよね。
でも、唯一人師と仰いでた人の葬儀で男泣きに泣いたという話が昔あって、
私はその顔が容易に想像出来て、可愛い人なんだろうな~とか思ってしまった。
百姓やったほうがいいのにね。

辻元さんがまた立候補した時も、私はその時高槻の事務所前をよく通っていたから、
今の世、政治やるより、仲間集めて百姓やったほうがいいよ、なんて言ってたんだけども、
彼女も政治家に未練あるのね。なにか出来ると思ってる?
政治家になるのもいないと困るけど。
能勢はとうとうみんなの代表をいい所まで送り込めるようになったけれど、
東北でも、被災者には申し訳ないけれども、折角壊れてくれたのに、新しい日本創れないんだから、能勢も先はどうかな~?
やっぱり政治家より21世紀は百姓でしょ?

日本の問題は一億人の経済でいいものを、五億十億社会にしてしまったことにあり、
縮小に着手する難は出来るだけ避けて通る。予算欲しい所だらけ。
その十億経済を維持しようと思わば、世界の賃金格差がなくなるまで、未開の地を荒らし続ける以外にないという結論になる。

この日本の上に立つ者は、慎太郎然り、金の苦労の足りない者ばかりだから、
バブル期の再来みたいなことばかりを想像し、なお発展の世を推進する。
私も景気はよくなって欲しいと願う。

しかし、それは本当にいいことか。
そうではあるまい。




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黄葉は散り山真紅なり

2012年11月19日 | 約束の地

なんと美しい。
日があたる午後の山は真紅。
日陰の楓はより深い赤。

ああ、勿体無い。車の中。
道の駅の上。
カメラがない。

私の畑は濡れっぱなしで、
ろくろく焼けもしなかったが。

切れない鋏だったせいで
今朝は肩がひどく痛い。
しかし昨日とはうって変っていい天気である。


○下の写真は去年の春日野原生林。





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身の丈にあった布教

2012年11月17日 | Weblog
「布教をして下さるな」

おナオ様のこのお筆先は私のお気に入りの一つである。

「来るべき魂ならば、たとえどんな山奥でも必ずや来る筈です。
 ただそこにいらしてください。
 先生のなすべきことをそこでなし、変らずただそこにいらしてください」
二十年にはならないが、そのくらい以前、私は先生にも、そのような手紙を認め、送った。
研究所は宗教団体ではないけれど、それでも布教活動はないならないで良い。
ましてや宗教の布教など。
この日本に宗教団体なんか必要もないが、そこは譲ってもいいとして、それでもより良い社会の為に、布教はよくよく考えた方が良い。

ユダヤ教の昔々のラビくらいなら知らないが、今どきの、いや子供の頃からでも、家に訪ねてくる布教者など可笑しくて臍が茶を沸かす。
自分でも実はよくわかっていないことを喋って布教していることに気付かぬ事の愚。
理想としての地上天国を説くはまだわからぬでもないが、永遠の命を説きながら、その永遠の命とは実はなんなのか、実はどういうことなのか、聖書で得た知識で語ろうと言うのだ。

聖書を毎日毎夜紐とくことは悪いことではない。書物を読むことは勿論悪いことではない。
しかし、咀嚼というか、よく噛み砕き、飲み込み、腹の底に納め、それから後一切を無に帰し、さてそこではじめて、所謂模写からの脱出。自分の言葉。
そこまでを大いに認めて九顕としてもいいとしても・・・

さてそこで、どうやって永遠の生命を説明するか?

聖書には数々の奇跡が書かれているというのに、
布教者にはその奇跡の意味がちっともわかっていない。
そんな者が永遠の生命など分かろう筈もないのに永遠の命を語ろうというのだ。

布教にも色々ある。
身の丈にあった生き方と言うが、身の丈にあった布教。
言葉は、自分を正しく把握できた時に自ずと変る。


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出版人魂 今何処

2012年11月16日 | Weblog
【逮捕されるまで】空白の2年7カ月の記録
という本が人気なんだそうである。
 
誰の何の本かと思いきや、「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」の犯人、整形までして逃亡していたあの市橋達也が、自分の逃亡生活を記した本なんだそうである。

この本は、なにやら読んでいると感情移入してしまい、著者に同情してしまうんだそうである。犯人に捕まってほしくないと思ってしまうんだそうである。
またイラストが随分上手で、それが評判なんだそうである。

しかし、出版人達よ。
私はこの手の本が出るたびに思うのだが、こんな手記を出版する意図はなんだ?
恥を知れ。店頭の一番目立つ場所にそれを置く書店も然り。
決して出版人魂から企画されたことではない。

永山則夫の時のように、印税はすべて遺族に渡されるのかもしれないが、
愛情があったにせよ、英語の師を殺しながら、毎日英文字を見、英文を拡げ、整形もし、
もはや【無知の涙】の時代ではないのである。

以前、人の殺し方 だったか、そんな本を書店で見かけたことがあったが、
出版人なら出して良い本と、決して出してはいけない本とがあると思うのだ。





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鬼は恐いか?

2012年11月15日 | 私の古代史
鬼伝説の根付いた場所には、おそらく相当に大切な何かがあった。
鬼は、大切なそこに、人を近付けない為に作られ、
語られた。

今もあるという乳色の苗田。
今は小さくなった月の輪田。
それから豊受大神御自らが身罷られたという穴倉。
それらを訪ねて行った日の老婆達の話を時に思い出す。

日本全国、あちらこちらに現れた鬼は、おそらくそういうことだったろう。
大切なものを、大切な人を護るため。
瞬時にそう思った。
苗田のそばにあったお地蔵さんは、今は違う場所に移されて、
峰山の伝説も忘れ去られて行くか。


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秋本番

2012年11月11日 | 約束の地


種から育った柿も色づく。

酸性ものばかりに囲まれて朽ちかけていた柿も下から若芽。
ものすごい生命力。



向こうには銀杏。
秋だ。



今日は境界線よりがずっと拓けた。



二段目に上る壁面をやりすぎて、足腰ががくがくいっているが、
これで来週あたりは梅を見に行ける。
こっちは少々やりすぎて立っているだけでも膝が笑って座り込むが、
メチャッコは刈った所がお気に入り。




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アミジモン

2012年11月09日 | 愛す、女優。
今、一番見てみたいもの。
【アミーの夢】





見たいな~。
妖精の役だ。

【愛と、死】では天使になったし、
【願い】でも天使みたいになった。

監督はやっぱり飛ばしたかったんだろう と誰かが言っていたが、
清らかな羽を持ったような人にはそれが似合う。


天上で咲くはずだった花が、泥だらけのこの世に降りてきて、
心を尽くしてこの世の人々に命と愛、笑いと涙の意味を教えてくれました。

その姿がいとしく哀れに思った神様が、もう十分だとおっしゃったようです。
花火のような情熱を置いて、あの方は私たちの元を去りました。



他に見たいのは【カイスト】【虹鱒】
SBSはDVD作るとか。。。
それから、どなたか、写真集出して欲しい。
雑誌その他、どんな小さなものでも網羅して。

中国人ファンの人が作っていた【恩珠搜索范围】は凄かったのに、
規制にかかって全部シャットアウトされて、返す返すも残念だ。




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