私が初めて天河弁財天に行ったのは、
あれは初めて元伊勢に行った年よりだいぶ前だったろうと記憶する。
いい加減な記憶だけれども、天河のことなんか何も思わず、
ただ姉が行きたがっていたから連れもって行ったというだけで、
帰り道、なんだか大きな池のあった、確か大塔村のどこかの駐車場で、鍵をつけたまま車のドアを閉めてしまって、あえなくJAFのお世話になった、あの時だ。
選ばれた者しか行けないのだとかなんとか、
天河を特別視する人達というのがいて、
私はといえば、天河なんていうのは誰でも行こうと思えば行けるんだと思っていた。
ただ、あの頃はまだ秘境と言ってもいいくらいの恐ろしく細い暗い遠い道だったから、
遠方の人は行くのに躊躇するだろうくらいのことだったと今でも思っている。
その天河だが、ちょっと思うことがあって主人と出掛けた日があった。
あの日は凄かった。
柿坂宮司さんだったのかどうか、私はその人を知らないので、多分そうだとしか言えないが、
その方達の朝の祝詞奏上に運よく間に合ったし、お神酒もいただくことが出来た。
が、それより何より、その私が座った少し右後ろ側に、なんと天柱が建っていたのだ。
私は思わず見上げた。勿論、それは私の目にだけ見え(感じた)天柱だったが、
主人もなんにかは知らないが、何かにやけに感動していた。
その天河行きは、理由は分からずとも、元伊勢に行ったことと関係があったことは確かだ。
元伊勢は奇跡の場所である。私にとっては。
本当に色々奇跡を見せてもらった。が、それより何よりその佇まいが私達は好きだった。
それは籠神社では感じられない、不思議な感情だ。
私達が時折行った頃は、既に小野祖教さんはおられなかったと思うが、
あそこの土が新しい天河に運ばれていたとは!
今頃そんなことを知って、なるほど!なんて感動している次第。
実に遅すぎるではないか。
私は鉱物採集に行っても、今ではもう弁財天には寄らない。
理由はない。あまり行きたいとは思わないからである。
しかし元伊勢にはいつもいつも行きたいと思っている。
理由はない。
ただ好きだからだ。
天河というと私は美内すずえを思い出す。
そして、美内すずえというと毎晩立ち寄っていた居酒屋のママさんを思い出す。
「みうっちゃん」のお隣さんに実家があるとうむらさきの使いこなしの実に上手なママさんで、
店をたたんだあとは実家に帰ったんだとか。
夜遅かった私は、よくママさんの特別料理をいただいたし、ママに関してはいい想い出ばかりだが、
他の想い出は苦い。
まっちゃんは結婚しようはいいけれど、毎夜ストーカーもどきだったし、
つかまったら閉じ込められそうないと怖いおじさんから逃げるのも大変だったし、
まーあの頃は男難の相でも出ていたのかもしれないが、
想われるというのはありがた迷惑のことが多い。
しかし、店を閉めたことで縁がなくなったと思っていたマスターが駅前で待っていたのにはびっくりした。
今更その夜のことを詳しく書こうとは思わないけれども、
その夜私は救急車を呼んだのだ。あれからもマスターは毎日のように待ち伏せていて、
待ち伏せされるのは中坊くん以来だけれど笑うわけにもいかなかった。
ママとマスターが別れたのは私には関係ないよねと、
いまだ考える時がある。いやな思い出だ。
ママはママ、マスターはマスター。私はただ客、のはずだのに。
そんなこんなで、天河というとみうっちゃんで、みうっちゃんといえばママで、
しかしまー天河とは関係はないわいな。
今度天河に行ったら、あの元伊勢に行った頃のような心で、
あの社をくぐってみたいもんだと、天河曼荼羅に 思った。
元伊勢のお土はどこらあたりに混ぜられたんだろうか?
あれは初めて元伊勢に行った年よりだいぶ前だったろうと記憶する。
いい加減な記憶だけれども、天河のことなんか何も思わず、
ただ姉が行きたがっていたから連れもって行ったというだけで、
帰り道、なんだか大きな池のあった、確か大塔村のどこかの駐車場で、鍵をつけたまま車のドアを閉めてしまって、あえなくJAFのお世話になった、あの時だ。
選ばれた者しか行けないのだとかなんとか、
天河を特別視する人達というのがいて、
私はといえば、天河なんていうのは誰でも行こうと思えば行けるんだと思っていた。
ただ、あの頃はまだ秘境と言ってもいいくらいの恐ろしく細い暗い遠い道だったから、
遠方の人は行くのに躊躇するだろうくらいのことだったと今でも思っている。
その天河だが、ちょっと思うことがあって主人と出掛けた日があった。
あの日は凄かった。
柿坂宮司さんだったのかどうか、私はその人を知らないので、多分そうだとしか言えないが、
その方達の朝の祝詞奏上に運よく間に合ったし、お神酒もいただくことが出来た。
が、それより何より、その私が座った少し右後ろ側に、なんと天柱が建っていたのだ。
私は思わず見上げた。勿論、それは私の目にだけ見え(感じた)天柱だったが、
主人もなんにかは知らないが、何かにやけに感動していた。
その天河行きは、理由は分からずとも、元伊勢に行ったことと関係があったことは確かだ。
元伊勢は奇跡の場所である。私にとっては。
本当に色々奇跡を見せてもらった。が、それより何よりその佇まいが私達は好きだった。
それは籠神社では感じられない、不思議な感情だ。
私達が時折行った頃は、既に小野祖教さんはおられなかったと思うが、
あそこの土が新しい天河に運ばれていたとは!
今頃そんなことを知って、なるほど!なんて感動している次第。
実に遅すぎるではないか。
私は鉱物採集に行っても、今ではもう弁財天には寄らない。
理由はない。あまり行きたいとは思わないからである。
しかし元伊勢にはいつもいつも行きたいと思っている。
理由はない。
ただ好きだからだ。
天河というと私は美内すずえを思い出す。
そして、美内すずえというと毎晩立ち寄っていた居酒屋のママさんを思い出す。
「みうっちゃん」のお隣さんに実家があるとうむらさきの使いこなしの実に上手なママさんで、
店をたたんだあとは実家に帰ったんだとか。
夜遅かった私は、よくママさんの特別料理をいただいたし、ママに関してはいい想い出ばかりだが、
他の想い出は苦い。
まっちゃんは結婚しようはいいけれど、毎夜ストーカーもどきだったし、
つかまったら閉じ込められそうないと怖いおじさんから逃げるのも大変だったし、
まーあの頃は男難の相でも出ていたのかもしれないが、
想われるというのはありがた迷惑のことが多い。
しかし、店を閉めたことで縁がなくなったと思っていたマスターが駅前で待っていたのにはびっくりした。
今更その夜のことを詳しく書こうとは思わないけれども、
その夜私は救急車を呼んだのだ。あれからもマスターは毎日のように待ち伏せていて、
待ち伏せされるのは中坊くん以来だけれど笑うわけにもいかなかった。
ママとマスターが別れたのは私には関係ないよねと、
いまだ考える時がある。いやな思い出だ。
ママはママ、マスターはマスター。私はただ客、のはずだのに。
そんなこんなで、天河というとみうっちゃんで、みうっちゃんといえばママで、
しかしまー天河とは関係はないわいな。
今度天河に行ったら、あの元伊勢に行った頃のような心で、
あの社をくぐってみたいもんだと、天河曼荼羅に 思った。
元伊勢のお土はどこらあたりに混ぜられたんだろうか?