虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

それぞれの秋

2014年11月30日 | Weblog
トホカミエヒタメでしたか・・・
トオカミのわけがなかろうと、相曽氏、確かそう仰ってて、
太占のことですが、
昨日にわかに魂磨きのことを思い出してしまいました。
そして自分はやっぱり

  魂筥に木綿(ゆう)とりしで

   たまちとらせよ

  御魂上り 魂上りましし神は 今ぞ来ませる


これがいいと思うのでした。
よって昨日からは声に出して謳っているのですが・・・

  
石上紅葉


  あめつちに きゆらかす 

       神わかも  神こそは

         きねきこう きゆらならば


     
       石の上 振の社の 太刀もがも

          願う其の児に その奉る




DSC_0015.JPG

↑は二年前、信貴山奥の院の紅葉。
今年はもう散るでしょうか・・・
降り出して来た雨を少し残念に思う夜です。

↓は安養寺の紅葉です。記憶の残っていない寺探しは疲れましたが、
晴れわたった空と紅葉の赤は、お寺にとても似合います。

  • 005_05.JPG





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超資本(消費)主義時代の景気回復策

2014年11月28日 | Weblog
以下、吉本さんが、1999年に提案した不況対策。
随分以前、よそに書いたものの再掲です。


第一 「不況対策」は、一般国民の個人消費の増加を第一義に考えること。

第二 金融機関、企業体の改廃と整理は、サラリーマン、労働者、
   国民一般の生活防衛を第一義と考え、
   首脳、幹部、役員の「リストラ」を主要な目標とすること。

第三 「不況」対策は、第三次産業(消費産業)の救済を第一義とすること。


まず金融機関や企業体を健全に整えて、それによってはじめて勤めている人、勤めたい人に職を安定供給できるという考え方は、古い資本主義のやり方です。 




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沙門がいたと知って

2014年11月26日 | Weblog
色どりも美しくなった山々の窪みから湯けむりの立ちのぼる・・・

これで朝風呂に入って窓でも開けていれば、
北海道の温泉にでも浸かっているような、そんな風情の朝だった。

が、我が家は停電だから風呂には入らず、早くから少し遠くまで買い物にでかけた。
帰ったらちょうど工事は終わっていた。

少しばかり気になることがあって、床の間に行った。
弘法様の掛け軸の前に、色々、三年ばかし触らぬものがある。
貰ったものだから私のものには違いないが、
貰いたくて貰ったわけではないから、何だったかすっかり忘れている。
ちょっとそれらを開いてみた。

 
 永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩と言ふ 

                              好胤 落款


これは薬師寺壱萬巻布写経の方が下さったものだが、
高田好胤管長の、これは本物だろうか、印刷だろうか、
朱印のようにも見えるがと、つい世俗的なことを考えた。

が、なんといい言葉ではないか。
だから置いていたということを思い出しながら、
その横に置いていた久延彦様のお守りを久々にポケットに入れた。
銅で出来ているからなのか、
頭脳明晰でありますようにとの願いのせいか、
これをずっと肌身離さず持っていた頃は、まるでカイロのように温もった。
おそらくは体温のせいだろうが、異常なくらいの熱さにびっくりすることもあった。

さてそれから梅鶯の団扇の下には八咫烏の手ぬぐい。
これはОさんが熊野大社にお詣りした時のお土産で、
お神酒はとうになくなって、烏だけがここにいる。
伊勢に七度 熊野に三度、どちらかけてもという有名な句が書いてある。

私は社寺仏閣に好んで行く者ではないが、
それでももしかすると伊勢には七度くらい行っているかもしれない。
仕事がらもあって小学校の修学旅行で二度、、、それから、、、
やっぱり七度は行ってないか。。。
そうこう色々思い出しつつ・・・いつのものか置いていたおみくじを読む。
文言が気に入っているからそうなったのだろうが、
これはすぐそこの神社の参拝所横に書いてあることとまったく同じで、
思わず笑う。
ただのひとつも疑うことなく信じなさい。お任せしなさい。
可愛いわが子である。その願い、叶えてしんぜようぞ。ということだ。
笑う。

さーさて、色々片付けて、一番最後が気になっていた木彫りの坊さんである。
足の間に挟んである巻紙を今日はひろげてみた。
!そうではないかと思っていたが、やっぱりお大師様だった。
出来がいいとは思えなかったから、
誰かが習作のつもりで作ったのだろうくらいに考えたり、
いやいやと思ったり、、、
実際、なぜこんなものがここにあるのか、
おそらくは義父のものを整理した時、捨てるに忍びなくて持って帰ったのだろうが、
これで曰くつきの弘法大師御尊像とこの木像とが一対であることがわかった。
認められていた通り、主人のご先祖に沙門○○という人がいたということだ。
しかしまー、主人もおそらくそれは知らないことなのだ。

永遠なるものを求めて、某沙門永遠に努力す。

沙門=菩薩 となる?

しかし先生によれば、菩薩とはいまだ修行中の姿である。

はるけき道なのだ。


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飛鳥は遠く いま平成

2014年11月25日 | Weblog
義士 中村哲治、立つ! 

という題のブログを見た。
中村哲治氏は私の年若い友人と同じ地の人で、
私も少しだけ知ってはいますが、勇気ありますね。
名前からするとそのかみの飛鳥豪族の子孫なんだろう高市早苗氏のいる奈良二区から出馬とは。

中村氏の思想は言うまでもなく「国民の生活が第一」である。
故に志を同じくする「生活の党」にいる。

中村氏は常日頃から日本経済の復活は、
「国民の生活を豊かにするしかありえない」と言っている。
なぜなら、吉本隆明も早くから指摘しているように、
日本はすでに輸出大国ではなく消費国家だからである。

その分岐点は、横溝正史のあの真っ黒の雰囲気ある文庫本で大いに稼いだ角川春樹社長が、
本もスーパーの買い物カゴで大量に買って欲しいと言いだした頃である。
本を読むと言わず、見るというようになったあの時代だから、すでに何十年である。

然るに日本の政策は、あいも変わらず高度経済成長路線時のままだ。

日本は「内需国家」なのである。

そこを間違えてはいけない。
だから金持ちだけがこのうえまたいくら儲かっても、景気回復などありえない。
と訴える中村哲治氏は、正しい認識の上に立脚しているといえる。

養育費や住宅ローンをかかえている人達。
材料費高騰に苦しむ中小企業。
ぎりぎりで生活しているそういう人達に金がまわってこそ消費は上向くのである。

日本はこれからもマイナス成長である。故にそのような認識でことを運ぶべきと、
私はそう思うが、私のようにそこまでは言わずとも、
正しい視点を持った政治家達が、正しい認識の下に政策を立てなくては意味がないのである。
政治家も有識者達も、そこにこそ智恵をしぼった政策を打ち出さねばならない。

大義ない解散。税の無駄遣い。
国民としてはいい迷惑の師走だが、
景気問題だけでなく、秘密保護法、憲法問題、原発問題、諸々、
実は非常に大切な選挙である。



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弘法大師御尊像

2014年11月23日 | Weblog
曽ツテ當家先祖伝来ノ弘法大師ノ尊像アリシガ或ル事情ニ依リ惜シクモ紛失セシガ今度當家ニ因縁深キ御智観音寺住職丹山善海師不思議ヤ大師ノ弇ニ依リ・・・・

なんぞと裏書された弘法大師御尊像が私の手元にまわってきた。
主人が父親から預かっていたらしいが、何十年とすっかり忘れていたもので、
あちらこちら整理しなければならなくなった今日、奥の奥から出てきたのだという。
義父の名の入ったものだもの、義父は知らない家だけど、
言われなくとも、遺影の前に飾らねば、と思う。
ましてや予期せぬことに弘法様である。
昔、繁華街のすぐそばにあった義父の家の二階の欄間に飾られてあったのは岡田茂吉の直筆の書で、
家を売った時、どうして自分の最愛の妻の形見のようなそれを捨ててしまったのか理解しがたかったが、
弘法様は息子に預けていたおかげで残ったということなんだろうか。。。


むかし・・・私、結婚して何年かはたっていただろう二十代のある日、
この頃しきりと夢を見る。自分が持っている掛け軸のことが妙に気になる。
あれは確か、あそこらのどこかにあるお寺と関係があるような。。。
義父はそんなことを言い、私たちに一緒にその寺を探して欲しいと言った。
車も入るか入らないかの細い道を登って、ようやくたどり着いたお寺では、
それでもすぐに住職が出てこられて、その絵を描いた人のことを何やら義父に話していた。
どうやら善海師という人は、そこで修行していたことがあるらしいことが漏れ聞こえたが、
当時の私は、その掛け軸に何の絵や文字が描いてあるのか、まったく興味はなかった。
夫がそれを預かったのは、おそらくその時だろうが、
一体、私の目のかからないどこにそれを今日まで置いていたのか、
それが不思議である。

ま、しかしいいではないか。
弘法様である。
先生の弟子である私は感無量である。





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シェリンク

2014年11月22日 | Weblog
シェリンクの時代に入ったと、吉兆先生が言われてから二十年になる。
人為的の無理やりの道は、短い期間の中では有効でも、いつかは矢張り宇宙の大道、
本流に戻る。
宇宙の法則に即した経済。
吉兆先生そう言われ、前年、次の年、早い時期ににはきっと大災害が起きるとも言われていた。
私は吉兆先生の毒舌のファンだったが、
一月に阪神淡路大震災が起きた時には、ますます吉兆先生の話に耳傾けた。
その先生が、

日本はシェリンクの時代に入ったと言われた。

そして今の経済規模は、四十年代くらいであると言われた。
勿論、時代によって発達発展していくものは多々あるわけだが、
そのような心構えで生きていく必要があるということだったろう。

どなたかが時折書いておられるが、マイナス成長、それをまず受け入れる。
そうするとデフレもそう悪いことではないのである。

精神の病の多くは、自分という者を正しく把握せず、
錯覚の自分を自分の基礎にすえ、そのうえに何かを築こうとしているが、
国家の病も同じである。

日本はすでに発展途上国でもなく、輸出大国でもなくなったのだ。
人口は減り、老齢者が増える。そういう社会である。
そのような時、求められる政策はどういうものか。
それが大企業優先で、介護事業を増やすことでと、
そういうことであってはならないと思うのである。




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カイスト観終わる

2014年11月19日 | 愛す、女優。
予期せぬパソコン初期化で、
お気に入りに入れたものも全部なくなってしまったので
いちいち検索しては又お気に入りに入れている毎日。
なくてもいっこう困らないものばかりだが、
読書の合間の暇つぶしにはもってこいだし、
たまに思い出して見たい時、探す手間が省ける。

ところが、これが以前は簡単にみつかったのに、
バーグマンの「天国の怒り」とか、「四人の息子」とかが見つからない。
ウンジュも色々見つからないものがある。
仕方ないから、最近には珍しくサーフィンをしている次第。

と、欲しいと思いつつ、買えずじまいになっていたウンジュのものが見つかった。




白夜で映画デビューした後のテレビドラマで、
クールビューティのウンジュにはぴったりだったのか、
カイスト人気もあり、氷姫の綽名で呼ばれるくらい人気が出たんそうだ。
砂時計のパク・テスの少年時代をやっていた男優と恋人同士になったのは
この共演が機縁だった。
彼とは妖精が人間になってしまったネット映画?でも共演していて、
ウンジュも本当はこの頃が一番良かったのかもしれない。

カイストはイ・ミヌやウンジュは68話までらしい。
言葉がまったくわからないから何がなんだか想像で観ただけだが、
ウンジュの所だけは輝いていて、出演していた68話までは一気に観た。
おかげで目が痛い。

昨日は古墳の謎も読んだし、里山物語も読んだ。
今日は畑井弘の学術文庫も読んだ。

毎日目の酷使で、目薬の減りが早い。







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座右の銘

2014年11月19日 | 愛す、女優。

 往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし


この間、パソコンが思わぬ事態になって、初期化されてしまった。
元通りにするのに入力する座右の銘を忘れてしまって、
記憶を引っ張り出すのに苦労した。
座右の銘なんて本当はないから忘れるのも無理はないのだが、
比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏からいただいという
健さんの座右の銘には感銘した。



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求道者健さん逝く

2014年11月18日 | 愛す、女優。
健さん訃報のニュースに涙ぽろぽろこぼれた。

私はべつに健さんのファンだったわけでもなんでもない。
大抵の人より、健さんの映画名を沢山知っているというにすぎない。

幼い子や若者の死はべつだが、年取った者の死は悲しむべきことでもない。
日々、きちんと生きた者の死は、先生のように、晴れ晴れと美しいものだ。
私はそう思っている。
それでも涙はでる。

私は、自分でもおかしいと時々思ったりする。
姉が亡くなった時も、義父が亡くなった時も、義兄が亡くなった時も、
全然悲しくもなく、何気ない日常の一コマに、
葬儀という行事が組み込まれただけ。
そして、ただ心で語りかけてみる、そんなふうだのに、
猫が死んだら泣き、健さんが死んだら泣く。
それはなぜだろうと。

琴線にふれるもの。



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三流国家

2014年11月13日 | Weblog
国民にとってなんの意味もない解散だ。
消費税増税先送り解散とか言うらしい。
しかしそもそも前回の選挙こそが、
本来は消費増税の是非を問う選挙だった筈で、
それがうまくマスコミをつかってごまかされた。。。
私の認識はそうだが・・・違ったかな?
馬鹿民主の政治をビジネス化している政経塾出身首相一派が、
マニフェスト破りをしただけでなく、
あろうことか、自公の思う壺にわざとはまったようなおかしな解散劇だった。

国民は福祉の名の下に増税をいつも許してきた形だが、
増税のたびに福祉を持ち出されて、もう何十年になることか。
政府はいつもやるべきことは何もせず、国民から搾取することばかり考えている。
それが証拠に、政治家の数は減らず、
最近よく問題になっている政務費はじめ、政治家の無駄遣いも減ったためしはない。
安部さんは長期政権を狙って選挙に打って出たのかもしれないが、
国民は口先だけの立候補者と決まっている選挙なんかほとほとうんざりである。

ところで財政赤字というのは、本当に国民が作った借金なのだろうか?
家庭で言えば旦那が稼いできてくれたお金の範囲内でうまくやりくりするのが主婦である。
それが国ならば、税収以上に使い、サラ金とまではいかなくとも、
金利のかかる多額の借金をあてこんだ予算を毎年毎年組む者は誰だ?
財務省の責任は大きい。
政治家が無責任なら、官僚も無責任だから、
税金に群がるハイエナのような人種も後をたたない。

原発問題がいい例で、誰も責任をとらないこの国の体質。
一家庭なら、一千兆円を超える借金をした主婦は首吊りもんだろうに、
この国の官僚は高級を取って、定年後は天下りし、のうのうと暮らしている。

消費税を10%にしようが20%にしようが、財政赤字は減らない。
なぜなら、税率があがれば上がるほど中小企業は追い込まれるし、
一般消費者は消費どころではない状況に追い込まれるからだ。

消費税を上げずとも生きる道はいくらでもある。
それを示すのが有識者というもののはずだが、
この国は有識者も腐っている。
もしくは安穏と暮らしている。




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