虚空見つ国・・・終わりなき物語

遥か古代からの遺伝的エトランゼ。
一人だけの幻想国開拓日記。

今年の冬には

2012年10月29日 | 約束の地


最初に落っこちた方へ道が開けるかもしれません。



小屋横の枯木に乗っかって遊んでいるメチャッコ。
元々そこで遊ぶように立ち枯れの木を他にもたくさん残したのだ。
お気に入りの場所になって、そこでよく昼寝をしている。

立ち枯れといえばやっぱり大台ケ原がいい。
それから初めて見た時の大正池が良かった。
バスの窓に焼岳が現れた時の感動は今も忘れない。
十六?十七?かの秋だった。

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映画OST三昧

2012年10月27日 | 愛す、女優。
今の車はお気に入りではないが、CDが聞ける。

越路吹雪に浅川マキ。友川かずき。
Kがくれた西田佐知子と懐かしき青春歌謡。
しかし流石にそれらにも飽きがきて『白夜』を買ってだいぶになる。
その白夜も一年以上聞き続け・・・流石に何か他のものも聞きたい。
レコードファンの私。もとより音楽にたいした造詣あるでなし、ここ何十年かの歌謡曲はもう全然知らず。そんな私だからCDを持つ気など全然なかったが、なんでもウンジュにDVD付きCDというのがあるのを知って・・・この際である、
「そうだ!ウンジュOSTでも買おう!」







というわけでここ一ニ週間の間にウンジュOSTばかり七八本買った。
これでウンジュは期せずして全部揃ってしまった。





繰り返し聴くのは『スカーレットレター』。
ジャズとクラシックだからか・・・飽きない。




同じように繰り返し聴くのは『追慕アルバム』。
イントロの曲はどこでかかっていたものか、さっぱり思い出せず、
もどかしいことこのうえない。で、ついついしつこく聴く破目に陥る。
しかし他のものは、買ったからには一回か二回は喜んで聴いてみたが・・・何回もの鑑賞に堪えられる代物ではない。書棚に置きっぱなしの運命となりそうだ。
たまにでも聞きそうなものはせいぜいMVの『あなたも私のように』くらいである。
しかしそしてそのMVを見て聞くと、そこでまたまたソプラノなら『別れの席』だということで『白夜』に戻る。『白夜』を聴くとつい『砂時計』にも手が伸びる。
まるでロンドだ。













☆ ☆ ☆


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曰く不可解 K-POP人気

2012年10月26日 | 愛す、女優。
テレビを消さずにいたら、近年よく聞くK-POPなるものの特集をやっていた。
私はK-POPなるものを知らない。どこになんの特徴があってK-POPなどというのか、POPはPOPだろうくらいの認識。しかし随分人気があるらしく、東方神起も知らないと言ったらこの間ある人から呆れられた。韓流は見るのに?

私はべつに韓流ファンではない。邦画だろうが洋画だろうがチャイナ物だろうが韓国物だろうが、気に入るものは気に入る。気に入らないものはいならない。ただそれだけのことだ。
だから韓流ファンのおばちゃんのように、何でもかんでもに嵌るわけがない。最近の韓国物にわざわざ見るに値するものがあるのかさえ疑問である。

しかしどこのレンタル屋に行ってもCDコーナーにまわると大きなK-POPコーナーなる文字を見る昨今、知らなくとも別段困るものでもないが、折角だから見てみた。
フムフム。こりゃ大変だ。歌、踊り、語学、その他諸々。凄いね。
日本のアイドル路線なんかとは大違いだ。
韓国200万人失業時代に始まった、国家事業としての文化輸出大作戦は知っていたが、K-POPもそうだったのね。

けれど、やっぱりどうでもいいや。馴染みやすい振り?どうもな~
世界中が熱狂しているというけどどうもな~。わかる気はするけど私好みではない。
顔は可愛いというよりやっぱりきしょい。しかし何より踊りがどうでもいい。
踊りっていうならやっぱりタンゴの方がいい。ワルツやブルースの方がいいし、
う~ん、懐かしいフォークダンスのほうがいいかも。
これは好みの問題というより感性の違いなのだ、多分。

例えばこの間赤江漠を調べていて、馬鹿なことを書いている文章に当たったのだが、
自分に赤江漠を理解する感性が欠落しているのだと自覚していながら、自分の感性で知りえたことを引き合いに出して他人に赤江漠を説明しようとしている愚。
以前、男女の極め道を歩いているなどという面白い人がいて、どうして極められないのか?
私はその人をユーモアとウイットに富んだなかなかの人物と踏んでいて、その楽しさにいつも笑って応対していたが、伊藤晴雨の呪縛画に触れて、サドマゾのことをひどく真剣に書いてきた時、「もしかしてあなたはエロとエロースの違いのわかる方ですか?」
そしてまた「男色や同性愛の違いのわかる方ですか?」と書いて送ったのだった。
「もしそうならば、あなたのように片っ端からなんていっても、それは徒労というものです。
一体あなたは、そのことのわかる女性があなたの傍にどれくらい存在すると思いますか?」

K-POPに狂ってしまうおばさん達の感性と私の感性は微妙に違う。
一度の違いは三百五十九度の違いと私はよく言ったが、そういうことだ。
説明など出来ない。コピー、クローン。そういう話もよくしたが。


どうでもいいことをもう一つ。
K-POPコーナーのそばにチャン・グンソクコーナーが大抵どこにでもあるが、
チャン・グンソクってどこがいいのか?
ずいぶん以前、深夜に主人が『ファン・ジニ』を見ていて、ハ・ジォンの初恋の人を演じていたのがまだずいぶん若かったチャン・グンソクだった。あまりにつまらない男だったので、よく覚えていたのだが、この人が日本で大人気というが、一体どこがいいのか理解に苦しむ。

しかし昨日のK-POPでは思うことあった。
200万失業は1997年。あれはウンジュが映画界に入った頃ではないのか?
ならばおぞらくその時分に父親は多額の借金を背負ったのだ。だから十年頑張ったら皆一緒に暮らせると思って頑張っていたと言っていたのだ。それが更に増えた。父親どころか母親の方も多額の借金をこしらえた。
私はウンジュの恋人は誰だったのだろうと時に考える。
ウンジュは死んでやり直したかったことがあったのだといつも考える。
そしていつもなぜ死んだのか?今も死なずにそこにいるのではないか?
そういう錯覚にとらわれる。好きな人の死も、死は死。
いつも死を淡々と受け入れている私なのに、なぜウンジュにはそうならないのか?
そこが我ながら不思議だ。ましてや死んでから知った人だというのに。



韓国ではもう一度会いたいスターの第一位をウンジュが独走しているという。
私も会いたい!









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おはたらきの山

2012年10月25日 | 私の古代史
Oさんがいなくなって、鈴木旭先生の名を聴くことがなくなってすっかり忘れていたが、
鈴木先生によると、超古代ピラミッドとは 頂に立つと何も視界に遮るものがなく、そこが世界の中心に感じられる所なのだ。
縄文時代のピラミッドに限らず、それはそうなのである。

エネルギーの集中と放出。
渦巻き文字ばかりで表した人は鈴木旭ではなく玉置の人。
玉置もまた神々の住まう山なり。

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たまには綺麗な服を着ようか

2012年10月21日 | Weblog
私は綺麗な赤ちゃんだった。これは親、姉妹の話である。
勿論私が自分の赤子時代をしる筈がない。
私はカッコ良かった。人はいつもそう言った。
カッコええ奴はカッコええように生きなあかんぞ。そう言われた事もあった。
それは自分でも納得した。私はカッコ良かった。
いい服とは関係ない話。いい服を着れば尚更に。
しかし真実カッコ良かったかどうかという話では半々。
カッコよくもありカッコ悪くもあっただろう、多分。
しかし今日は綺麗な服の話。

私は元々おしゃれはほとんどしない。
なぜか?
第一は面倒だからである。第二はへんに注目されるからである。
第三はファンや追っかけを増やしたくなかったからである。これは昔の話。
ただ綺麗な服を着ているというだけで余計好きになったと言われても困ったのである。
惚れられるはいいけれど、惚れるには惚れるに値するものがあるわけで、
着ている服装で人格が変ったわけでもあるまいに、そういう浅薄な惚れ方というのは欝っとおしかったのである。
しかしたまにいい服は着た。
仕事や用事でやむない時。誰も知る人のいない時。これは非常に気楽だったからだ。

服は好きだ。買うのが好きだったからある程度は持っている。
今はただただタンスの肥やし。着ないのはなんとも勿体無い。
私は服が似合う。適度な背丈、かつ適度に細身だから、大抵の服は誂えたように私にぴったりで、いつも汚い服装の私を人はへんな人だと思う。
しかし私は本当はGパンだとて結構こだわっているのである。Tシャツだってなんでもいという人間ではないのである。が、綺麗な服しかわからないのがいて、
そういうものの感性はいたって疑問なのであるが、そういうものは姦しいからこれがなた欝っとおしいことこのうえない。

追っかけはここに来て流石にいなくなったが、私にわかることがあったのである、その姦しさ。
一体に彼女達はほめられる事が好きな人種である。人に好かれるのが好きな人種である。勿論人は皆そういう面を持つが、ちとそれが多い人は、おそらくは人に執拗に追っかけられたことのない人達である。結婚してようやく気が楽になったのに、まだまだ追っかけられてはたまらないのである。そういうわけで、結婚しては子育てもあるし、どんどんいい服は着なくなったのだが、流石にここまでの年齢になると、年にそぐわない服も多くなって、これはこれでちと勿体無いと思う昨今、
ま~姦しい者達には何十年前の服がまだ入る体型は好評でもあるし、
たまにはタンスから服出して、高い靴を下駄箱から出して・・・
しかしあの高い靴は履かないと結構しんどいのである。

今日はそんな服装だったからか、金のブレスレットを貰った。
勿論イミテーションだが、いい服には結構似合っているのだ。





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人形の家のノラ

2012年10月20日 | Weblog
「私はノラなの」
いつもそう言っていた人がいた。

知らなければ知らないほうがいいことは沢山ある。
知っていたほうがいいことも勿論沢山ある。
どうせ気付くなら、もっと早く気付いたほうがいいこともある。
気付かずにいられるなら、一生気付かなければいいこともある。

心の話。


私は大人びていたけれど、矢張りどこかが子供だったのだろう。
二十七八や三十はほとんどの人がおじさんに見えた。
おじさんは大抵親切だったし、なにほどのことも考えず話していた。
そのおじさんはただいつも笑って少し話すだけで、特に何を言うでもなかった。
私はノラ 
そう言っていた人はそのおじさんにいつもヒステリックに喋った。
ノラはおばさんだったけど、なぜノラなのか、
離婚して独立したのか、自分なりの生き方を求めていたのか、
私には分からなかったし、興味もなかったが、仔細ありげな人には見えた。
但し、仕事は全く出来ず、故に叱られるとヒステリックにおじさんに返した。

ある日、甲高い黄色い声を発したノラが、次には悲鳴と共に倒れた。
おじさんの大きな手がノラの頬を思い切りひっぱたいたのだ。

皆、騒然となった。
ノラは小さく細かった。
おじさんの手の平は大きかった。
それからノラは左耳が聞こえなくなった。
病院通いが始まった。
おじさんはノラにヒステリックに責められ続けた。
けれどだんだん恋人のようにノラに寄り添った。
ノラはそうして声を荒げることはなくなり、
幸せそうな顔をした。

私がそこを去るとき、
おじさんはなにも出来ないからと、人づてにプレゼントをくれた。
そういえば私はいつかもなにかを旅行先から貰ったことを思い出した。
私はプレゼントを決して返さないでくれと伝えられるまで、
おじさんの心を考えたことはなかった。
その時はじめて私は、いつだったか、
ノラがおじさんにヒステリックに叫んだ言葉を思いかえした。

「あの子には親切なのに、なんで私にはひどいの!」
「あの子とあんたじゃ違うやろ」
「なんで違うの?!なにが違うの?!」
私は仕事のことだと思っていた。が、
ノラはおじさんが好きだったのだ。

ノラは広島から出奔して来たみたいだった。
顔から首にかけて、大きなケロイドがあった。
腕にも手にも、普通ではないやけどのようなものがあった。
けれど、顔は美人顔で、どことなく品もあり、頭もよさそうだった。
その手のせいか、仕事はまったく出来なかったが。

ノラはいろいろ・・・いろいろ、
悲しかったのだろう・・・
そうして、聴力を失って、おじさんを得た?

おじさんは俯いて、
そうして寂しそうに笑った。


【知らないでしたことと 知ってしたことはどちらが罪が重いですか?】
【知らないですることである】

もっと早く知っていたら、彼女は聴力を失うことはなかった。
もっと早く知っていたら、プレゼントは必要なかった。
私がそこにいる必要は全くなかったから、
私はもっとはやく旅立てた。





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一目惚れ

2012年10月18日 | Weblog


一目惚れしたんや と言ってきたのはあいつと、トヨタのウインドゥから見ていた人。
街中で声かける人達もその類?
しかし思い返してみれば、すべては一目惚れかもしれない。

私は一目惚れというのを、ずっと信じていなかった。
事実、私は一目惚れということをしたことがない。
おそろしく受身だ。自分から誰かを好きになったということがない。
だから、彼らの一目惚れを一笑にふした。

けれど本当に思い返してみればあの女性だって、出社一日目に、
少年だ!少年がいる。翼がある!なんて叫んで嬉しそうについて来たんだった。
その頃の私に翼はあるはずもなかったが、中さん然り、
ああいう幻想癖のある人達は、人の背中に羽をつくった。

私は、いつもどこでも、持てるでしょう?と聞かれたが、
モテルとはもっと違うタイプの人のことだと思っていて、
自分をモテルと思ったことなどついぞなかった。
もてると想われるとはひどく違うことだと思っていた。もてるのではない。
ただ、深く重い、あまりに重すぎる愛を持つ者が私の前に現れて、
それがひどく私を苦しめるにすぎなかった。

それでも、そんな愛も、振り返ってみれば一目惚れからだったらしい。
振り返ってみればよく分かる。
自分が嫌われていると思っていた子供時代からでも、どうも持てていたみたいだ。
少女期も自分はそうではないと思っていたが、どうもそうだったようだ。
社会に出ては、これが信じられないくらいもてたが、それはどうも年上だったから、
年下の娘にアプローチする勇気くらいは持ち合わせていたということらしかった。

ただ私は苦しかった。私はいつもとても腹を立てていた。
だから一番にシンちゃんに辛くあたっただろう。
一番ひどかった。しかもその酷い期間が十年だ。
それも 新鮮な子がいるな~て思ったんや。それが始まり。
ま~主人も一目惚れ?

一目惚れって直観力のことだ。
今ならそう思うが、私は一目惚れをしたことがない。
私が一目惚れしたのは健造先生ただひとり。
これは勿論恋愛の話ではない。
うん、しかし、本の上でなら一目ぼれも結構した。

一目惚れっていいこと?
う~ん、しかし、婆さんになって、そんなこと真剣に考えてもな~。
あまりに遅すぎる思考。






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切なきもの・・・それが愛

2012年10月17日 | Weblog



秋介さんの言葉。

切なきもの・・・それが愛

『美しいものにはどこかに哀しさがある』

この言葉は、最近誰かのブログにあった。


昔むかしを思い出す。
古い映像と共に。
また或いはセピア色した写真に。

笑顔の下に隠された切なきもの。

胸いっぱいの切なきもの。


ああ、その切なさをかかえきれなくて、
胸に潜むその切なさはどこかで堰を切って、
それで涙があふれるんだ。

切なさの記憶。

今が哀しいわけでも、
今が辛いわけでもないのに、
毎日が明るくて、毎日が平穏で、
だのに、切なさの記憶は胸の奥深くに残っていて、
時に綺麗な涙が出る。
それはまるで禊のよう。

セピア色した写真の中の顔は素晴らしく美しい。
声なき言葉で人生を語る。

海ほどに深い瞳の色。

慈しみの海。


若かりし日・・・
車窓からながれゆく夜の街を見ながら
  美しいって悲しいことだ
って思ったんだった。

懐かしいね。
私は二十歳を過ぎた頃で、
いつも黒いコートの襟をたててドアの傍に佇んでいた。

そうして・・・やっぱり深い瞳を持つ者を思い出している。

今は 誰が どれくらい 切なきものを持って生きているだろう。

かかえきれないくらい 切ないもの。

人は多くを失うが 人は何も失わない。

そのさみしさを愛しむ。

その苦しさを愛しむ。

苦しいのが嫌いではないと思った。  

                        -赤江漠-



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イ・ウンジュの映画が悲しすぎて

2012年10月17日 | 愛す、女優。


まるで麻薬患者みたいにウンジュ姫を見続ける。

映画的雰囲気はよくても、意図するものはなにか、主題は何なのか、
ちっとも判らないスカーレットレター。



「愛していたら許されるんですか?」

残念ながら、あれはテーマにはならない。
なぜなら、写真館の女が主人を殺したのは偶発的で、
名はなんだっけ?あの人を愛していたとしても殺していいことは何もない。
一方のギフンだって、カヒは自殺しようとしていたのだし、
女主人と一緒で、それは偶発的というか、成り行きみたいなことだ。
決して「愛していたから」でもなければ、邪魔だったからでもない。

トランクの中から出て来た二人が血だらけだったからか・・・
何度見てもそこで胸が締め付けられる。
そのまま、そこに、それが、手首も切ったというウンジュの死体のようで、
トランクから運び出されたのはカヒではなく、ウンジュその人のようで、
アッと思い、涙が出る。

インタビューで、恐くて一度しか見ていないと言っていたが、おそらくそこだ。
自分が死体で運び出されるのではないかという恐さ。
いや、耐えられないくらいのさみしさ。


さて、それから見ると見るたびに悲しくなるのが『永遠の片想い』の・・・

別れを告げた日、酔いつぶれたジファンを介抱し、靴下を洗う。
あれはスインの真似なのだ。
自分が泊まった日、洗濯をしてくれたスインのように。
髪を長くしたのもスインの真似。
スインが好きだったからか、ジファンがスインを好きだったからか・・・
おそらくは、鏡を見て「似ている。私達ずっと同じだったらいいのに」と言ったあれ・・・つまり一心同体・・・
ジファンがとうに自分を好きだったとは、多分ずっと知らなかった。

ジファンはなぜ?再会した時、抱きしめなかったのだろう。
なぜ、目を閉じ、顔を触り、
そういう子供っぽい仕草で終わってしまったのだろう?
やがて死んでいくギョンヒが、ジファンの顔をなぞるという設定だから?

胸が痛い。
だから、やっぱり『アンニョン!UFO』がいいと、
幸せそうなウンジュを見たいファンは思うことだろう。




私は『白夜』が好き。
もう切ないなるくらい好きな場面たち。





それから『悲しい贈り物』
それから『遅すぎた後悔』

昨日は『ブラザーフッド』の製作話やインタビューなんかのDVDを見て、
それがごく普通に、まだ生きてる人の笑顔だったので、
もう、すごく救われた。



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言葉の重さ

2012年10月15日 | 語りつぎ・・・六次元講義
言葉以前に言葉がある。

その秘められた言葉を持つ者を、喋らなかった頃の私は見ていた、と思う。
あの子とは目のあいかたが違う という初恋話があったが、
その目の色。目は口ほどにものを言い、
恋も 友情も おそらくは目のあいかた、にあった。

秘めたる言葉を多く持っている者ほど私を見つけただろう。
見つけられた私は、言葉なき言葉だけが真実を伝えると思っていたような、
何事にもただ黙々とした無口な娘で、けれど沢山の言葉を持っていた私は、
その者達を受け入れずにはいられなかっただろう。
関係性など最初は考えもしなかった。

さて昨日、楽天をはじめた頃に知った若い女性の言葉を思い出して、
そして先生の言葉もまた思い出して、
あの時私が言った言葉は真実には違いなかったが、
果たして役にたったかな~傷ついてしまったままかな~などと考えた。

聖者気取りの、悟り気取りの者でない、先生の言葉が胸を打つのは、
音声として発せられる以前の胸の奥にしまわれた言葉の重さと、
音声として発せられた後の言葉の重さがイコールだからなのだ。
私もだんだんに音声以前の言葉と、
音声以後の言葉に差がなくなってきてから分かったのだが、
差がなくなると熟練工のように口から出た言葉はすべてきっちり重いもんだ。
熟練の手業を神業といい、聖者を神懸りと言う。
さて、さて・・・

愛する 愛してる と 人はいとも簡単に言うが、

戦争はいけない 平和がいい と似非聖者は いとも簡単に正義を説くが、
私が政策がいくら良くても、
某市長の子分には絶対にならないという理由もそこにあるが、
(なんせ、私は釈迦のお弟子さんに例えて喜ぶくらい耳がいい)
そういうことの判らないのがいる らしい。

心の中にあった言葉が口をついて出た時、
大抵の者の言葉は空気中で、その空気を震わす中で、軽くなる。
軽くならざるを得ないことを無意識が知っている者は黙し、
知らない者は大抵雄弁になる。

心の中にあった時の言葉と、口から出た言葉の重さが同等である為には
人は・・・分かるだろう?
生き切って、その言葉がストンと胸に御鎮座していることが
自分で分かるほどに生き切らねばならない。

軽い言葉を喋るんじゃねぇ!

な~んて、昨日、
まー実に久しぶりに怒っちまおうか なんて思ってしまうことがあった。
私は滅多に怒らないが、なんせこの目だから、怒ると泣き出す者もあって、
ま、だから怒りはしないけどね、
あそこもここも不毛地帯だ。

僕が真実を口にすると世界は凍る

小気味いい吉本が好きだったけれど、
流石にこんなことは通じ合う者にしか言えない年になってしまった。



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