輪廻の沼 3

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団塊世代が壊したもの1

2017年12月20日 00時27分43秒 | 心理学
日本の教科書は、日本のものにあって日本のものにあらず
今、巷では貧困に苦しむ学生が風俗に身売りする社会情勢がある。

WGIP(連合軍、特にアメリカにより旧日本軍の日本人に対する日本人への罪悪感を炙る洗脳プログラム)を強要されたのが、団塊世代だ。

彼らはバブルを作り出し、瞬く間に破裂させ、日本を絶望のどん底に叩き落とすベースを作った。

しかも、それがアメリカから前々から計画されたものだとも気付かず、自分達がアメリカの引いたレールの上を歩いていたとしたら、団塊世代の皆様は一体何を感じるだろうか。

団塊世代は、勝てぬアメリカに白旗を振ってきた反面で今の30代、40代を絶望を通り越したどん底、奈落に突き落とした。

一つハッキリしているのが政治コントロールである。

就職氷河期などは団塊世代が政治コントロールによって作り出された事象である。

人工物的な政治のソフトコントロールである。彼らは、政治的絶対多数の力を利用して自分達の意見を聞き入れる政治家に票を集中させた。

結果、晩婚化や少子高齢化を生み出した。

背景には、今の30代、40代に自分達の都合の良い人間になってもらうために大衆迎合と本能の否定を文化的に推し進めた。

結果、社会に精神の吸血鬼と言われるモラルハラスメントが生み出され。家庭内、会社内で大問題となった。

もう一つは、自分達の社会的なソフトツールと、老人ホームなどのハードツールの充実だ。

結果、産業界の圧倒的な人員不足を生じ、さらには介護や医療といった分野の補充にあてることで国際競争力は失われた。

背景には、これまた団塊世代の老後不安である。

日本は今の30代、40代が産まなければならなかった10代の赤ん坊や小児の数が激減した。結婚や将来に絶望した30代、40代の中には高齢者や障害者に殺人をするものも出た。介護士や看護師までも時として殺人をしている。

しかも、私の推測では、その数は増える。


団塊世代の支持した政策が、晩婚化を生み出し、社会全体を不安定にした。自分達が原因であるにもかかわらず、彼らは就職氷河期の若者に責任を押し付けた。


この頃から、凶悪な犯罪が目立ち始めた。そして、凶悪な犯罪が出るたびに死刑囚の執行も行われた。これは凶悪な犯罪に対して国が打ち出した抑止的な効果を狙ったものだろうが、無駄なあがきだった。


なぜなら凶悪な犯罪を犯すものは、今日も劣悪で卑屈、矛盾と混沌とした毎日を送っているからだ。大衆迎合的な社会は、ブラック企業を大量に作り出した。

そういう人間は、一杯いる。むしろ、凶悪犯罪が起きれば死刑執行されるなら覚悟を決める合図になるかもしれない。


団塊世代。彼らは自分の保身(役職やら会社での立場を守るため)に政治コントロールを利用し、今の30代、40代を絶望の底に突き落とした確信犯とも言える。

それだけ団塊世代は、周りが敵に見えたのだろう。

団塊世代、彼らの父や母の話は、戦時中の話である事が多い。満州国などもよく言われる話だ。彼らは、父や母の教えに反発している者が多い。

ある老婆の話である。

満州国では、何らかの理由でよく子供が死んだ。死んだ子供は、綺麗な服を着せられて、山の中腹などで放置される。

すると死臭を嗅ぎつけた鴉の群が現れ、子供の綺麗な服は鋭い嘴で破られ、目玉や腸などが貪りとられる唄芸が始まる。

その綺麗な服と、背筋も凍るような鴉の解剖ショーのギャップが今でも忘れられないと老婆は戦時中の話を眉を細めて話した。

そんな、生きるか死ぬかで満州から日本に命からがら逃げ帰った話。

これが生きた話である。
これが日本の生き残り、
満州から命からがら生きて帰った
歴史の話である。

一方、WGIPで洗脳された団塊世代は違う。
彼らはバーチャル世界の住人である。
彼らには生きた話がない。

あるのは、美徳と価値のみだ。

彼らは勇気というキーワードを用いて、ピエロになる。なぜ勇気を用いるのかと言えば、自分の凄さをPRしたいからである。

なぜ自分の凄さをP Rしたいか?目の前の人間を支配するためだ。これがブラック企業で見られる日本的な偏屈した封建構造である。

仕事のやり方より、会社の仕組みより、売上ですらよりも。団塊世代は、自分の凄さが大事なのである。

これが美徳に操られたものの行動である。なぜ、自分の凄さなどアピールする必要があろうか?

車を買いたいと販売店に行く、彼らはいかに自分が優れた営業マンかをPRする。車を買う客より、自社の車より、会社よりも、自分の営業マンとしての姿の方が大事だからである。

肩が痛いと整体や整形外科に行く。患者の肩の痛みより、院の看板より、自分の治療者としての姿が大事だからである。

だから、最後は必ず裏切る。自分の名誉を傷つけず、高い車を売りつけられた、肩が治らなかった客だけが残る。

団塊世代には、圧倒的に上のような人間が多い。


彼らは勇気というキーワードを自分の子供に教える。しかし、子供に勇気というセンテンスを教えても子供に勇気は芽生えない。

この話をすると、私は学生時代に北海道で新聞配達のアルバイトをしていた時、ヒグマの親子に遭遇した事を思い出した。

冬眠時期の親子のヒグマに遭遇すると、殺される危険性は高いが、何とか殺されずに済んだ。

親子のヒグマは、母グマはかなりナーバスになる。自分よりも2倍以上の体重差のあるオスぐまにもエサの取り合いでケンカする事もある。

そのような母グマの姿を見て、子グマは初めて勇気という行動を取れるようになる。

その子グマがオスなら、自分の交配相手との取り合いに決して他のオス熊に譲る事はしないだろう。メス熊なら同じように子グマを守るメス熊になるだろう。

動物は、勇気などの言葉で勇気を教える親などいない。狩の仕方も、子供への愛情表現も、子供との別れ方も全て自分が教科書である。親の背中を見て育つとは、そういう事だ。

およその動物の世界では嘘がない。


愛も、勇気も、全てが真実であることが多い。


人間の世界では、嘘が多い。

特に大衆迎合教育を施された世界では、まさかあの人がという事象に遭遇する。それだけ善人を演じらなければ行きづらい国が日本だからだ。

良い教師は、教科書を嫌う。

WGIPで洗脳された美徳を謳うことはしない。

勇気を教えるのに言葉としての勇気を教えているのは、人間だけである。


言葉としての勇気には実体がない。

神風特攻隊に美しさを着せた。勇気というキーワードを教えた、だから最後に不自然さだけが残る。実際に現地に行けば美徳などを通り越した人としてのエゴに気付くはずだ。

WGIP教育も、実体がない教育だ。しかし、この概念は、学生時代に情報を加工されて我々に教えこまれている。

アメリカから実体の無い罪悪感や、実体の無い言葉としての洗脳を施されたのが団塊世代、彼らは美徳に縛られ生きてきた。

美徳は、人から良い人だったり、賢い人、カッコいい人を演じる、そう見られたいから演じる訳だが。その表現はオーバーであるがゆえに周りから避難されることがある。

団塊世代と他の世代は美徳に決定的な違いがある。それは、団塊世代は必ず相手を支配するために自分の有能さを訴える事が多い。

それは、裏を返せば、他人の無能さを指摘するための物である。30代、40代は団塊世代から無能さを指摘されるためのダシに使われる事が多い。

本質は団塊世代自らの無能さを隠すための自己防衛である。この団塊世代で育てられた20代やゆとり世代は、恐れ知らずである。

本当の意味で、何も怖くない人間が多い。

自動車業界が直面する危機

日本は電子機器産業が衰退した。

次々と、大手企業の改ざん、捏造、不正が暴かれ始めてきた。多くは団塊世代が手がけたものが、風化してメッキが剥げ、世間に晒された。

その矛先は自動車業界にも向けられ始めている。スバル、日産に始まり日本メーカー全体の価値が揺らぎだしている。

電気自動車への転換期に、このような嘘でしたは。自動車業界でも日本メーカー自体の不信に繋がりかねない。日本の位置は世界でも辛い位置である。

日本にあるどの企業も、団塊世代が作り出したもの、固めたもの、整備したものを良く良く読み返す事だ。法、ハード、ソフトを時代にマッチしているかを点検しなければ、明日は我が身となりかねない。

団塊世代は美徳の世代。建築士に例えると立派な豪邸を建てて、住んでみたら何じゃこりゃーという嘘に気づく。気づいてからでは遅いことが多い。

だから、よくよく点検することだ。





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