むっちゃの部屋

日々感じたことを書いていきます。とりとめのない話ですが、暇な方はちょっと立ち止まって読んでみてください。

25年前 

2010年08月15日 23時02分50秒 | Weblog
 今から25年前。今は2010年ですから、1985年。今40歳の僕は、15歳でした。江之島高校の1年生。40歳から見ての15歳ってすごく昔のような気がするけど、実はそんなことない。自分の中ではつながってる。その後、大学生になって、卒業し、教員になって13年間、辞めてから3年がたち今に至る。自分の中で記憶は鮮明なんです。
 僕が生まれたとき40歳だった方は、15歳で終戦を迎えました。どのような形で戦争に関わっていたのでしょうか?当時の15歳と言えば、すでに大人扱いだったと思います。動員された方もいるでしょう。軍需工場で働かされた方もいるでしょう。特別な役割がなかったとしても、確実に戦争は体験しているんです。
 彼らの記憶は鮮明なんです。その後、40年たって、現在80歳。ものすごく昔のような気がするけど、確実につながっているんです。今でこそPTSDとかいう症状が認知されていて、過去の強烈な体験がトラウマとなっている状態を緩和していく治療が行われていますが、戦争体験者はそういったケアを受けずにここまで来たのではないでしょうか?
 いずれこの国から戦争体験者は1人もいなくなるでしょう。その日が来ることがすごく怖い気がします。体験したかどうかって大きい。恐怖だって痛みだって嫌悪感だって。それを知らないってことは、その道に迷い込んでいく可能性もあるってことで。だからといって、体験したほうが良いのかと言えば、そんなことはなくて。
 今の世の中、平和ボケといわれてます。でも、それだと危険性ありです。真の平和にしないと。「戦争を体験してるから、2度と戻りたくない。」ってのも1つの動機だけど、もう1つは、「今の平和な世の中がすばらしいから、これを維持していきたい。」ってこと。
 自分自身、これまで深く考えてこなかった。未経験者だから。でも、それではいけない。未経験者だからこそ、行動に移るまで考えないと。こんなちっぽけな星に同じ時に生きてるんだから、もっと仲良くしないと。この中で傷つけあうのは、身内の財布からお金をとるようなもの。得した気になってるけど、身内の中では増えてない。傷ついたり、疑ったりするだけで。
 終戦記念日は、ただ、その日1日、追悼するためのものじゃなくて、その日をきっかけに、また1年間、考え、行動していきましょうって日だと思います。40歳だけど生きていられることに感謝し、何かをしていきたい。そんな風に思いました。