むっちゃの部屋

日々感じたことを書いていきます。とりとめのない話ですが、暇な方はちょっと立ち止まって読んでみてください。

団結力

2011年01月30日 23時29分23秒 | Weblog
 中学生に対してよく使っていた言葉ですね。学級目標なんかにも盛り込まれたり。体育大会だとか合唱コンクールだとかの練習の際は多用してましたねえ。バラバラじゃ力は発揮できませんよ、まとまって1つの力にならなきゃと。そういった話に対し、中学生というのは本当に純粋であり、皆がそういう意識になっていくんですね。そして、現に、団結した時のパワーだったり感動だったりを体験して、実感していて。
 でも、大人になるにしたがって、そういった体験、忘れていっちゃうんですね。そういう場面もあまりなくなってくるし。全ては過去のいい思い出というか、学生だからできたことと割り切るようになっちゃって。
 そういったことを呼び覚ましてくれるような試合でしたね。試合というかチームというか。1人1人がうまくても、団結しないと1つの大きな力にはならないということを示してくれたような。団結っていうのは、1人1人が同じことをするって意味じゃなくて、同じ意識になるってことで。やるべきことはそれぞれ違うんだけど。
 11人全員が香川でもダメだし、全員が本田でもダメ。それぞれの個性が活きている団結力が実はすばらしい力を持っていて。遠藤が遠藤で居られる団結力、川島が川島で居られる団結力。長谷部を長谷部として認める団結力、岡崎を岡崎として認める団結力。そして、前田が前田になれる団結力、長友が長友になれる団結力なんですよね。
 あのような熱い場面ではそういう意識になりやすい。周りの目も気にならないだろうし。優勝という1つの目標に向かっていて。まあ、そういう意識になるのが団結力なんでしょうが。で、普通の人たちも普段の生活において団結力を意識すればもっともっと素晴らしい結果が得られたりするんだろうけど、どうしてもそれを邪魔する要因があって。周りの目だったり、自分自身の変なプライドだったり。団結力の素晴らしさを知ってるんだけど、どうしても再現できなくて。
 あのような試合を見させてもらって、みんながそういう意識を呼び覚ませるといいんだけどなあ。いろんな集団においてね。たとえ小さいことであっても。サッカーを見たっていうよりは、自分たちが忘れていた大事なものを見させてもらったって感じです。そして、そのような団結力に対してはみんなが支持をしてくれるんですよね。今回、日本だけではなくて、対戦相手の国々も日本の団結力に賛辞をくれたように。
 なんかそんな団結力を発揮できること、してみたいなって思いました。久々にね。そんな場面は日常生活にも転がっているはず。新たに設定もできるけど。みんなも味わいませんか、団結力。

無力

2011年01月27日 23時45分51秒 | Weblog
 鳥インフルエンザ、猛威を振るっています。ニワトリを飼ってる身としては、戦々恐々としています。自分のところに来て、全羽殺処分なのか、それとも近隣で起きて移動禁止なのか。どちらにもならないことを願っていますが。
 人の目には見えない小さな小さなウイルスによってもたらされたこと。そんな小さな生命体によって、ここまでパニックにさせられてしまうとは。鳥にとっても脅威であり、人にとっても脅威であり。無力を実感させられます。
 ウイルスは強すぎると、宿主である渡り鳥がすぐに死んでしまって、勢力を拡大することができない。だから、本能的に毒性を弱めて、渡り鳥が死なないようにして、飛ばせて、勢力を拡大してるそうです。子孫を残すという本能、すごいですね。
 火山が噴火しました。そんなに大きな山には見えないのに、あんなに大きなパワーを秘めていて、あれほどの噴火をして。噴煙は2500メートルまで達したとか。火山灰もすごいですが、灰だけではなく石も降ってきて。しばらくは日常生活に支障をきたすでしょうね。昼間でも真っ暗で、畑も何もかも灰で埋もれてしまって。でも、何もできないんですよね。人って無力ですね。
 ウイルスも火山もそして人も同じ地球に存在していて。ここまで生き残っているということは、今の地球を形成するのに必要だからってことなんでしょうかね。そこには、なにが善でなにが悪でってことは全くなくて。必要なんでしょうね。
 こんな状況では、人は無力なんです。噴火が収まるのを待つしかない。春が来て、鳥たちが渡っていくのを待つしかない。自分たちの被害を最小に抑えながら。地震だって台風だって同じ。無力であることに気付くこと。そして、謙虚になること。もしかしたら、そんなことを気付かせるための試練なのかもしれない。

停滞

2011年01月25日 23時40分50秒 | Weblog
 最近、停滞してます。「何かやらなくちゃ」「前進しなくちゃ」と思ってはいるものの、何もしてない自分がいます。そして、自己嫌悪。
 やるべきことはやってます。やらなきゃいけないこと。日々の決まった作業。でも、そこから先に進みたい。しかし、進めないでいる。進まないでいる。何とも歯がゆい。
 先日のてんつくマンのメッセージを読み返してみた。パッと目に入ってきたのは、「他人と比べてはだめ」「自分と向き合いなさい」なんて言葉でした。そして、ちょっと救われた。どうしても、人と比べちゃう。しかも、すばらしい人々と。そして、勝とうとして、でも勝てなくて。そもそも、何をもって「勝ち」なのかもよくわからないのに。
 向き合います。じっくりと。まだ新年は始まったばっかりですからね。焦ってもしょうがないね。あっ、そうだ。いい言葉思い出した。
 「花の咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。」そうします。
 

平均寿命

2011年01月23日 23時19分44秒 | Weblog
 日本の平均寿命は世界トップクラス。女性は世界一で男性はそのちょっと下くらいでしたっけね。女性が85歳くらいで男性が79歳くらいでしたよね。そういうのを聞くと、自分もそこまでは生きられるって思っちゃうけど、そうでもないらしい。
 なんかの本に載ってましたが、85歳とか79歳って完璧に戦前生まれの方々なんですよね。終戦が1945年ですから、その年に生まれた子は現在65歳。戦後生まれでそこまで生きた人は、今のところいないんですよね。
 この戦前戦後の分け方、何かっていうと食生活ですね。まあそれ以外の生活習慣も十分関係はしてきますが。戦前の質素な和食に対し、戦後はアメリカからいろんな食料が入ってきた。給食のパンだったり。そして、食生活はどんどん欧米化していき。
 ある本によると、戦後の食生活は輸入小麦粉と油と砂糖であふれてしまったらしい。おかずもお菓子も。ごはんを食べていればそんなことにはならなかったのに、パンになって変わってしまったと。そこから、いわゆる生活習慣病が増えてきて。
 アメリカの平均寿命は伸びているらしいが、女性80歳くらい、男性75歳くらいのようです。まあ、一概に食生活だとか病気だとかの問題だとは言えませんが。保険制度の違いによって、助かるべき命が助かっていなかったり。
 でも、単純比較で5歳の違いがある。どうなるんだろ?生きられると思っていた5年が生きられないとなると、それは大きな問題ですからね。そして、自分自身、そんなに食生活に気を使っているわけではなくて。十分に欧米化されてると言っていいでしょう。どうなるんだろ?
 まあ、戦前生まれの方だって今を生きているわけで、欧米化されたものを食べている方もいるでしょう。今後、どんな風に推移していくのかわからないけど、でも、見直さなきゃいけないことは確かで。今の食生活で戦前生まれのおじいちゃんおばあちゃんに勝てるわけもなく。もしかしたら、「60代で」なんてこともなくはない。食生活だけを見たら。まあ、運動量なんかも格段に少ないですが。ちょっと怖くなってきた。
 いろんなこと見直す時期に来てるのかもしれませんね。地球温暖化なんかの問題もそうなのかも。見直しなさいよっていう警告なのかも。警告受けて、改めれば、何とかなるけど、改善が認められなければ、次は退場しかないなあ。なんとかしなくては。まずは自分の食生活。全部は変えられないけど、少しずつ。長生きしたいからね。

適当

2011年01月21日 23時30分46秒 | Weblog
 ラジオを聴きながら仕事場へ。そこで、今日のキーワードを発表。「適当」でした。
 なんでも、今日、1月21日はタレントの高田純次さんの誕生日だから。とのことでした。納得。なんて、ちょっと失礼な気もしますが、まあ、的を射てるかなと。
 そこでも言ってましたが、適当っていい意味での適当と悪い意味での適当があって。「彼は、大臣に適当な人物だ。」「彼は、いつも適当な返事しかしない。」などなど。なんで2つに意味になっちゃったんでしょうね。
 でも、漢字は同じであって、もともとは同じ意味だったと思うんですけどね。途中で別れていって。そもそも適当自体が適当なんですよね。適当って「これ」っていうのじゃなくて、「こんな感じ」なんですもんね。思い描く大臣像なんて人それぞれ違うわけだし。適当な返事だって人それぞれ違うし。
 なんか幅があって、いい言葉だなって思います。適当な人間、人間として適当。そんな風になりたいなって思いました。

船井幸雄

2011年01月20日 23時16分26秒 | Weblog
 この方、知ってますか?僕は、昨日、初めて名前を聞きました。英語クラブで。60歳を超えてるおじさん、おばさんがほとんどなんですが、その方々がよく知ってました。経営コンサルタントをやってる方で、ビジネス業界ではかなり有名な方なんですね。その方の本がおもしろいっていうスピーチをしてくれまして。
 ちょっと気になって、本屋さんで探しちゃいました。あるわあるわ。何冊も。経営コンサルタントって自分とは無関係だと思っていたんですが、ちょっと違うみたい。なんか経営というよりは、生き方みたいな。というか、経営は生き方なんだって。で、買っちゃいました。古本を。
 ここんとこ環境とか食糧とかの本が多かったので、違う分野のもいいかなと。というより、いろんな本を読まなきゃとは思っているんですけどね。どんなことが書いてあるのかなぁ?考え方の根本が変わったりするかなあ?ちょっと楽しみです。みなさんも何かおススメがあったら教えてくださいね。

親切とおせっかい

2011年01月18日 20時58分26秒 | Weblog
 ラジオのCMでやってますね。親切とおせっかい。受ける側の気持ち次第で親切と感じたりおせっかいと感じたり。その線引きは難しい、だから寛容にって内容です。確かにそうですね。同じことをしても、人によってとり方が違ったり。でも、概して、おせっかいはいいこととして捉えられていますね。
 このCM聴いてる時に逆の立場のことを考えた。親切する側、おせっかいする側のこと。大半は相手のことを考えての行為だと思います。でも、そうじゃない場合もあるんじゃないかなと。簡単に言うと、自己満足。親切にしてやってるという。親切にしてる自分が心地いいというか。偏屈な考え方ですが。
 大学生のころ、中華料理屋でバイトしてました。そこに3才下の見習いコックの子がいまして。ヤンキーです。でも、仲が良くてね。自分はバイトなので、夕方からなんですが、その子は社員なので、朝から夜まで。何とか楽させてあげようと、いろんな雑用をやってあげてました。必要以上にね。そしたら、経営者の奥さんに怒られた。あなたは大学生だから、いろんなところに就職できるでしょうけど、この子は高校中退してるし、ここでしっかり見習いして、よそでも通用する調理師になるしかないのよと。あなたが雑用を肩代わりするのは本当の優しさじゃない。あの子をダメにするだけだと。なんか突き刺さりました。
 シンデレラ、悲劇のヒロインですが、もし、彼女が恵まれた家庭環境に育っていたなら、王子様には選ばれなかったんじゃないかって。意地悪なおばさんやお姉さんたちに何でも仕事を押し付けられていたので、それらをこなす力がついたんじゃないかと。プラス思考だとね。
 やっぱり考え方なんですよね。どっちにしても。甘っちょろい僕は、何をしても、何をされても、自分は悪くないと思ってしまうんですね。情けない話ですが。意地悪おばさんの家に生まれれば良かったかな。
 

できることから

2011年01月17日 23時48分44秒 | Weblog
 できることから始めようと思いました。
そう思ったってことは、これまでできてなかったってことで。
どうしても、完ぺきを求めちゃう。でも、完ぺきにならないと納得できなくて。そんなことは大切でもなんでもないのにね。
このブログもついつい長くなって。そのうち、長くないと書けなくなってきて。それが逆に自分を追い込んで。
やりたくてやってるはずが、いつの間にかやらされてる存在になって。
ということで、初心に戻ることにしました。なにもかも。できることからやっていくことにします。できることから。

動けば変わる

2011年01月15日 21時55分49秒 | Weblog
 てんつくマンさんの講演会に行ってきました。初めに彼が製作した映画を見て、そのあと講演会。最後に「書き下ろし」という即興で毛筆でメッセージを書くパフォーマンスがありました。とってもとってもエネルギーとパワーを感じました。
 現在、小豆島に若者を集めて、集団生活をしながら農作業、イベント等をやってます。映画の製作もし、講演会、詩人でもあり、カンボジア支援、世界各地での植林とありとあらゆる活動をしています。本当にエネルギッシュ。やりたいことを、楽しんでやってる感じ。それが世の中に大きな影響を与えていて。
 彼のブログを見てみました。昔のやつを。すると、中村文昭さんや山崎拓巳さんの名前も。こういうエネルギーのある方々はどこかでつながっているんですねえ。向かっている方向は同じでも、細かいことを言えば、考え方の相違はあるはず。でも、そんなこと気にしないで、タッグを組んで。みんな味方なんですねえ。
 彼の講演会、あまり自分の話はしませんでした。それよりも、彼がこれまでに出会ったすばらしい先人たちの話。そこに素直に感動できる。そうなりたいと願う。そんな彼が素晴らしいんでしょうね。
 植林の師匠である宮脇先生のお話が印象的でした。人生の大半を植林に費やしてきた人生。これまでに辞めたいと思ったことはないのかの問いに対し、「ない」の一言。その理由は、本気でやってないから。使命感でやってないから。自分の楽しみでやってる。だから、何にも苦痛じゃないとのことでした。楽しんでやる。なるほどです。
 「動けば変わる」彼が何度も言ってました。まず、自分が動く。そうすれば、何かが変わる。大きいことじゃなくても、小っちゃいことでも。
 こういう話を聞くと、自分のちっぽけさにガッカリします。それと同時に、「何かしなくちゃ」って思えてくる。でも、無理したって続かないとのことでした。そりゃそうだ。楽しんでやれること。自分にしかやれないこと。なんかあるはずだって。
 ここで、今一度、自分と向き合ってみようかな?何ができるんだろ?使命感じゃなくて、楽しんで。そうやって考えることも、動くことの1つだと思いますけどね。しばらくもやの中にいようかな?

バナナ

2011年01月14日 23時24分52秒 | Weblog
 普段、何げなく食べているバナナ。まったく高級品ではなくて、どっちかというと虐げられてる感があります。メロンとかイチゴとかが高級で人々に愛されてるのとは対照的に。なんなんでしょうね?
 全て何千キロ、何万キロといった遠く離れたところからやってくるのに。1房100円と言っても驚かない。それが当たり前になってる。普通に考えたら、どう考えてもおかしいのに。
 この無意識っていうのが、すごく怖いことだなって思ってます。別にバナナだけじゃなくて、コーヒー、紅茶もそうですよね。当たり前のように飲んでるけど。ものすごく遠くから来てるはず。こんなに近くにお茶だったりみかんだったりおいしいものがたくさんあるのに、あえて遠くのものを選択してるとはこれいかに。
 当然のことですが、バナナの産地の方で日本のみかんを食べたことがある人はほとんどいないだろうし、コーヒー紅茶の産地の方で日本のお茶を飲んだことがある人もいないだろうし。日本人だけができてるって違和感。
 最近、中国の富裕層が日本産の高級魚を買いあさっているとか。刺身とか寿司とかの文化が広がっていって。ものすごく醜い行為のようにテレビや雑誌などでも扱っていますが、日本人がこれまでしてきたことと変わらないんですよね。ただ、される側は気分いいものではないなってことが分かっただけで。
 何げなくを減らしていきたいと思いました。もっともっと考えなきゃ。その上で行動しなきゃ。昔、ちびくろサンボ問題が起きたのと同じです。言ってる側は何気なくで悪意はないのだけれど、言われてる側は、ってことです。いじめと同じ。
 バナナの産地の方々は日本人のことをどう思っているだろうな。なんかそんなことをふと思いました。