政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

押し出すはずが、押し出され

2007年07月02日 | Weblog
 平成12年の法改正によって、参議院比例代表選挙は候補者名を書く制度となったが、これにより各政党は数万~数十万人に名前を書いてもらえるような候補者を擁立する必要に迫られた。結局は、タレントなどの著名人か、それなりの支持団体を持つ人かに絞られていく。

 支持団体といえば労働組合も挙げられるが、当時、連合に加盟する多くの労働組合が民主党支持へと流れていった。又市征治がいた自治労も、本部をはじめ多くの組織が民主党に流れたが、又市の地元・富山をはじめ十数県の県本部では、「保守政党化し、まともに与党と対決しない民主党では組合員を守ることはできない」ということから社民党支持を打ち出していた。民間でも、まじめに運動に取り組んでいたところほど、社民党支持を貫いていたようである。

 社民党は、こうした労働組合の支持を集めることができる候補を望んでいた。またその頃、又市ら労働組合側の有志も候補者を出さなければならないと考え、候補者擁立に向けて協議を重ねていた。
 しかしこのとき又市は、自らが候補者になるとは全く考えていなかったという。

 又市は、30代半ば頃から、国政選・地方選を問わず、何度も出馬するのではないかと取り沙汰されてきた。本人にその欲があれば、とっくに議員になっていただろう。だが、いつも又市は自分の役回りをこう語って笑ったという。

 「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。…俺は駕籠に乗る人間じゃないよ。」

 実際、又市は多くの候補者を支えてきた。何ヶ月も事務所に詰め、候補者以上に走り回り、寝食を忘れて選挙に取り組むことも珍しくなかった。

 候補者の擁立について集まった面々は口々に「誰にするのか」と言っていたが、ほとんどが「又市しかいない」と思っていたという。若い頃から粘り強く組織を作り、運動を作り、仲間を守ることに体を張ってきた又市は、それだけ抜きん出ていたのだ。ところが当の又市だけは、いつもの選対の側に立って「誰を出せば良いか。」「どういう選挙の組み立て方をしようか。」と真面目に考えをめぐらせていたのだった。

 ある日、自分なりに物事を整理して、いざ打ち合わせに出かけていくと、そのメンバーが揃って「又さん、皆であんたに決めたから。」と言った。又市は、初めは彼らが何を言っているのか分からなかったが、すぐに「しまった。」と思った。いつの間にか自分の知らない内に、皆で意思統一してしまっていたのだった。又市は「ちょっと相談させてほしい。」と言った。又市はそのとき自治労富山県本部の委員長、すなわち責任者である。立場上、軽々しい返事はできなかった。

 又市は富山に帰り、富山県本部の役員たちに相談した。そこで又市は再び驚かされた。彼らはもうそのことを知っており、「全力で支えるから一緒に頑張ろう」と、逆に又市を励ます始末。もうそこまで手が回っていたのだった。

 又市は家に帰ってこのことを話したが、家族も反対しないどころか、驚きもしなかったという。又市を見てきた家族は、いつかこのような日が来ると予想していたのだった。

 そう言えば、この数ヶ月前に又市と会った早坂茂三はこう語っていた。

 「(社民党について)何とかその灯を消したくないと、純な思いからそう叫ぶ又市さんの後味はとてもさわやかだ。」

 議員を「押し出す」ことに力を注いできた又市にも、「押し出される」ときがやってきた。
 ついに又市は、参議院議員の比例代表に出馬する決意を固めるのだった。
(敬称略)

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