政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

不祥事続きの森内閣

2007年07月01日 | Weblog
 労働運動にとどまらず、知事の公認外しのために自民党本部に乗り込むという離れ業をやってのけた又市征治という男。
 先に紹介した早坂茂三が、その又市と会い、「初心を忘れ、労働貴族になる連中を見てきたが、又市さんは一味も二味も違った。」「久しぶりに、すがすがしい男に会った」「又市さんの原点は、はじめにイデオロギーありきではなく、仕事に密着した正義感だ。」「さらにいいところは55歳になっても胸の炎が燃え続けていることだね。みごとだ。」と絶賛したのも、ちょうどこの頃である。

 さてその頃、永田町では波乱が起きていた。脳梗塞で倒れた小渕恵三の後を受けて、森喜朗が総理に就いたものの、その森内閣は惨憺たる内閣だったのだ。
 「神の国」発言で非難を浴び、解散総選挙にまで及ぶが、その後も森は失言を繰り返していった。
 また、選挙後の改造内閣で官房長官となった中川秀直(現・自民党幹事長)は、右翼団体との交際や、警察の捜査対象だった自分の愛人に捜査情報を漏らしたことが発覚し、そのときの録音テープまで公開され、約3ヵ月で辞任した。
 このように森内閣の不祥事を挙げればキリがないのだが、参議院の選挙制度が変わったのも一つの不祥事がきっかけだった。

 それまでの参議院比例代表の選挙は、投票用紙に政党名を書く制度だった。そこから政党ごとの当選者数を割り出し、あらかじめ政党が提出した名簿の順位にしたがって当選が決まる制度だった。
 しかし、久世公堯という自民党議員が大手企業に多額の党費を肩代わりしてもらい、名簿の順位を上げてもらっていた事実が発覚した。つまり久世は自民党への「上納金」で順位を買い、当選を買ったようなものだったのだ。

 これがきっかけで選挙制度は変わった。候補者名で投票し、その得票の多かった候補者から順に当選していくという現在の制度になったのである。

 この制度に限らず、選挙制度というものは与党に有利になるよう作られていくものだが、この制度もそうだった。自民党には多くの支援団体がある。各団体が自民党に対して候補者を出してくるのだが、名簿順位を決めるのは簡単な作業ではなかった。
 ある団体が推す候補が名簿の上位であれば、その候補の当選は間違いないということで、その団体は手抜きをする。また別の団体が推す候補が名簿の下位であれば、その団体は推薦候補の当選をあきらめてしまい、動かなくなるのだ。

 改定後の制度では、それぞれがゼロからの出発だ。締め付けを行わなくても、それぞれが競い合って票を稼ぎ出す。落選した候補者にも、「あなたがたの努力が足りなかったのだ。」と言えばそれまでである。

 自民党の不祥事発覚から生まれた選挙制度の変更は、その後の又市征治の人生にも大きな影響を及ぼすことになるのだった。
(敬称略)

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