8月9日、母方の叔父が亡くなりました。
前日、従妹から実家に電話があったそうです。
すぐに父から電話がありましたが、従妹の携帯にかけても出ず。
叔父の自宅にかけても出ず。
他の連絡先がわからず、実家へ行き母の箪笥を物色。
メモ帳からようやく電話番号を調べた、叔父と二世帯住宅になっている
従妹の妹宅に電話。
旦那さんが出られたので、伝言をお願いし、ようやく従妹から
電話をもらいました。
お医者さんから2、3日がヤマでしょうと言われたとのこと。
母と同じ肺がんでした。
6月にがんとわかった時点では、すでに脳に転移していて、
脳腫瘍は、放射線治療で綺麗になくなったそうです。
日曜日に行くと話し、厚木の叔父と行くことにしました。
名古屋まで日帰りで行ってきました。
着いた時は、苦しそうでしたが意識があり、叔父には私たちが行ったことが
わかったようでした。
でも。
着いて1時間もしないで、逝ってしまいました。
家族から、来るよと聞かされていたので、待っていてくれたのかなぁ。
前日までは、比較的元気に病院で過ごしていたようです。
母の時もそうでしたが、肺に腫瘍が広がりだすと、本当に早い。
呼吸困難で、最後まで意識はあるので、とても苦しいそうです。
モルヒネ投与で、うつらうつらしているのが、せめてもの救いでしょうか。
家族葬の日程が12日に決まったので、当日は一旦帰宅。
昨日、葬儀のため再度名古屋へ行ってきました。
斎場近くの会館で催しました。
大きかった叔父がだいぶ小さくなったなと感じました。
家族と一緒に自宅で過ごして、叔父としっかりお別れができたと
従妹が言っていました。
納棺の儀、たる不可思議な過程。
白足袋、脚絆、手甲などを叔父に装着。
三途の川の渡し賃、紙の六文銭を叔父に渡しました。
あっさりとしたお経のあと、出棺。
叔父の姿を見る最後の時間。
お花で飾って、お酒とお水を捧げました。
斎場までは車で5~6分。
従妹の運転する車で向かいました。
喪主たちが自ら運転して向かうのも初めて。
近いからでしょうけれど、ちょっと違和感。
お骨上げは、骨壺がとてもコンパクト。
全てのお骨を納めるのではないそうで、内心びっくり。
母の時は殆んどすべて納めたので、大きな骨壺でしたが
その土地によって、こんなに違いがあるんだなということもわかりました。
ともあれ、無事に告別式を終え、厚木の叔父と帰宅。
ちょうど会社の夏休み中なので、出席できてよかったです。
幼い頃、可愛がってくれた叔父でした。
大きくなってからはなかなか会えませんでしたが、厚木の叔父の次に
馴染みのある叔父でした。
終戦の年に生まれ、70年の人生を終えました。
祖母のところに、三女(母)に次いで末っ子が旅立ちました。
人生は、いろいろなことがあり、生まれた順に去るわけでもないけれど
早いなぁ・・・
叔父の冥福を祈ります。