新宿シティーハーフマラソン
うーん、禁酒セラピーは本としてはとても楽しかった。でも僕の結論は禁酒では
なかった。僕が感じたことは、
「人生の楽しみは酒なんかじゃない」ってこと。そして、
「僕にとって仕事と酒は相性が悪い」ってこと。でも、
「酒という楽しみを全面的になくすのはいや」ってこと。
なので、仕事をするときは酒は飲まない。仕事に差しさわりのある酒は飲まない。
でも、自分の楽しみ、人とでも仕事以外のときは酒を飲む。
そんな言い訳をしながら、金曜日は楽しい人生の大先輩たちと楽しい酒(ちょっと
仕事だったんだけど)を飲みすぎてしまい、二日酔い。
で、そんな状態でやっぱ走ってもダメ。結果は1時間52分くらいで、去年よりも
落ちてしまった。当然だけど、楽しく走ろうと思ったら1週間くらいは酒、控え
なきゃね。いい勉強になりました(気づくのオソッ!)
なお、同じアレン・カーの禁煙セラピーは、なんとCD付の新版が出てます!
走れメロス ~無償の信頼 信じてうたがうことのない愛~
昨夜、友人と飲んでいて(仕事終了後です)、いろいろと考えることがあった。
彼がしたはなしで面白かったのは、太宰治の「走れメロス」。太宰の中でもこの
本は異質で、友人同士の何の見返りを求めない、そして疑念を挟まない「信頼」
をテーマにしている。実際人間には、そういう信頼をすることは、かなり難しい。
女依存で人間不信だった(と思う)太宰にとっては、「不可能」な理想をテーマ
にした本だと思う。太宰は、ある意味自分にないそのような信頼を、相手の女性
から自分への信頼という形で求めて、心中を繰り返し、最後は本当に玉川上水で
死んでしまう(太宰ファンのみなさま、曲解、お許しを)。
で、振り返って、僕の中ににはそういったことはあるのか?そういった対象は
いるのか?そういった対象がいることは、人間にとって幸せなことなのか?
僕は、去年の6月ごろから、8年ぶりくらいに鬱状態に突入し、11月に今度
は躁転した。8年前のときも同じような状況(鬱から躁転)になり、最後は
また鬱に逆戻りして、つらい経験をした。今は、きちんとクリニックに通い、
躁を押さえ、同時に鬱にもならないような薬を飲んでいる。
うつ病と、今の自分の症状は違っていて、うつ病は鬱期と回復期だけだが、
躁転することはない。うつ病患者の数%だけが躁転するといわれており、
こちらは「双極性障害」という。本好きの方なら、北杜夫とかが有名。
昔と違い今は薬も発達しているし、通っている医師も信頼しているので、
僕は社会の中で信頼をきちんと保ちながら、生活できる自信が出てきている。
しかし、先週から多少いろんなことで精神状態に波があり、上下動が激しかった。
僕は二度と自殺はしないと決めてるので大丈夫だと思ってるけど、ここ数日は
何回か自殺衝動に悩まされた。そんなときふと頭をよぎったのは、新宿シティー
ハーフマラソンで、僕のことを走っておっかけながら応援してくれた息子のこと
だった。それと、娘と友人でチャリンコで多摩川をのぼった景色だった。
そしてまた、その友人は昨夜、
「俺はあまり人を信頼しにくい性格ないんだけど、一度お前の
ことを信頼してみようかと思っている」
という提案を太宰治の話といっしょにしてくれた。
こういうことが積み重なり、僕は強くなっていけるのだろうか。
そんなことより、もっと大事なことは、表題のような愛や信頼を、
この僕自身が、与えることのできる人はいるのだろうか。
そんなことをつらつらと考えながら、夜中の街を自転車に乗って家に向かった。
(家族もこのブログ、読んでるっつーに!つれあいの立場、考えろっつーに!)