脇道に映える一輪の花の如く

一人一人の内なる力を活性化しながら、外の環境に依存することなく、自身の内側を信じながら歩き続けましょう。

幽玄の夜桜

2019-04-08 21:41:30 | 日記
幽玄の夜桜

閑散としながらしっとりと佇む闇の中

月の光を頼りに

その姿を映し出す夜桜

うっすらと透き通る薄桃色のかよわき花びらたちは

緩やかな風にたなびきながら

ゆらゆらとその姿をおぼろげに浮世立っています

健気で柔いそのその姿は

見るものすべてを魅了し、一瞬一瞬を懸命に咲き誇ることの大切さを教えてくれるようです

何も語らず、何も誇張せず、ただあるがままの姿を見せてくれています

春の一節に温かな季節が運ばれています

緩やかな時間が流れるなかで

とても短い刹那のときを優雅に精一杯咲き誇る

昼とはまた違う様相をみせながら

儚く散るその瞬間まで

命の儚さを教えてくれているようです

毎年、当たり前のように

一刻の貴重さを思い出させてくれる桜舞

春の訪れとともに

人は新たなる季節の予感を感じます

あなたの心にも懸命に咲き誇る花を咲かせましょう

散り際の間際まで一生懸命、咲き誇りましょう

このブログを読んでくださっている皆様

生まれてきてくれてありがとうございます。

不要な人など一人もいません

2019-04-08 10:10:54 | 日記
不要な人など一人もいません

当たり前のようでいて、でも本当は誰も気づいていないことです

人は何かを比較しながら生きています

大きいと小さい

長いと短い

重いと軽い

そして人間も例外ではありません

出来る人間と出来ない人間

それを意識的に行っているのか

それとも無意識に行っているのかの違いにすぎません

そもそも出来ると出来ないの差は何でしょうか?

それは、ある一つの中心としてそれにとって都合が良いかどうかというところにあります

それを自分に置き換えてみましょう

自分にとって都合が良いかどうかで人を判断していると言われれば、そんな自己中心的なことをするわけがないと怒る人がいるでしょう

でも、本当にそうでしょうか

人は生きているだけでものすごく貴重な体験をしているのです

ですが、生きていることが当たり前となった人間は、それ以上のことを望み始めます

たとえば

アレがほしい

コレはもっとこうしてほしい

アイツがいなくなれば、もっと上手くいく

そこには微笑みは消えて、険しい顔つきだけがあるでしょう

そうではなくて

全ては繋がっているのです

大元の根源から延びる命の繋がりのなかで

わたしちちは生かし合うのです

誰かのためには、究極的な自分のためになり得ます

どうか、そのことをお忘れずに

このブログを読んでくださっている皆様へ

生まれてきてくれてありがとうございます