前回の「黄河決壊事件」の続きです。
これが実際どんな事件だったのか、もう少し詳しく。
wikipediaの情報をまとめて下さり、
関連文献や参考資料からの情報も紹介して下さってる
下記ブログより引用させていただきます。
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
黄河決壊事件と揚子江堤防決壊で死者数は32万人とも89万人とも・1938年6月、支那軍の悪逆、暴虐、その極に達す!・日本軍は被災地で必死の救助作業・ウィキペディア、同盟ニュース、『抗日戦回想録』郭沫若
71年前の6月11日、黄河決壊事件が起こった。以前はそうではなかったが、最近になって『ウィキペディア』の黄河決壊事件に関する記述が非常に詳しくなっている。前半は『ウィキペディア』から重要部分を引用し、後半は『ウィキペディア』にはない文献や資料を紹介しよう。
背景
1938年6月6日に、日本は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市が攻略される様相となった。…(略)…早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た。
洪水
商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じられたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破を延ばしていた。この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの問い合わせを行っている。
6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、この作業は結果として失敗し、場所を花園口(Huayuankou)に変更して作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流れ出した[4]。そして、河南省・安徽省・江蘇省の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。
この結果として黄河の流れはその後9年間、南側へ変わり黄海に注ぐようになった。水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある[注釈]。
日本軍の対応
(略)…6月9日に続いて6月11日夜にも隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所が破壊され、二、三日前の雨で増水した水は堰を切って奔流しつつあったため12日午後5時2つの日本軍部隊は堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。洪水は刻々と広がり中牟を中心として幅約20Kmにわたり、濁水は満々として5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。幸い線路の位置が高かったため住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。…(略)
報道
中国側の虚偽発表
(略)…6月11日午前、中国国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。13日には全国各メディアにより日本軍の暴挙として喧伝された。…(略)…日本側もこの中国側の発表を否定するコメントを出した。
(略)…日本軍は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機は爆弾の代わりに麻袋を満載して氾濫した地区においてパラシュートにより投下して支援した。この作業に対し、決壊地点の対岸にいた中国軍遊撃隊は麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えて防水作業の妨害を行った。(以下略)
脚注
被災者-約1250万人、死者・行方不明者-約89万人(岩波現代中国事典)
被災者-1000万人超、溺死-数十万人(中国百科大辞典、682頁、ISBN 7-80053-835-4)
被災者-1200万人、溺死-89万人(中国革命史辞典、301頁、ISBN 7-80019-054-4)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以下、『ウィキペディア』にはない関連文献や関連資料を紹介して下さってます。
詳しくはこちらのブログにてご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/40872628.html
またwikipediaより、各国メディアの報道も付け加えておきます。
各国メディアの報道
アメリカにおける報道は被害の規模を伝えるのみにとどまり、『ブルックリン・デーリー・イーグル』紙が6月16日に「日本軍が必死の救助活動をしている」と報じた程度だった[26]。日本の『同盟旬報』は「アメリカでは災害が人災であることを伝えていない」と報じている[26]。
英国では事件が日本軍の砲撃で引き起こされたとする中国側の説明に無理があることを示しながら双方の主張を伝えた[23][24][21]。ロンドン・タイムズは事件をスペインと戦ったオランダ人のように中国人は堤防を破壊して日本軍の進撃を止めたと報じ、中国のプロパガンダは額面通りに受け取られるべきではないと断った上でそれによると日本人の被害が5千人とし、日本側はこれを否定しながらも日本軍の動きが制限されたことを認めたことを伝えた上で、この事件が中国の長い歴史の中においてさえ比類のない大災害の恐れがあるとし、国際連盟から送られた専門家の支援による治水と公衆衛生向上のための巨大な建設作業を無に帰したことを指摘した[21]。
フランスでは6月9日上海発アヴアス電は漢口からの報告として中国軍は黄河の堤防破壊による洪水で日本軍の進撃を阻止し、日本兵は5千溺死という類の報道により中国側の成功として紹介されたため10日以降、左翼系の新聞を中心にパリの各紙が取り上げた[22]。
駐仏中国大使館は6月15日夕方、黄河決壊に関するコミュニケを各通信社・新聞社に送った。その中で15日漢口来電として事件を起したのは日本であるとしていたが16日の各紙朝刊は全くこのことを掲載しなかった[22]。6月17日にはフランス急進社会党機関紙「共和報」は黄河決壊事件は中国軍による自作自演であり[20]、主筆ピエール・ドミニクの論説では「中国軍の黄河の堤防破壊は下級軍人の個別の行動ではなく、有識者が熟慮の末に、重大な責任を自ら負って準備決行したものである」としている[26]。
スペインのディアリオ・バスコ紙は6月19日の社説において「中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水に勝る大水害を起こそうとしている。中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に晒され、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない」と伝えている[27]。
ここで気になる点をいくつか。
ロンドン・タイムスでは
中国のプロパガンダは額面通りに受け取られるべきではないと断った上で
となっており、当時から中国の情報を疑っていたことが伺えます。
また、中国の長い歴史の中においてさえ比類のない大災害の恐れがあるとしと、
この事件が及ぼす影響を深刻に受け止めてもいます。
中国のプロパガンダはこの時代からすでに警戒されていた事も分かりますね。
フランスについては、急進社会党が機関紙において
黄河決壊事件は中国軍による自作自演と名言してるわけですが、
左翼側の新聞が中国の言い分をそのまま伝えてるともあり、
この辺はもう少し実際どうだったか調べたいところであります。
さて、私は歴史に全く疎いので、
上海発アヴアス電は漢口からの報告として
の「漢口」が何の事か分からず調べてみたんですが、
ここから先ほどのロンドンタイムス紙の断り文句を裏付ける、
「漢口・九江イギリス租界奪取事件(1927年1月)」というものにたどり着きました。
昭和2(1927)年1月5日に、当時、支那革命運動のターゲットとされたイギリスの居留民が虐殺され焼き討ちに遭い、条約によって認められていたイギリス租界が支那軍によって武力接収された。租界で守備に当たっていたイギリス義勇兵と国民政府宣伝隊の衝突をきっかけに暴徒と化した支那の民衆が租界になだれこみ、掠奪の限りを尽くした。国民政府はこれに便乗してイギリス租界を武力奪還してしまったのである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1921-30/1927_igirisu_sokai_dasshu.html
なるほど、そりゃあ警戒しますよね。当然。
この時日本は外務大臣が出兵を拒否した事で、中国の侮日感情が高まり、
「南京大虐殺」とは全く異なる「南京事件」が起きた、というわけですね。
なんかこの辺、次から次へとまさに芋づるという言葉の通り、
中国がやってくれた事件がちゃんとした繋がりを持って出てきますね。
話が逸れるので、この先は別エントリにて書くことにしますが、
日本人の大人全員がこの流れを抑えておけば、
中国の言う事やパンダなんかに騙されずに、今の情勢も変わるはず、
という話ですね。
そしてスペインのディアリオ・バスコ紙社説より。
しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し
一言たりとも抗議する声を聴かない」と伝えている
この状況は文化大革命やチベットの件でも同じですね。
不思議に思うのは、結局のところ中国の問題は、
他に糸を引いてる人がいるんじゃないかってくらい、
他国からの軍事介入などがなかったりするところですが、
どちらにしても、この当時からその様子は変わっていないわけで。
これ、イギリスの方々はこういう話知ってるのか?って事も気になりますし、
何より本来本土の中国人が、自衛の為に知っておくべき事じゃないのか?
って事も思ったりしますね。
日本が悪いと騒いでる間に、自国の人間にさくさく殺されてんじゃないですか。
とにかくまずは、今このときだからこそ、
一人でも多くの日本人にこの事件を知ってもらえる事を願ってます。
日本人が事実に目を向けるだけで、世界が変わります。
これが実際どんな事件だったのか、もう少し詳しく。
wikipediaの情報をまとめて下さり、
関連文献や参考資料からの情報も紹介して下さってる
下記ブログより引用させていただきます。
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
黄河決壊事件と揚子江堤防決壊で死者数は32万人とも89万人とも・1938年6月、支那軍の悪逆、暴虐、その極に達す!・日本軍は被災地で必死の救助作業・ウィキペディア、同盟ニュース、『抗日戦回想録』郭沫若
71年前の6月11日、黄河決壊事件が起こった。以前はそうではなかったが、最近になって『ウィキペディア』の黄河決壊事件に関する記述が非常に詳しくなっている。前半は『ウィキペディア』から重要部分を引用し、後半は『ウィキペディア』にはない文献や資料を紹介しよう。
背景
1938年6月6日に、日本は河南省の中心地である開封市を占領、鄭州市が攻略される様相となった。…(略)…早急な対策が求められた国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た。
洪水
商震将軍は蒋介石から日本軍前衛部隊の背後を突くように堤防爆破を命じられたが、国民党軍の撤退が終わるまで爆破を延ばしていた。この間、蒋介石は何度もその爆破が行われたかの問い合わせを行っている。
6月7日には中牟近くで爆破が行われたが、この作業は結果として失敗し、場所を花園口(Huayuankou)に変更して作業が進められ、6月9日午前9時に作業が終了し黄河の水は堤防の外に流れ出した[4]。そして、河南省・安徽省・江蘇省の3省の土地54,000平方kmを水浸しにした。
この結果として黄河の流れはその後9年間、南側へ変わり黄海に注ぐようになった。水没した範囲は11都市と4,000の村におよび、3省の農地は農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われるが被害の程度については諸説ある[注釈]。
日本軍の対応
(略)…6月9日に続いて6月11日夜にも隴海線中牟の西方20Kmの地点で黄河の堤防3箇所が破壊され、二、三日前の雨で増水した水は堰を切って奔流しつつあったため12日午後5時2つの日本軍部隊は堤防修理に出動し、開封治安維持会からも50名以上が自発的に応援に出た。洪水は刻々と広がり中牟を中心として幅約20Kmにわたり、濁水は満々として5m弱の高さを持った中牟城壁は30cm程度を残すだけとなった。幸い線路の位置が高かったため住民は線路伝いに徒歩で東方に避難した。日本軍は筏船百数十艘を出して住民とともに救助活動を行い、同時に氾濫した水を中牟付近から別の地域に誘導するために堤防と河道を築いた。…(略)
報道
中国側の虚偽発表
(略)…6月11日午前、中国国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信した。13日には全国各メディアにより日本軍の暴挙として喧伝された。…(略)…日本側もこの中国側の発表を否定するコメントを出した。
(略)…日本軍は住民とともに土嚢による防水作業を行い、日本軍の航空機は爆弾の代わりに麻袋を満載して氾濫した地区においてパラシュートにより投下して支援した。この作業に対し、決壊地点の対岸にいた中国軍遊撃隊は麻袋の投下開始直後からその航空機と地上で防水作業中の住民に激しい射撃を加えて防水作業の妨害を行った。(以下略)
脚注
被災者-約1250万人、死者・行方不明者-約89万人(岩波現代中国事典)
被災者-1000万人超、溺死-数十万人(中国百科大辞典、682頁、ISBN 7-80053-835-4)
被災者-1200万人、溺死-89万人(中国革命史辞典、301頁、ISBN 7-80019-054-4)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
以下、『ウィキペディア』にはない関連文献や関連資料を紹介して下さってます。
詳しくはこちらのブログにてご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/40872628.html
またwikipediaより、各国メディアの報道も付け加えておきます。
各国メディアの報道
アメリカにおける報道は被害の規模を伝えるのみにとどまり、『ブルックリン・デーリー・イーグル』紙が6月16日に「日本軍が必死の救助活動をしている」と報じた程度だった[26]。日本の『同盟旬報』は「アメリカでは災害が人災であることを伝えていない」と報じている[26]。
英国では事件が日本軍の砲撃で引き起こされたとする中国側の説明に無理があることを示しながら双方の主張を伝えた[23][24][21]。ロンドン・タイムズは事件をスペインと戦ったオランダ人のように中国人は堤防を破壊して日本軍の進撃を止めたと報じ、中国のプロパガンダは額面通りに受け取られるべきではないと断った上でそれによると日本人の被害が5千人とし、日本側はこれを否定しながらも日本軍の動きが制限されたことを認めたことを伝えた上で、この事件が中国の長い歴史の中においてさえ比類のない大災害の恐れがあるとし、国際連盟から送られた専門家の支援による治水と公衆衛生向上のための巨大な建設作業を無に帰したことを指摘した[21]。
フランスでは6月9日上海発アヴアス電は漢口からの報告として中国軍は黄河の堤防破壊による洪水で日本軍の進撃を阻止し、日本兵は5千溺死という類の報道により中国側の成功として紹介されたため10日以降、左翼系の新聞を中心にパリの各紙が取り上げた[22]。
駐仏中国大使館は6月15日夕方、黄河決壊に関するコミュニケを各通信社・新聞社に送った。その中で15日漢口来電として事件を起したのは日本であるとしていたが16日の各紙朝刊は全くこのことを掲載しなかった[22]。6月17日にはフランス急進社会党機関紙「共和報」は黄河決壊事件は中国軍による自作自演であり[20]、主筆ピエール・ドミニクの論説では「中国軍の黄河の堤防破壊は下級軍人の個別の行動ではなく、有識者が熟慮の末に、重大な責任を自ら負って準備決行したものである」としている[26]。
スペインのディアリオ・バスコ紙は6月19日の社説において「中国軍は黄河の堤防を破壊してノアの大洪水に勝る大水害を起こそうとしている。中国の中部地域における70万平方キロメートルの地域が水没の危機に晒され、7千万の住民が大洪水の犠牲となろうとしている。しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し一言たりとも抗議する声を聴かない」と伝えている[27]。
ここで気になる点をいくつか。
ロンドン・タイムスでは
中国のプロパガンダは額面通りに受け取られるべきではないと断った上で
となっており、当時から中国の情報を疑っていたことが伺えます。
また、中国の長い歴史の中においてさえ比類のない大災害の恐れがあるとしと、
この事件が及ぼす影響を深刻に受け止めてもいます。
中国のプロパガンダはこの時代からすでに警戒されていた事も分かりますね。
フランスについては、急進社会党が機関紙において
黄河決壊事件は中国軍による自作自演と名言してるわけですが、
左翼側の新聞が中国の言い分をそのまま伝えてるともあり、
この辺はもう少し実際どうだったか調べたいところであります。
さて、私は歴史に全く疎いので、
上海発アヴアス電は漢口からの報告として
の「漢口」が何の事か分からず調べてみたんですが、
ここから先ほどのロンドンタイムス紙の断り文句を裏付ける、
「漢口・九江イギリス租界奪取事件(1927年1月)」というものにたどり着きました。
昭和2(1927)年1月5日に、当時、支那革命運動のターゲットとされたイギリスの居留民が虐殺され焼き討ちに遭い、条約によって認められていたイギリス租界が支那軍によって武力接収された。租界で守備に当たっていたイギリス義勇兵と国民政府宣伝隊の衝突をきっかけに暴徒と化した支那の民衆が租界になだれこみ、掠奪の限りを尽くした。国民政府はこれに便乗してイギリス租界を武力奪還してしまったのである。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1921-30/1927_igirisu_sokai_dasshu.html
なるほど、そりゃあ警戒しますよね。当然。
この時日本は外務大臣が出兵を拒否した事で、中国の侮日感情が高まり、
「南京大虐殺」とは全く異なる「南京事件」が起きた、というわけですね。
なんかこの辺、次から次へとまさに芋づるという言葉の通り、
中国がやってくれた事件がちゃんとした繋がりを持って出てきますね。
話が逸れるので、この先は別エントリにて書くことにしますが、
日本人の大人全員がこの流れを抑えておけば、
中国の言う事やパンダなんかに騙されずに、今の情勢も変わるはず、
という話ですね。
そしてスペインのディアリオ・バスコ紙社説より。
しかし英、米、仏いずれからもこの世界に前例なき人類一大殺害に対し
一言たりとも抗議する声を聴かない」と伝えている
この状況は文化大革命やチベットの件でも同じですね。
不思議に思うのは、結局のところ中国の問題は、
他に糸を引いてる人がいるんじゃないかってくらい、
他国からの軍事介入などがなかったりするところですが、
どちらにしても、この当時からその様子は変わっていないわけで。
これ、イギリスの方々はこういう話知ってるのか?って事も気になりますし、
何より本来本土の中国人が、自衛の為に知っておくべき事じゃないのか?
って事も思ったりしますね。
日本が悪いと騒いでる間に、自国の人間にさくさく殺されてんじゃないですか。
とにかくまずは、今このときだからこそ、
一人でも多くの日本人にこの事件を知ってもらえる事を願ってます。
日本人が事実に目を向けるだけで、世界が変わります。
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