農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

壊れオギーについて

2006年03月04日 22時30分53秒 | げんしけん
最近@wikiの更新に追われているすっとこさんです。しかし3日間更新を続けているのに、まだ第4話の途中までしか行ってません。現在に追いつくのに何日かかるんでしょうか。とんでもねー事始めちまったよ感でいっぱいです。本当にありがとうございました。

さて「でも私は男の人とはつき合わないんです」について書かなければならない。てゆうか第45話全体の流れについて書く。長くならないといいけど。

そんなこんなで最初からの流れを追えばいいので、どこの部分から記述すれば理路整然と話を進められるか考えないで済むのが楽。冒頭のセリフ「二日酔いの介抱だなんてありがちなシチュエーションに引っ掛かるもんか」だが、既にこの段階で笹が自分を意識している事、大野一派が笹荻をくっつけようと意図している事にオギーは気づいていると判断して間違い無い。この台詞だけ見れば、笹原さんとカップルになる事なんか絶対に御免だと思っているオギーだが、その意図は再三すっとこさんが指摘している通り、男の人とつき合う事は巻田くんの事を蒸し返される事なのだが、オギーの台詞には巻田くんの事がすっぽり抜け落ちており、男の人とつき合わない事自体が目的化してしまっている。

ここで「内的自己」「外的自己」という概念を導入する。岸田秀の著作で多用されているがオリジナルはR.D.レイン『ひき裂かれた自己』らしい(マイメモ)。「内的自己」は本人の真の自己、「外的自己」は外の世界と関係を持つための自己である。例えて言うならそれぞれ「本音」と「建前」に相当するかもしれないが、ポイントは「内的自己」は抑圧されたものごと、自我から意識されない部分に置かれているという事である。つまり自分では「外的自己」が自分自身だと思っているが、真の自己は「内的自己」にある。まぁたいていの人間は内的自己と外的自己に深刻な葛藤が存在しないので、うまく使いこなして外の世界と自分自身に折り合いを付けて生きていくわけだが、内的自己と外的自己の亀裂が激しくなると、この2つが引き裂かれる。そして最悪の結果、内的自己を守るために外的自己が破壊される。これは発狂や精神分裂病(統合失調症)という形で現れる。というわけで電車の中でブツブツ言ってる危ない人も、それなりに論理的なプロセスを経て向こう側に行っちゃってるのである。問題なのが論理的に向こう側に行っちゃってるだけに、帰ってくるのが結構……、以上、この項はすっとこさんが自己流で解釈しているので、細部が多分間違ってますが、気にしないで下さい。気になるなら間違いを指摘しる。うわ勝手だ。

さて、ここでちょっとオギーの「ありがちなシチュエーションに引っ掛かるもんか」を考える。とにかくオギーの外的自己は抑圧された内的自己が出てこないように笹原とつき合う事を拒否している。何故内的自己を抑圧するのかは実はまだ説明ができないすっとこさんであった。精神分析に自我が隠しておきたい抑圧されたものを暴こうとすると「抵抗」という、原因が意識に出てくることを回避しようとする働きがあるが、それとうまくからめて解説を考えよう。とにかく、このオギーの場合「好きな人に迷惑をかけてしまった」トラウマが笹に対して、「絶対に笹原さんに迷惑をかけない」という形で出ているものと思われる。この2つの関係は「まるで悪夢の続きだ」という台詞から、「自分が迷惑をかけてしまった巻田」と「自分の二日酔いで旅行なのにどこにも行けない笹」という関連性をオギーは認めている。それゆえにオギーは笹原にはどっか出かけてほしいし、水が欲しくても、笹に自分のために働かせない→迷惑をかけないという思考が働き、「寝言が出ちゃったみたいで……」とか誤魔化すのである。持ってきて貰っちゃえば何てことはない事なんだけど。昼飯を買いに行く件は以上の件と、本当に食欲が無いのとの両方かな。

ところで余談だがオギーの悪夢、ポイントは「(1)中島が自分を冷笑している」「(2)自殺した自分が巻田くんになっている(荻上が巻田を殺している)」「(3)自分が死ぬ巻田を冷笑している」の3つがポイントだが、……これについては次回「中島について」で語ろう。

んで、悪夢から覚めたオギーが言う「……こんな事されたら私どうしたらいいかわかんないじゃないですか……!」だが、結局笹原はどこにも行けなかったため、オギーが恐れていた、笹原に迷惑をかけるという事態が現実化してしまったのである。つまり「もう2度と好きな人に迷惑をかけたくないのに、またかけてしまった」という抑圧しているものが出てきてしまったのですね。しかし笹のその後の告白の台詞「好きだからここにいるし、守りたいと思うし」は、オギーの外的自己を一発で突き破り、内的自己にダイレクトに突き刺さる決定的な告白であった。てゆうかこの部分、うまく言葉にできねぇ。とにかく、オギーが内的自己に抑圧しているものをダイレクトに鷲掴みする笹の告白に、一瞬心を開こうとするオギーだが、外的自己が巻田くんの事を思い出し、再び抑圧しようとする。この外的自己と内的自己の葛藤がオギーを壊れさせた。一時的な発狂、と言うと差し障りがあるので一時的な混乱に追い込んだとする解釈が成り立つ。あるいはオタクに責任転嫁しないで、男の人とはつき合わない→原因は自分であると笹原に告白するというのは、外的自己を一部破壊して内的自己を露出させており、これが一時的な混乱につながっているという解釈もできるのかな? あー自分の中でもうまく消化できてねーもんだから読み返しても自分で何言ってんだかわかんねー。すまん。

その内的自己を見つめる覚悟を決め、過去から逃げないという決心をするのが第46~47話の展開である。この部分の解釈は……やれるのか?

これも余談だが笹の告白前段の「……下心みたいな?」の解釈だが、これは笹が自分一人コテージに残ってオギーの世話をするのが確かに「わざとらしすぎないか?」と自分で言ってしまうほど、下心が見え見えなのを自分でも十分承知しているので、ついつい本心を言ってしまったのである。笹はいい意味でも悪い意味でも。自分の感情を相手にそのまま言う事に躊躇を覚えない。自分が思ったことを相手にそのまま言うのは誠実な事、と言うか当然の事だと思っている。良く転べば「たつよね」から「キャラクターへの愛に溢れてるよね」みたいな相手の心にヒットするが、悪く転べば原稿ほとんどできてねぇよ会議みたいになる。しかし笹は意味それが当然の事だと思っているので、オギーが自分の事どう思ってるのかとか、「それはどういう……」と、相手の言いづらくてしょうがない事をはっきり言って貰わないと不安でしょうがない。「自分なら相手にこう言う」と思っているわけだから。本来そういう人は強気攻めにはなれない。強気攻めってのは本気で拒否されるリスクを許容できないと成立しないので、人から拒否されるリスクを極端に恐れる笹は、やはり強気攻めには向いてない。ただし、オギーとの間でのロールプレイングという形ならできるだろうな、くそ。羨ましいぞ。

というわけで第45話の解釈は終了。勉強不足のためかなり荒削りだが、だいたいの所は説明できていると自分では思ってるんだけど、説得力あるのかな。しかし俺よりもっと精神分析に詳しいげんしけん読者がいれば、あっさり論争に負ける覚悟はあるぜ、情けなー。

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