農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

「五年生」を(略略)読み解く

2006年06月04日 00時02分26秒 | げんしけん以前
武蔵野公園まで聖地巡礼に逝ってきた。聖地巡礼は楽しい。しかし「五年生」の聖地巡礼なら、筑波大とか木更津に行けよと思うが、なんかこっちの方に呼ばれたのよねぇ。「久我山」という土地も通ったので良しとしよう。それにしても武蔵野公園で、久我山で、裕介のアパートが三鷹だったり、あと中央大があの辺な事を含めて、あの辺になんかあるんですか? 出身地?

ちなみに写真は上から4巻の174、175ページ。ベンチにナイフの傷はありませんでした。付けてくればよかったかな。ムジナ坂も撮ってきたよ。

聖地巡礼をしながらいろいろ思索を巡らせていたが、夢枕獏から思考を転がしていると、なんか気になる。芳乃さん×河合くんと、吉村さん×アキオの二重構造から始まり、「五年生」は、二重構造がキーワードっぽい。ざっと挙げると、ラブホシーン2回、オナニー2回、吉村さんが買い物で人に会うの2回、アキオも芳乃さんも別れた前後に新しい相手がいる相似、芳乃さん一家のシーン2回。まぁこじつけっぽいけど最後まで聞いてくれ。んで、物語の最初と最後で芳乃さんとアキオは結ばれているが、その間は離れており、相互が交わらない。となると、夢枕獏ファンなら思い浮かぶ作品がある。「上弦の月を喰べる獅子」である。この作品、あとがきによると「物語自体が、遺伝子の二重螺旋の構造を持った物語である。本自体の構造も、二重になっている」「そして、さらには、人称や文体までもが進化していく物語である」とある。つまり、木尾士目がマンガで「上弦の月を喰べる獅子」をやろうとした、とするなら、「五年生」にある不可解ないくつかの謎がすっきり説明できる……ような気がするのだが、何しろ今日、すっとこさんの思い込みで考えたので、本当かどうかなんて全くわからない。しかし特に絵の変化とか、いくつかの点で納得が行くので、しばらく考えてみよう。夢枕獏は「上弦の月を喰べる獅子」に救われたと書いているが、木尾士目は「五年生」によって自分を救い、クラカチットで決意表明をして、げんしけんで覚悟を決めた、と説明すると美しいね。

ああそれから、吉村さんの正体がわからず、考察を止めてたが、今日になってようやく傍証を発見した。5巻43ページ左上。「あの彼氏と続いてたらマジやばかったけど(大学入れなかったわ)」と、62ページ「あははそれじゃ性感じゃん」(何故その単語が一発で出る?)。えーと、浪人時代に何かあって、ひょっとして、マジで風俗で勤めてませんか吉村さん? してみると、42~43ページの、口でするのが妙に慣れているとか、偽風俗嬢という言葉への反応とか、なんかこー、男の体に散々奉仕してきて、体ではなく心で結ばれたい、という欲求がある、という解釈をすると、なんかしっくり来るんだけど、証拠があまりにも無い。2巻あたりで自分が醜い事を一人だけ自覚しているとか、「色々あって一浪している」とか、あーもー、証拠出てきた出てきた。色々あったって何があったんですかー! これに気付くと、吉村さんの分析ももっかいやらんといかんのかー!うひー!

しっかしこの分析、いつになったら終わるんだトホホ。だいたいだなぁ、「五年生」は「げんしけん」が売れるまで重版かかってないわけで、金銭的な見返りがほとんど無い上に、ここまで怨念のこもった作品を作るのにどれだけ強烈な怨念が必要だって事だ。本当に「自分のためだけのマンガ」だよなぁ。それが「クラカチットの街」で頂点を極めて、十分に怨念を発散させた所で「げんしけん」に入ったわけだが、笹荻編で、昔は怨念でやっていた事を、エンタテイメントでやろうとしたとゆー理解をしているんだが、本当かねぇどーだかねぇ。

というわけで30話。きっちり落ち込んでいるアキオです。「肉欲と愛情を混同していた」と言ってますが、芳乃さんが「そんな事言ったら誰とも付き合えないよ」って言うのも、河合くんや昔のアキオの場合は態度だけだったわけですが、言葉にすると冷静に判断できる、って事でいいのかな。あとまぁ、男……と一般化せずに、「肉欲と愛情を混同している男」は基本的にいつだってヤリたいもんである。でも女性にはヤリたい時とヤリたくない時があるのは事実で、そうなると、女性がヤリたくないのがわかっているのに、求めるのを抑えられないのは罪悪感になる。女性も素直に「ごめーん今生理で血まみれ」とかウソでも言ってくれれば素直に引き下がると思うんですがどうですか?
182ページの「会いたいって言ったら……怒るか?」が、「陽炎日記」の「『何があったのか』ときくべきかどうか悩んでる」を髣髴とさせる、と書いた所で、やっぱりその3ページ後に「恋愛とSEXは直結してるの?」ってテーマは同じやんトホホ。唯言論的に言うなら、人間は本能が壊れているので、本能ではみかんできないので、仕方なく恋愛を発明した、となるところなので、つまり恋愛とはみかんをさせる手段の事であるとあっさり結論付けちゃうよ? つまり愛情はみかんを伴うのを確認しているのが「陽炎日記」。みかんから愛情が伴う場合がある、つまり肉欲と愛情の混同OKというのが「陽炎日記2」のテーマか。本当かよ。てゆうか、「陽炎日記」「五年生」を、リアルな恋愛、で片付けるなーって気がしてきた。

話がずれた。「会ったら普通に戻れる」と言っているが、アキオは以前の無愛想男から、既に丸くなって、人を受け入れる「普通」の人になっている事に注目。つまり芳乃さんに会うのは、普通に戻るためではなく、普通であることを確認する作業であると思われる。もちろん原因は吉村さん。芳乃さんに何言われても簡単に引き下がるアキオ。なんか思惑通りに話が進むので、ついうっかり小自爆してしまった芳乃さん。「保険になるでしょ」とか、昔のアキオなら怒りかねない言葉も「ははっそうだな」なんて芳乃さんにしてみれば意外なセリフも出てくる。でも電話を切った後の、アキオの嬉しそうな顔はわかるんだけど、芳乃さんの微妙な表情は何だ。

いよいよ最終話。タイトルが「ダメ男とさせ子」。ダメ男はいいとして、芳乃さんはさせ子なのか。まぁ童貞好きとして、やりたくてやりたくてしょうがない童貞にやらせてあげる女子、と言えばいいんだろうが、実際童貞にしてみれば神みたいな存在だろうがねぇ。うーん、なんか今日、うまい分析できないや。ラストなんだから、ちょっとリキ入った分析しないといけないんで、明日に続こう。すっとこさんは仕事中が一番ひらめく。

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