気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

顔振峠(かあぶりとうげ)

2022-04-16 11:38:30 | 登山に通った峠道
こんにちは!
新たなカテゴリーとして登山に通った峠道を加えてみたい思います
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外はほとんど素通りして記録に残っていないのが
現状です 年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、 
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所 
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
第十九弾として奥武蔵 顔振峠(かあぶりとうげ)を掲載してみたいと思います
秩父春キャンプの帰り道、寄り道した峠道

顔振峠(かあぶりとうげ)
顔振峠とは、奥武蔵の東部、埼玉県飯能市と越生町にある峠である
標高500m 峠には三軒の茶屋があり、奥武蔵グリーンラインや
関東ふれあいの道の休憩場所として賑わう

峠にある案内板によると、平安時代、源義経が京落ちで奥州へ逃れる際、
あまりの絶景に何度も振り返ったため
また、その際のお供の武蔵坊弁慶があまりの急坂に顔を振りながら
登った等が名前の由来になったと説明されている

幕末、新政府軍に追われて逃れてきた、幕府の振武軍の
「渋沢 平九郎(渋沢栄一の養子)」が立ち寄って
女主人に道をたずね、大刀を預けた峠の茶屋が今も残っています
峠の茶屋は現在、平九郎茶屋として営業しています

平安時代、源義経が京落ちで奥州へ逃れる際、立ち寄った峠
幕府の振武軍の「渋沢 平九郎(渋沢栄一の養子)」が立ち寄った峠
顔振峠(かあぶりとうげ)歴史の記念碑

顔振峠
明治維新の際 振武軍の参謀「渋沢平九郎」は 飯能での戦に敗れ
単身顔振峠に落ち来たり 峠の茶屋にて草履をもとめ
その代価として刀を預け 店主に秩父路の安全なるを聞くも
遠く故郷の大里の空を見て 望郷の念やみがたく
黒山に下りて官軍に遭遇し 川岸の岩に座して観念の自刃を遂げた(平九郎茶屋)

源義経、お供の武蔵坊弁慶が顔を振りながら見たとされる景色



顔振峠周辺の案内図


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう





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