何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

血は水よりも濃い?嘘だ!・・・・・・・・冷たい心を溶かしてくれた祥一郎

2016年03月27日 | 死別体験
愚痴らせて欲しい。

いい歳をして、今更と思う面もあるけれど、今夜は愚痴らせて欲しい。


血は水よりも濃いという・・・・・・・・・・

幼少頃から両親の愛情に恵まれず、それどころか父親はヒロポン中毒でDVの権化。
母親は三回変わり、いずれもそんな父が嫌で逃げてしまった。

祖父母との縁は薄く、可愛がってもらったためしがない。

祖母は弟を可愛がり、祖母は兄を可愛がっていた。まあ、私一人が父親に引き取られて早くから祖父母と離れていたからそれも理由なのだろうが。

そのお陰で父親のDVの餌食になった幼少期であったが。

父が女に逃げられ、子だくさんの親戚にたらい回しにされ、疎ましがられ、結局最後は大阪でひとりくらしていた祖父の元に預けられるが、弟一番の祖父とはやはりそりが合わず、殆ど家庭内暴力寸前までいった。

祖父は兄に対しては、古い人間で韓国人特有の儒教精神からなのか、何は無くても長男という面があった。

祖父が亡くなる時、今わの際に呟いたのは、兄と弟の名前だけだったそうだ。

要するに次男の私はみそっかすだったのだ。

そんな家から早く抜け出したくて、10代後半には蒸発同然にその家を脱した。

長年連絡もせず、たまに会いたいとも思わなかった。

まあ大阪市内の近くに居たのだが、警察に捜索されたこともないだろう。すればすぐ見つかる距離に居たのだから。

要するに、両親祖父母兄弟、親類縁者に関して、良い想い出というのが皆無なのだ。

私の人生の訓辞は、

「血は水よりも薄い。」

だった。そうなっても当然の多感な幼少期から青春期だった。


そして一人で何とか暮らし始め、収入を得ようとするが、十代後半の小僧っ子が考えることなどたかが知れている。

将来性もない、享楽的なだけの水商売を20年近くもやり、結局身体を壊して辞めることになる。

スキルも磨かず、学歴もないので、その後の仕事もろくなものに就けず、生活はいつも自転車操業のようなもの。


性格も歪んでいったのだろう。
人を人とも思わず、優しくも出来ず、いつも他人を疑ってかかり、人を愛することなど考えもしなかった。そして愛される人間になろうとも思わなかった。



こんな人間が、愛する人と家族になる?まったく想像の域外でしかなかった。

そう、祥一郎と出逢うまでは・・・・・・・・・・・・。

「僕はおっちゃんのこと、好きだよ。」と言ってくれる人と出逢えるとは・・・・

恋人と言っていい時期もあった。その後パートナー、伴侶、そしていつも居て当たり前の人、居なくてはならない人、居なくなったら自分自身の存在価値も無くなる人・・・・・・

関係性は徐々に変わっていったが、それでも祥一郎はこんな私を「好きだよ。」とときおり言ってくれた。

それまで人を愛する事を知らない、氷のような心で生きてきた私に、祥一郎は温かい人の温もりを注いでくれたのだ。

この20数年間、それまで不遇な人間関係しか無かった私にとって、ああこの世も捨てたもんじゃないと思えた年月だった。

喧嘩したことも、離別の危機があったことも、今となってはそれができたことが嬉しい想い出だ。

愛していたからこそ、出来たことなのだから。


なぜこの20数年の終わりが、私の命の終わりでは無かったのだろう。

なぜ祥一郎だけが、この世から離れて行ったのだろう。

散々な目に逢ったのだから、死ぬ時も一緒にしてあげようという、運命の女神の情がなかったのは何故なんだろう。


自分の寿命があと何年ほどあるのか知りたい。

あと数年と言うのであればまだ我慢も出来るかもしれない。しかし、あと何十年も生きるとしたら、私はその人生を降りる方向に動くかもしれない。

祥一郎・・・・・・・・

お前はそっちの世界で力をつけて、おっちゃんを穏やかに速やかにそっちへ行けるように計らってほしいよ。

もうまたあの、氷のような心で生きるのは嫌だ・・・・・・・・・・・。

苦労をかけたね‥‥‥祥一郎‥‥‥‥‥

2016年03月26日 | 菩提を弔う
「苦労をかけたね・・・・・・・・」


そう祥一郎に伝えられずに、この世とあの世に隔てられてしまったことが悔しい。

思えばあいつと出逢ってから、私の転職は7~8回、転居が5回。


私の生々流転の人生に付き合わせてしまった。

祥一郎にも多大なストレスを与えてしまったことだろうと思う。


別に好きでそんなに転職したわけではない。

店長をしていた店が人手に渡り、給料がまともに払われなくなったり、酒を飲む商売なので、身体を壊したり。
水商売を辞してからも、新たな事業の店舗に勤めたはいいが、すぐ潰れてしまったり、部署そのものが廃止になったり、わたし個人がリストラに遭ったり。

そんなことの連続だった。好きで辞めた仕事など殆ど無い。

そしてそれに伴って、オーナーから借りていた部屋を出ざるをえなくなるので、転居も多くなってしまった。


それに加えて、なまじ東京にも大阪にも縁があったので、東京から大阪、そしてまた東京に逆戻りという、この20数年間だった。


まあ、幼少期から東京大阪を親の都合で行ったり来たりの人生だったから、成人してからもそれから逃れられなかったわけだ。

祥一郎と出逢う何年も前に、ある占い師に、「貴方、今の職場を辞めたら、もう二度と安定した仕事に出会えないわよ。」
と言われたことがある。妙に引っ掛かっていたその言葉通りの人生になってしまったわけだ。


私はどちらかというと保守的な方だ。

ひとところに落ち着いてずっと過ごしたい性分だ。逆にそういう人生だったからこそそんな性分になったのかもしれないが。

辞める必要の無い安定的な仕事、転居する必要の無いそれなりの住まい。

それらがあったなら生活も安定し、祥一郎と出逢ってからもそれほどストレスを感じさせずに済んだかもしれない。

いや、なにより祥一郎の健康にもっと気を配ってやれたかもしれない。


祥一郎に言われたことがある。

「だって、またいつ引っ越しになるかも知れんし、おっちゃんが仕事変わるかも知れんし、うちだって落ち着いて仕事探されへん。」

確かにそうだと思う。逆の立場でも私はそう思っただろう。


それでも出逢ってから10年くらいは、祥一郎は途切れ途切れでもそれなりのアルバイト等をしてくれていた。

そして東京へ舞い戻る少し前に肝炎で入院、別の病気の発覚。

祥一郎の立場からすれば、それ以降は自分の人生に落胆しても当然と言えば当然だろう。

「あーあ、こんな人についてきたばっかりに・・・・・・」

などと思っても不思議ではないと思う。


それでも祥一郎は着いてきてくれた。

収入は減る一方で、生活は苦しくなるばかり、部屋も粗末な部屋を選ぶしか無く、日々の暮らしに汲々とした後半の10年余りだった。

そんな私に祥一郎は、

「うちはなんだかんだ言うても、おっちゃんの事が好きやで。」

と言ってくれた。

事実、好きでも無ければこんな不安定な甲斐性の無い男については来ないだろう。

こんな私に「好きだ。」と言ってくれた唯一の存在、祥一郎。

・・・・・・・・・・・・・・・・


ごめんね、祥一郎。

おっちゃんもっと暮らしを良くしようとしたけど、駄目だったよ・・・・・・・

お前にろくな事もしてやれなかったね。楽しみの少ないおっちゃんとの暮らしだったろうね。

そして、お前の死が迫っていたことさえ気づかずに、死なせてしまったね・・・・・・・

おっちゃんにもっと余裕があれば、あれもこれもしてやれたのに・・・・・・・・後悔先に立たずと言われても、そう思ってしまうよ・・・・・・


だから、せめてせめておっちゃんの後の人生は、お前の菩提を弔い、お前との想い出だけを生きる糧にして過ごすしかないんだ。

許してくれとは言わない。

そうすることで、後の人生お前の為に何ができるかやるだけやった後で、おっちゃんが死んだとき、お前に報告するよ。

きっとまた「おっちゃん、相変らずやったなあ。」

なんて言われるかもしれないけどね。

できるなら、案外早くそんな日が訪れることを祈っているんだ。

ねえ、祥一郎・・・・・・・・・・

桜の季節・・・・・・・涙で見えない花びら

2016年03月25日 | 菩提を弔う
あちこちで桜の開花宣言が・・・・・・・・・

あっという間に満開になって、ある意味、一年で一番浮かれた時期に入ってくのだろう。

花見だ夜桜だ、そして街には赤い顔した、生きるって素晴らしいというような顔をした人々が増える季節。


私の通勤経路にもかなりな桜並木が有って、去年まではそれを眺めながら、仕事で疲れきった心を慰めていたもjのだ。


そして・・・・・・・・

今年の桜を、私はどんな思いで眺めるんだろう・・・・・・・・・・・・・

季節の移ろいを感じるのだろうか。

ああ、今年も綺麗に咲いたなあと感慨に耽るのだろうか。

散りゆく花に、短い盛りを惜しむのだろうか。


おそらくどれも違う、どの思いも抱けないだろう。


どんなに満開に咲き誇っても、きっと相変らず下を向いて、散った花びらしか目に入らないだろう。


むしろ満開の桜を、憎らしい、疎ましいと思うかもしれない。

あっと言う間に散っていく桜だけれど、おそらく、いや確実にまた来年咲き誇る季節がやってくる。




しかし私のあの20数年間、祥一郎と過ごしたかけがいのない年月はもう二度とやってくることはない・・・
そして祥一郎ももう二度と、命の花を咲かせることは無い・・・・・・・・・・・・


そう思うと、徐々に満開になっていく桜に、恐怖さえ感じるかもしれない。

未曾有の悲しみに打ちひしがれた私を、桜が見下し、嘲笑っているように感じるかもしれない。



祥一郎が元気だったころ何度か

「ねえ、ちょっと弁当でも作って花見に行かない?」

と提案したことがある。

案の定祥一郎からは、「今さら花見?あっちこっちで咲いてるからそれ見て充分やろ。それにうち、あの花見の浮かれた連中嫌いやねん。」

という答え。

まあ私もそれほど本気では無かったのだけれど。祥一郎の反応も予想の範疇だったし。


でも・・・・・今となっては一度くらい二人だけの花見をやっておけば良かったと思っている。

粗末な弁当を作って、近所の小さな公園で、一本しかない桜を見上げて、ふたりっきりの花見をやっておけばよかった。

そうすればこの季節、(嗚呼、祥一郎と一度だけ花見をしたことがあったなあ。)と、涙がこぼれるかも知れないが、ひとしきりの感慨にふけることも有ったかもしれない。

少なくとも、咲き始める桜に妬ましさや恐怖は抱くことは無かったかもしれない。

桜に罪はない。

でも、その美しい生命の輝きを、私はまともに見ることはできないだろう。少なくとも今年は。

いや、今後何年もそうなのかもしれない。


祥一郎・・・・・・・・・

そちらに桜は咲いているのかい?

それとも一年中お花畑のような世界なのかい?

おっちゃんは花の華やかさには無縁の世界に生きているよ。

唯一お前の仏前に供える、楚々とした仏花だけが、お前の居なくなった部屋で咲いているよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寂しくなっていく部屋

2016年03月24日 | ひとりぽっち
しずつ、少しずつ部屋が殺風景になっていく・・・・・・・・


物を買わなくなった。
食べ物も、日用品も。それに伴う段ボールやビニール袋や、ちょっとしたゴミまがいのものまで。

雑然としていた部屋が、徐々にすっきりとしていく・・・・・・・


祥一郎・・・・・・あいつは物が捨てられない子だった。

ちょっとおしゃれな紙袋や、使い切った化粧品の瓶、どこかでもらってきた可愛い冷蔵庫に張るような磁石や、小さなぬいぐるみ。その他ありとあらゆる小物類。そういうものをいつまでもとっておくような子だった。


実は私もそういうところがあって、なかなか物が捨てられない。

お互いがお互いの、取っておいてもどうでもいいようなものを、「はよこんなもん捨てや。」とか言い合ったものだ。


でも、暮らしというものはそういうものなんだな。

一緒に暮らしていればその分、一緒に暮らしただけの物で溢れてくる。

思い入れもそれぞれ違うから、捨てるに捨てられないものも増えてくる。

それが今はもう二人分ではなくなった。


祥一郎のものでこれは絶対とっておくと決めたものは除いて、それでもあの子が食べかけた物などはいつまでもとっておくわけにはいかない。

靴箱にも未だにあの子の靴は殆ど置いてあるけれど、いずれ処分するかもしれない。


二人で暮らした分の、必要な物やどうでもいいようなものが、一人分になっていくのかも・・・・・・


いや、今はまだそれほど思い切ってあれもこれも処分しているわけではない。

時間をかけて、その内そうなっていくのかなと思いふけっているだけだ。

きょうあの子が取っておいた何枚もある、百貨店でもらってきたんだろう香水の匂いが染みついたカードを1枚捨てた。

もう匂いも無くなっていたから・・・・・・


そして、そのうちまた「ああ、私は一人になってしまったんだな。」という感情が湧いてくるんだろう。

あの子のものはみんなとっておけばよかった・・・・などと後悔するかもしれない。


今、迷っている。

祥一郎が残したもので、私が死ぬまで残しておくものはどれにしようかと。

まあいいさ。

時間をかけて、私の心の中で、祥一郎への想いがこれからどういう形になっていくか、それを待ってゆっくり決めて行こうと思う。

二人分の買い物はもうできなくなってしまったけれど、今はまだ、あの子の残したもの、使っていた物に囲まれて過ごしていたい。

ひょっとしたら殆ど何も捨てられずに、私は死を迎えるかもしれない・・・・・・・・

それもいいさ・・・・・・・・・・・

給料日・・・・・祥一郎は居ない・・・・・・・・・

2016年03月24日 | 何故死んでしまったの
給料日の後のオフの日。

支払いという支払いを済ませて、残った生活費とにらめっこ。

「はあ、今月も苦しいなあ・・・・・・・・・」

とかなんとか呟きながら、それでも支払いの帰りに祥一郎に電話する。

「昼飯、マクドナルド食べる?」「なんか買っていくものある?」

祥一郎からは「うん、食べる。照り焼きバーガーセットとコーヒー。」「うーんと、あ、入浴剤とシャンプーが無い。」

などというやりとりがいつものことだった。


そしてその日の晩飯は、ちょっと贅沢に海老フライやカキフライ、豚肉のしゃぶしゃぶや薄い牛肉で鉄板焼きなんていうメニューになる。

ささやかな、本当にささやかな給料日後の贅沢。

生活は確かに苦しかったけれど、それでも二人で過ごすため何とかやりくりし、小さな小さな二人の温かい暮らしがあった。




今は一人で支払いを済ませ、誰かに電話することもなく、極端に少なくなった買い物もついでに済ませ、晩飯のメニューを考えることもなく、誰も居ない部屋で漫然と過ごす。

何も食いたいとも思わず、ぼーっと祥一郎のことを考えながら、ひとしきり咽び泣いた後、風呂に入り、冷たい寝室に横たわる。

まだ正気でいるのが不思議なくらいな、生活の激変。いつまで耐えられるのだろうか・・・・・・・・・・


祥一郎・・・・・・・・・・

毎月の支払いは減ったよ。お前はもう風呂にも入らず、電気を点けることなく、暖房にあたることも無いからね。

そのかわりにおっちゃんに増えた物は・・・・・・・・・・・・・・

大きな真っ暗な穴に真っ逆さまに落ちて行くような孤独感、胸から血が大量に吹き出しそうな悲しみ、頬が炎症を起こすほどの大量の涙、そしていつやってしまうともわからない自死願望。


あんまりじゃないか。
少しばかりの支払い減と引きかえに、増えたのがそんなものとは。

あまりにも価値がアンバランスだよね。

こんなことになるのなら、もっと収入が少なくともお前と二人で居たかった・・・・・・・

お前との20数年間の温かい暮らしは、僅かな支払い減なんかと引き換えになど出来ない。


おっちゃんはあといつまで働けるかわからない。

でも給料日の度に、そんな思いをすることになるんだよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小さな公園に、きょうが卒業式だったのだろう、沢山の中学生達が未来を夢見て喧しくしている。

その公園の汚れたベンチに座りそれを横目で見ながら、私はその場で絶え逝ってしまいそうになりながら、そんなことを考えた給料日後のオフの日だった。