何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

ウグイスの声を聞いたよ・・・・・・祥一郎

2016年03月16日 | 死別体験
くそ忌々しい職場から解放されて、帰途につき、ボロアパートの自分の部屋の窓を見上げる。

薄ぼんやりと常夜灯をつけたままだ。

まっ暗闇の部屋に帰るのがたまらなく辛くて、あの頃のようにお前が居るという合図のあの灯をつけたまま部屋を出るようにしている。


帰って来て玄関を開けても人間の気配は無い。

居るのは可愛がってくれた人間がひとり、いつまで経っても戻ってこないと感じているのか、この頃いつになく甘えてくる猫一匹。

本当にあいつが死んだことを理解しているのか、それとも単に部屋に閉じ込めがちなので甘え足りないだけなのか、二人で可愛がった黒ネコの気持ちをぼんやりと考えたりもする。



疲れた身体をいつも納めるのは、あいつが何年も使っていた、もう擦り切れが目立つパソコンデスクの椅子。

そしてデスクには私の視線と同じ位置にあいつの遺影。
仏壇などには置かない、いつもこの場所に置いて、視線を交わす毎日。


柄にも無く、あの頃は照れくさくて殆ど言ったことも無い、「ただいま、祥一郎。」と呟いて、あいつの遺影はきょうは笑ってくれている、きょうはそうでもないかななどと、少女じみた妄想をとりあえずした後で、煙草を咥える。

煙をくゆらせながらあいつの遺影を手に取り、指でなぞっている内に鼻の奥がつんとして涙がじんわり滲んでくるので、それを振り切るように風呂に湯を張り、晩飯をどうしようかと考える。



ふたりの一週間分の食材で溢れかえっていた冷蔵庫は、今はもう歯の抜けた櫛のようにスカスカになっている。

そんな冷蔵庫の中を眺めながら、めんどくさくなり、いや、切なくなると言った方が正確かもしれないが、食欲などこのところあまり感じることも無くなったことに気付き、晩飯を抜くことも多い。

多少空腹を感じれば、あいつの仏壇に供えた、あいつの好きだった餡パン一個を失敬するのみ。

「祥一郎、一個もらうよ。」とことわって。



風呂に入った後、あいつの為に湯を足したあの頃と違い、今は終わったら湯を抜く。

あの頃は間違って湯を抜くことがあって、
「おっちゃん、なにすんの。うち、まだ入ってへんで。」

と、あいつに怒られたこともあったっけか。



そしてまたパソコンデスクに座り、安酒をあおり、殆ど唯一といっていい吐き出し場所のSNSの日記、あいつの想い出を書きつらねた日記を読み返しながら、また涙が滲んでくる。

そのまま涙が溢れるままにまかせ、箪笥にしまってあったあいつの肌着で顔面を覆い、大声を上げて泣くこともあれば、うずくまり、畳を両手で掻き毟りながらあいつの名を呼び、いつまでもむせび泣くこともある。

ほどほどの涙で終わる日は、やはり思いを日記に書こうとパソコンに向かい、つらつらと指の動くまま文字を書き連ねていく。



それが終わると、
ああ、きょうはあまり泣けなかった、ああ、きょうは思い切り泣いて疲れた・・・
その日によって違いはあれど、寝床につくときの習慣はいつも同じだ。

あいつの遺影を寝室に持ち込み、ネコを抱くように抱き、「祥一郎、おやすみ・・・」などと言いながら、あいつが使っていた寝具の隣で眠りにつく。今でもあいつの布団やまくらはそのままだ。

子供を喪って、部屋をいつまでもそのままにしておく母親さながら・・・・・



そしてやっぱり遺影を指でなぞり、もうひとり寝るスペースがあるはずの寝室で、お前が寝ている背中が見えたはずの寝室で、また夢で逢えるかもしれないという期待を抱きながら、浅い眠りに入っていくんだ・・・・・・

このまま目が醒めなければいいのにと、叶いそうにない望みをうっすら抱き、お前の遺影を抱き、眠りにつくんだ。



そしてお前の居ない朝を迎える。何千回、何万回起きても、お前の居ない朝は続くんだ。


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祥一郎・・・・・・

帰り路、ウグイスが鳴いていたよ。自転車を止めてもうひと声聞こうと思ったけど、私の気配を察したのか、飛び立って行った。

お前が私の人生に、人の温もりを与えて、疾風のごとく去っていったように・・・・・・