何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

想い出の地を巡る

2016年01月02日 | 日記
祥一郎、きょうは君との思い出のある場所を巡って来たよ。

変った場所もあったし、変わらない場所も有った。


でも間違いなくふたりが一緒に過ごした場所や店。


懐かしいよ。でも……切ないよ。もう君は居ない。


祥一郎、今のアパートの押し入れがガランとしてるよ。
あんなに有った化粧品がもう殆ど無いよ。
冷蔵庫の中身が減らないよ。お米も減らないよ。
大晦日、街は賑わい、私も正月のお節の用意で忙しく台所で働くはずだったのに。
祥一郎の好きななますやきんぴらごぼう、キントンもう作れないね。
祥一郎の好きな伊達巻きももう買って無いよ。
正月の用意は何もしてないよ。
年が明けたら、水道代や電気代、ガス代もガクンと減るね。

それが君が居なくなったひとつの証。



………経済的に楽になっても、精神的に死ぬほどの苦痛を感じるんだね、きっと。


祥一郎、部屋の空気が冷たいよ……いくら暖房をつけても冷たいよ。君の肌や息の温もりがないからね。
クロもいつもよりかなりおとなしいよ。鳴かないよ。なにか感じてるのかな。


祥一郎、私をなんでおいて行った?なんでおいて行ったんだよ………
ずるいよ、先に行っちゃうなんて。順番が逆だよ。

おかげで私の老後はひとりで寂しく、或いは孤独死でもするかもしれない。
もう同じ出会いは絶対無いからね。
だったらもう、だったらもう、いっそのこと………


祥一郎、なんで、なんで、なんで、逝ってしまった……