我が家の新メンバー

2006年07月09日 | モリタク日記
我が家に新メンバーが加わりました。生後一ヵ月の三毛猫ミックです。メスです。
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環境対策を考える

2006年07月09日 | 経済問題
環境対策って何だろう
 「これからの成長産業は環境産業だ」、「エコロジーはエコノミーを拡大する」。そんなセリフがよく言われます。確かに、兵器を作ったり、要らない公共事業をするのに比べたら、ずっとよいことだと思いますし、私も日本が環境産業の先端国家であって欲しいと願っています。
 ただ、いつもそうした議論を聞いていて、いつも私の心には腑に落ちないものがあるのです。それは、環境問題を声高に叫ぶ人たちが、本当にみな環境のことを考えているのかということです。なぜ環境ビジネスが「成長」産業でないといけないのでしょうか。なぜ「経済成長」を続けなければならないのでしょうか。
 また、環境対策を声高に叫ぶ人たちが、燃費の悪い大型スポーツカーに乗っていたり、美食家だったりすると、ますます私の疑いは強まってしまいます。
 環境対策というのは、何か新しいことをやるとか、技術的に難しいことをやるのではなく、もともとの日本人がやってきた暮らしを取り戻すだけで、大きな進展が見込まれるのではないかと私は思っています。
 昭和30年代から40年代の日本は、経済的にはいまよりずっと貧しい暮らしをしていました。統計でみると、昭和35年(1960年)の実質賃金はいまの5分の1、昭和45年でもいまの半分でした。
 しかし、それで私たちの幸せは5分の1とか半分だったでしょうか。私は、そうは思いません。小学生時代、私は東京・目黒の都営アパートで暮らしていました。決して豊かではなかったけれども、楽しい子供時代でした。
 毎日、原っぱで鬼ごっこをし、林で木に登り、虫網を持って蝶や蝉を追いかけ、ザリガニをスルメで釣り上げ、毎日泥だらけになるまで遊んでいました。
 学校に行けば、教室では鉄人28号、鉄腕アトム、スーパージェッター、宇宙少年ソランなどのテレビアニメの話題で盛り上がり、校庭に出られるチャンスがあれば寸暇を惜しんで走り回りました。
 今のように子供が青白い顔をしてTVゲームの画面に釘付けになっていたり、塾通いで睡眠時間を削らなくてはいけないほど忙しかったり、大人達が無表情で無愛想になるほど疲れ果てていることもありませんでした。家庭にはお母さんがいて、夜と日曜日には一家の団らんがありました。経済的には貧しかったけれども、そうした明るく楽しい想い出が詰まっているからこそ、いま昭和が大きなブームを迎えているのでしょう。
 環境問題が意識されていたわけではありませんが、昭和中期までは環境にやさしい時代でした。確かに公害問題はすでに発生していましたが、私たちの生活は意図せざるエコライフだったのです。
 例えば、私は家にある瓶を抱えて、ソースや醤油を買いに行かされていました。牛乳は牛乳屋さんが瓶に入ったものを毎日届けてくれました。プラスチックのボトルなど、そもそも存在しなかったのです。商店街には必ず買い物かごを抱えていきました。八百屋さんや魚屋さんが包んでくれる包装紙は新聞紙でした。
 農家が使う肥料は堆肥と人糞。農薬も天然の素材から取っていました。
 それだけではありません。昭和の時代は、何よりも、モノが小さかったのです。
 いま私はグリコのおまけをかなり本気で集めています。小学校のときに十分買えなかったものを取り返そうという気持ちがコレクションの情熱の大半を支えているのです。
 記憶が正確かどうか自信がないのですが、グリコは私の子供時代には10円でした。10円というのは、結構大きな金額で、何かの記念日とか、おばあちゃんにもらったとかでないと、普段から使えるお金の単位ではありませんでした。確か駄菓子屋ではビー玉が3個で1円だったと思います。だから普段でかける駄菓子屋にはグリコは置いていなくて、大金を握った時だけ、お菓子屋に出かけてグリコを買うのです。
 もちろんグリコのキャラメルはこの上ないご馳走なのですが、一番の目当ては小箱に入っているグリコのおまけでした。
 期待したロボットや飛行機や鉄人28号がでたときは飛び上がるほど嬉しいし、たまに女の子用のおまけが出てしまったときは、地団駄を踏んで悔しがります。ただ、グリコのおまけを机の引き出しのなかから取り出して、並べて眺めていると、想像の世界が広がって胸のワクワクドキドキが止まらなくなるのです。
 当時集めたグリコのおまけは、残念ながら行方不明になってしまったのですが、いまになって再び当時のおまけを集めてみると、驚くことは、どれもあきれるほど小さいということです。全長は2センチから3センチほどしかありません。逆に言えば、当時はそれだけ小さなおもちゃで子供の夢が買えたと言うことなのです。
 昭和35年の日本のエネルギー消費は、いまの6分の1でした。その大部分は、日本人のライフスタイルがもたらしたものです。
 確かに我々の生活は豊かになりました。コンビニもスーパーも24時間開いていて、何でも手に入ります。でも、その裏側で、商店街の賑わいとか、季節感とか、心のふれあいといったものとともに、大切な環境も失ってしまった気がします。少なくとも環境を犠牲にしてまで、これ以上の経済成長は必要はないと私は思います。

(本稿は、「日経エコロジー」に書いた文章を加筆修正したものです)。
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