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モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

一心、助けて風で。

2008-04-30 20:38:47 | いろんな話。
昨日、私は舞台上で「肌脱ぎ(※)」をするかしないか少し悩んでいたんですよね。

 ※・・・「肩脱ぎ」ともいう。
 踊りの途中で衣装の上身頃を脱いで襦袢を現す。
 衣装の色彩や模様などを生かし、視覚的にすぐれた演出。
                        (日本舞踊辞典より)

師匠が24年前に同じ演目を踊ったときは肌脱ぎをしていないんです。

前日の下浚いで後見のM先生より「肌脱ぎは?」と聞かれて「しません」と答えたのですが。

その夜、師匠が「ここまで来たら、ぶっちゃけ脱いじゃってもいいんじゃないか?」と言い出しちゃいまして。

私は、こんなところ、、しかも人のことでぶっちゃけられてもなーと思いつつ。。。


翌日(本番当日)どうするべきか、どうしたらいいのかをM先生に相談したのです。

「どうするべきでしょう?」

「どっちでも。好みのほうで!」

好みって。好みで決める問題なんだろうか、とまたしばし悩む。

結局、本衣装を身に着けてから一度「肌脱ぎ」を(実際に)やってみて、、それを見て(自分で)判断したらいい。。。

とのことで。一応の決着をみたのです。


=数時間後=


昨日の会でゲストとしてお越しいただいたS先生は超一流の舞踊家先生です。

そのS先生には師匠の会の折には必ず後見をお願いしていたので、かれこれ25年来のご縁でして。

その先生と廊下で遭遇(?)したチャンスに、S先生に「どうしたらよいでしょう?」と不安をぶつけてみました。


S先生「俺もさ~昨日そこが気になってたんだよ!」

先生気にしてくださるポイントが少し違う気がします~。


S先生は私の胸元を至近距離で思いっきり覗き込んで、「で?どうなってるの?」。

どうなってるの?って、どうもなってないです!

「まだ支度に入ってないですよ(その時まだ化粧浴衣の出で立ち)!」

私を見て、「ああ、そうか。」とS先生。

「で。私は、どうするべきなんでしょう?」

S先生「俺らはさ~、両方(諸肌)脱いじゃうからさ~。」

素肌に晒(さらし)を巻いた状態で両肌を脱ぎ衣装は結んで後半を踊り切る、と。

私は更に混乱しながら「私は、どうする”べき”なんでしょう?」


私が知りたいのは、その役どころとして必要があれば肩でも何でも出す所存で、、でもそれが本当に必要性があるのか。。。

そこが知りたかったんだな。

役の性根に合わせたかったんです、できる限りで。


S先生は腕を組んで「で、ニク(肉襦袢)着るの?」

私「着るつもりでしたが?着ないほうがいいんでしょうかっ?」

S先生「着てよ!」

私「(゜Д゜) ハア??」

S先生「目のやり場に困るじゃん!!」

先生、困るポイントがピンポイントずれてると思います。


っつか、どこを気にして(くださって)なにを見て(くださって)るんですかっ!?


S先生「女の子だもんねぇ・・・」

S先生の中では先生自体も30代で私も20代(下手すりゃ10代?)で止まっている?

先生もう、すでに女の子は捨てました・・・・・・。


結局S先生との問答の結論は、

衣装を着けてみて実際に肌脱ぎをして、イケル!と思ったらすればいいし。

ダメだ!と思ったら、やめればいい。


M先生に相談したのと同じ結果でしたね。


私は少し早めに衣装を着けさせてもらい実際に肌脱ぎをしてみました。

イケてるのか、イケてないのか。
自分ではイマイチよくわからなかった。


そうしたら、そこにいた妹弟子Kが。

「中途半端は止めて、やるなら徹底的にやるべきです!」

というようなことを断言したので脱ぐことに決めました。


妹弟子の発言力の大きさは超一流のS先生の判断を超したな。


結果的に舞台上では潔い脱ぎっぷりで肩から脚から出しまくってみましたが。


この時点でも、それが本当に必要だったのか、、どうなのか?

そして肉襦袢を着るべきだったのか、それとも脱ぐべきだったのか。

本当のところは、やっぱりよくわかりませんです。


だって・・・女の子だもん・・・(・。・)ぷっ♪ 

ただのふと。

2008-04-30 09:54:22 | いろんな話。
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 平成20年4月29日(祝)
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日本舞踊協会秋田県支部主催
『日本舞踊の会』本番当日。


娘M嬢と最終的な場をあたりたいと思い8:30に家を出て、コンビニに寄り昼食などを確保して楽屋入りする。

長くて短い一日の始まりはじまり。


楽屋に入ると、どういう経緯だったか忘れてしまったが、、なぜか「お手伝い用リボン」を各位に配布する役になってしまったり。。。

お手伝い人員一覧表を書く羽目になってしまったり、と。


何やかやと動き回って最終的に受付ブースに辿り着くと、「開場5分前」の声がかかり、、とうとう場当たりはできずに終わってしまった。。。


私はともかく”犬”役の娘M嬢が不安であるが本人は涼しい顔で「だいじょぶでしょ」と。


ここまで来れば大丈夫でなくても大丈夫なことにするしかないよね。


楽屋に戻ると朝一番の飲み物が届いていたので配達。


わさわさしている間に開演時間となり、その間も「お手伝い人員のこと」「楽屋のこと」「進行状況」についてなど。

誰か彼かが呼び止めて質問してくれるので、それを捌くのに忙しい。

楽屋を訪れるお客様のご案内などもある。


2F1Fの楽屋の往来と受付、舞台袖の往復などで忙しく動き回っていると、、いかにもその関係者(事務局)と思われるらしく問い合わせが殺到するわけで。

手書きのお手伝い一覧表も私の書いたものだし、、、


しかし、たまたま会議で書記的なことをさせられただけで。

まったく「出演者の一人」のつもりだったはずなんですけど。


そして仕切りは「(今回は出演しない)協会の役員」先生に、お任せするという話になったはずなんですけど?


出番が終演間近の17時過ぎだったことが災いして。(わざわい?)

支度のギリギリまで奔走することになってしまった。


程なく100個を数える弁当と個数分の飲み物が届く。


妹弟子たちと愛弟子が要員として駆けつけてくれ、そこにウチの師匠と私も加わって他のお手伝いな方たちと弁当を配る。


弁当は発注した方が責任者となって陣頭指揮を執るのがスムーズだよねえ、と内心思ったりする。


主催者サイドではなく出演者サイドと思って臨んだことが、そもそも間違いだったな。

もう自分の最大限できる範囲で責任持って頑張ろう、と。

遅ればせながら心に決めたり。


自分の舞台は11分程度だ、あっという間に終わる。

なんとかなるだろう、と腹を決めたりした。


14時頃には、さすがに自分の支度に入る段となり。

化粧浴衣に着替えて顔から拵えていただく。


自分のイメージしていた化粧とは違って、なんだか「罪人」ちっくになったのにはビックリした。


顔師さん的には納得の出来(?)で太鼓判押してもらい着付に入る。


パンツ一丁の上に彫り物入りの肉襦袢を着ける。


着付部屋で半裸も思しき格好だが恥とか外聞とか、もう既にないよね。


下浚いを見てくれた衣装屋さんに、よくやるなぁと妙な褒められ方をする。
後見の先生にも「よくやるよねぇ」と、ウチの師匠が言われたそうだ。


なんだかよくわからないが、すべて前向きに褒め言葉として受け取っておく。
(大きな勘違いかもしれない)


鬘を乗せたら、それなりに『一心太助風』に仕上がったようだ。

いいんだか、よくないんだが、、よくわからないけど。。。

支度が全身これ以上ないくらい軽いんで、それだけでも救われる。


娘M嬢や愛弟子たちが「似合う」と絶賛してくれるのも微妙だったり。


舞台上での、やり取りについては別枠で。


舞台終わって即、支度を解いて。


楽屋の撤収も責任を持って見届けて帰ろう(っていうか打ち上げ会場へ行くんだけど)と決めて。

自分の荷物を車に乗せてから守衛さんの最終チェック。

楽屋の鍵を事務所に返却して出たゴミ袋を三つ携えて、ようやく打ち上げ会場へ向かったのが19時半も近かった。


打ち上げを終えて同じ流儀のS先生T先生を、それぞれお送りして家に戻ったのが22時近くだった。

本当に長い一日だったなあ・・・・・・と、しみじみ。

舞台に立っていたのは、11分足らずだったんですけど。(←しつこい)