
私は友達に乏しい。
私は友達に貧しい。
決して私の友達が貧しいわけじゃない。
貧しい友達も、いるかもしれないけど(もしもし)。
友達の誰より貧しいのは、間違いなく私だけどね。
心が貧しくなければ、それでいいよね。
年賀状の枚数は、友達の数とはまるで等しくない。
年年歳歳、年賀状の枚数だけは確実に増えていく。
それで知人の数は増えてるような気もしてくる。
でも実際は、切られる人もあれば切る人もある。
友達の数なんて、
ここ10年くらいほとんど変わってない。
仲間や知人と、
友達の違いはなんだろう。
私が思う友達は、
放っておいてくれて放っておけて、
それでいて何かの折には力になれて、
どうでもいいようなことを話せる。
そんな感じかな。
昨日、久し振りにそんな友達の一人と会った。
あんまり久々で、
いつ以来会っていなかったか忘れるほどだった。
お互い、
ブログを持っているからそこでは行き来をしてる。
彼女は私の病気と違って(日に何本も書く私は中毒だ)、
何かあれば書かなくなるほうだ。
毎日、今日も更新なし。
今日も更新なし、と覗くだけの日々が続いた。
なんかあったのか、なんかあったんだろうな。
そう思ってた、と彼女に言うと。
「してくれよ、メール。」と言われる。
って言うか、
あなたも入れてよこしなさいよねメール。
いつものことながら、
どうでもいい話をして茶をすすり。
煙を吐き煙に巻かれる。
そして私が時計を見て、
そろそろ時間と店から出ると。
互いの車から、
お互いに借りた本
そして
これから貸し出す本
の紙袋を駐車場でやり取りする。
なんの取り引きですか私ら。
あの寒空の下。
家に戻っていそいそと、
今日借りてきた本包みを覗いてみると。
ハイッテイルじゃない、安野モヨコ。
『働きマン』。
「働きマン」といいながら、
元巨乳のベッピンスタイル良しの主人公が働きづめる。
安野モヨコの漫画には、
やたら乳のキレイな(それだけじゃない)女の子が出てくる。
教えられた『花とみつばち』には、
それプラス上目遣いの女の子とのほにゃららを、
妄想したりする男の子が主人公だった。
男の子は女の子を落そうとして必死になりながら、
どんどんイイオトコに変身していく。
女の子は容赦ない現実に翻弄されながら、
今まで気付けなかった男の魅力に惹きつけられていく。
切なかった。
今回も、
安野モヨコだし「マン」だし、
なんて変な憶測で妙な想像に期待に胸膨らませていたら。
なんのことはない、
「働きマン」は字のごとく働きマンたちの物語で。
(主人公の女の中には男が棲んでいる)
期待していたような、描写はほとんどなかった。
(せいぜい、
指圧の気持ち良さに悶絶しているうちに「乳」がはみ出てるくらいだ。)
(っていうか、
なに期待し何を想像していたんだ私。)
とにもかくにも、
ほぼヒューマンドラマだった。
してやられた、安野モヨコに。
漫画にやられると、
なんでこんなに負け意識を強く感じるんだろう。
とにかく、
こういう作品を紙袋に無造作に入れてよこす友達の存在にも完敗。