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うさぎのしっぽ

トールペイントの大好きな「おけい」のページです。
家族のうさぎたちの日常をお届けします。

法要

2008年09月01日 | もも・くろ
先日、先代「くろ」ちゃんの法要の案内が、ペット葬祭屋さんから届いた。
昨日、夫と娘の3人で行ってきた。
お坊さんがお経を読んで、供養をしてくださり、ペット葬祭の職員の方々は、みんな黒い服を着ていて、本当の法要でした。
お名前(ペットの)も読み上げてくださり、焼香もし、お墓参り(共同供養塔)もした。
くろちゃんのお骨もももちゃんのお骨も、まだ自宅にあるので、お墓に入ってるっていう感じはしないのだけど、灰は共同供養塔のなかに収められると聞いたので、お墓参りをしました。
たくさんの方々が法要に参列されていて、兄弟なのかな親子なのか、はたまた後がまさんなのかゴールデンレトリーバーも数匹参列してました。
みんな家族なんだな~~って、しみじみ思ったしだいです。

1年経ちました。

2007年12月23日 | もも・くろ
ももが亡くなって、1年経ちました。
1年ってこんなに早いんだ。
ももこやくろすけは、ももとくろとは全く違うけど、
それでもももやくろがいなくなった心の穴をうめてくれました。

クリスマスが近づきました。
きっと、ももちゃんは、あちらの国でもきっと楽しくやっていると思います。
赤鼻ではないけど、こんなトナカイさんで
みんなと楽しいクリスマスを迎えていると思います。


くろの3回目の命日

2007年11月21日 | もも・くろ
3年前の16年11月21日午前1時25分。くろが亡くなった時間。
土曜日だった。
あのころもきょうみたいに寒くて、くろ用にホットカーペットをつけていたことを思い出した。
あれから、もう3年もたったんだ。
うちに来たときは、小さな、手のひらに乗るくらいの大きさの子だったね。
うさぎの中では、かなりの賢さを持ってたよ。
なめるの大好きで、なでられるもが大好きだったね。
階段を途中まで上がって、上にも下にも動けなくなって、じっと助けを待ってたよね。
南の部屋での日向ぼっこが大好きで、小春日和の日は窓から入る日差しでゆっくり体を伸ばしていたっけね。
初めてのものは絶対に口にしなかったね。甘いバナナでさえ食べなかった。

最後は苦しかったの?このうちの子でよかった?
くろにききたいことばかり・・・。

実は、くろは、まだこの家の中で過ごしている。隣にはももが一緒にいる。
納骨しないといけないとは分かっているのだけど、この手から離せないでいる。
土に帰してやるのも愛情だよ。って言われると、頭ではわかるのだけど、1歩が踏み出せない。
いつかは、心を決めなきゃいけないけど、そう言いつつ今日まできちゃったんだ。
今は冷たい雨が降っています。暖かくなるまでは、こうしていてもいいよね。

たんぽぽ

2007年05月10日 | もも・くろ


隣の空き地もタンポポの花が咲いています。
毎年この時期になると、タンポポの根っこを抜かないように気をつけながら、タンポポを取ります。
うさぎさんは、タンポポが大好きです。
「ももこ」も「くろすけ」ももちろん大好きです。
「もも」は大・大・大好きでした。
もも、食べ放題

ももの似顔絵

2007年04月15日 | もも・くろ
昨日「ももこ」を家族にむかえ、次はやっぱり「くろ」ちゃん似の子を迎えようという話になりました。
鳥取市にペットショップは1件しかなくて、「こんど、真っ黒な女の子がやってきたら電話をください。」と、お願いしたが、もしかしたら、隣の市の大きなペットショップなら「真っ黒い女の子」がいるかもしれないと、きょう行って来ました。
でも、いなくて、帰る前にショップの中を一回りしかけたところ、入り口近くでペットの似顔絵を描くコーナーがありました。
突然のことなので、写真など持っていなくて、ふと思い出したのが夫の携帯。
「小さいけれど描けますか?」と聞いてみると、「メールで送信していただけますか?」といわれ、なれない夫の携帯から送信。「何とかがんばってみます。」といって描いてくださったのがこの似顔絵です。
とても「もも」そっくりに描いてくださいました。
こんな小さな携帯画像から、ありがたいことです。(有料ですが・・・。)

ももくろが我が家の家族になったころ

2007年02月04日 | もも・くろ
先日から夫が撮りためた8ミリビデオをDVDにダビングしています。
子供の成長もさることながら、もも・くろの成長も目を見張るものがあります。
まだ、デジカメがなかった頃なので、フィルムでの写真です。

「もも」200グラム、「くろ」240グラムで我が家にやってきました。
多分生後1ヶ月くらいだったろうと思います。
その後どんどん大きくなって、ミニうさぎではなくなり、
最大で「もも」3,150グラム、「くろ」1,800グラムまで大きくなりました。

小さかったころのももとくろ。本当に小さかったな~~~。


ホームセンターのうさぎ part2

2007年01月27日 | もも・くろ
前に書いたホームセンターのうさぎですが、毎週、あのプライスダウンされた茶色の子が気になって、見に行っていました。
きょう、教室の帰りに覗いてみたら、いない
「あの茶色の子、売れたんですか?」と店員さんに聞いたら、「ええ、ほんのさっき売れましたよ。」とのこと。「つい最近まで、うさぎを飼ってたって方が、買っていかれましたよ。」とのこと。
よかったね~~~。っておもう反面、うちの子したかったな~~~。って言う気持ちもありました。

うさぎグッズで気を紛らす毎日です。


夢にも出てくれない。

2007年01月24日 | もも・くろ
ももがお月様に引っ越して1月が経った。

あっちでくろちゃんに会えたかな?
大工町のぴょんちゃんにも会えたかな?
ほとんどうさぎを知らないももちゃん、お友達ができたかしら?

きっと、楽しく暮らしているのだろう。
大好きなくろちゃんにいっぱい舐めてもらってる?
だからかい?
夢にさえ出てくれない。
お母さんは、ちょっとさびしいよ~~~。


ホームセンターのうさぎ

2007年01月16日 | もも・くろ
いつも行くホームセンターのペットコーナーでは、犬・猫のほかに小動物も売っています。もちろん、うさぎも・・・。
その中に「もも」と「くろ」にそっくりな子がいます。
ネザーランドドワーフなので、ミニうさぎの数倍のお値段なのですが、よく似ています。
「もも」そっくりな子は元気で、跳ね回っています。
でも、この子達は割と早い時期に飼い主さんが現れるだろうと思います。
その子たちとは別に、ちょっと気になる子がいます。
ミニうさぎと書かれていて、プライスダウンされている茶色の子。
明らかに周りの子たちより少し大きい。1、2ヶ月くらい大きいかな?
この子売れなかったらどうなるんだろう?
夫と「早く売れて可愛がられるといいね。」って話しています。
「もも」も「くろ」もそことはちがうホームセンターで売られていました。
だから、その茶色の子が、「もも」や「くろ」のようにうさぎ好きの家族に出会って、かわがられることを祈っています。
いまは、祈ってやることしか出来ません。



うさぎと暮らすカレンダー2007

2007年01月11日 | もも・くろ
ももが亡くなる2日前にネットで頼んだうさぎのカレンダー。ももが天国に行った翌々日に届きました。
ももを思い出して切なくなるのを覚悟の上で部屋に掛けましたが、やっぱり根っからのうさぎ好きだと再認識しています。
このカレンダーは、うさぎを飼っている(家族にしている)方が、わが子(兎)の写真を投稿して1年間のカレンダーにしたものです。
ももやくろに似た子がいて、夫と「この子は、ももに似ているけど、血統書つきなんだろうな~~。あか抜けてる!!。」とか「うちの子の方が毛並みはいいぞ!!。」とか話しています。



飼った当初、あまりの悪行(柱はかじるわ、畳は掘るわと)のせいで、「この子達1代限りだからな。」と夫に宣告されました。
その後、くろが亡くなり、あれほど撫でられることを嫌がっていたももが、撫でられるように変わり、夫の気持ちはうさぎ好きに変わっていきました。
でも、次の子を迎える気持ちには当分なれないようです。
ももとくろを大切に思ってくれるだけで、私は満足です。(満足しなくちゃいけないのかもしれない。)

ももの回顧録

2006年12月31日 | もも・くろ
これは、夫が書いたものです。夫の「もも」に対するとても素直な気持ちが書かれています。



12月22日午後12時50分、家族の中心であった“もも”が息をひきとった。
2ヶ月位前からの排尿障害で、加藤動物病院に通院中であったが、この数日排尿が思わしくなく、同時に血尿を発し、妻が昼に病院へ連れて行ったのである。私が会社の業務で外出していたところ携帯電話で“もも”の状況を知らされ、急いで病院へ向かった。今朝はいつもの様子でハウスの中で家族を見送ったのであるが、診察台の上での“もも”は、少し首をうなだれているかに見えた。普段の元気はなく、目だけはパッチリと寂しそうに開いていた。苦しかったのかな………最期に助けを求めたのか、診察台からバタバタと駆け出すように動いたのだが、どうすることも出来なっかたので、いつもの“もも”が好きな首のあたりをさすってやった。段々と身動きしなくなり、先生がおなかに聴診器をあてて、“もも”の死を無言で教えてくださった。目はしっかりと見開いていて、体も温かく、今にも動こうとしているみたいであったが、奇跡はおこらなかった。12月とは言え、穏やかな晴天の昼下がり、出来る限りの通院治療に専念したお母さん(恵子)と加藤先生、そして満足に思うようなことをしてあげられなかったが、誰にも負けないくらい“もも”が好きだった私の見守る中で、“クロ”のいる天国へ旅立った“もも”は幸せだったと思う。“クロ”の死から約2年後、そして、奇しくも私の54歳の誕生日であり、お父さん、僕よりもっともっと長生きしろよ!と励まされたみたいで、一層の悲しみを覚えるのである。
 まだまだ、“もも”の死が信じられなく、一日の始まりである南の寝室にとことこと突入して来て、私の布団の回りをぐるぐると何周も駆け回る姿がこれからも毎朝見られるようで、「こらこら!」と声をかけてしまいそうである。
2年前、最愛のパートナーだった“クロ”との別れが、気持ちのうえでの大きな転換期であったようだ。寂しさをぐっと堪えているのか、ペタンと床に座り込む時間が多くなり、それまで、“クロ”以外の存在を認めなく、誰からもなでられることを嫌っていたのに、急に態度が柔軟になったのである。常に“クロ”の後を追い“クロ”は“もも”がいなくても生きていけるが、“もも”は“クロ”がいなかったら生きていけないと言われて、約2年が経過した。私を含め、家族中が“クロ”の居なくなった寂しさを“もも”の存在に癒されて過ごしてきたのである。うさぎを中心に皆全員が慰めあって生活してきたのである。
“もも”は“くろ”と同様、恵利花の命名であったが、もも太郎!もも太郎が私の呼び方であった。呼ばれての反応があったかどうかは定かでないが、我が家の一員となった時からいたずら好きで、家の中のそこら中をかじっていたのだが、後で分った事、これらはどうも“くろ”の仕業だと判明したのである。濡れ衣を負わされていたのである。挙句の果て“クロ”と何もかも比較され、おばかさんだの太り過ぎだの、どん臭く物覚えが悪いだの、決して優等生ではなかった。うさぎの7歳~8歳といえば人間の年齢にすると80歳に相当する高年齢らしく、“もも”はじいちゃんになるまで、とうとうトイレが覚えられなんだなぁ………と言われたのだが、最近この排尿障害を患い、ひょっとすると慢性の膀胱尿管の病気が原因だったのかなあと思うのである。
何の芸もなく、お世辞にも賢いとは言えず、どれ程人懐こいこともなく、平凡な雑種のうさぎではあったが、相手にして欲しい時には、自分から近づいて来て何してんのと、問いかけてくるのである。人間様家族のテーブルに夕食準備がはじまると、決まって自分のハウスへ帰り、食事を伴にするのである。この時ばかりは家族中が感心させられ、笑いを誘った。僕(もも)の唯一の芸?だったのかな……昼食時も同様のお付き合いで、人間家族がテーブルに揃うと、ハウスで餌を求めているのである。視線が何とも哀れであるが、昼は僕の食事はないのである、残念我慢しろ!大好物と言えば、「いちごのへた」が一番、「にんじん」「ちんげんさい」「たんぽぽ」「なしの皮」、でも糖分には注意、りんごも好きだった。“もも”の自慢と言えば、高級じゅうたんの様な毛並みで、なでていて最高の感触であった反面、外見は太り気味で、加藤動物病院では通院うさぎの中では当初№2体重の持ち主であったが、いつの日か№1になっていたそうだ。あまり喜べないチャンピョンである。
ダイエットフードに世話になるのだが、嫌いでたまらなく、餌の皿ごと口にくわえハウスの金網にたたきつけたのは、余程の意地だったのか、抵抗だったのか。
その他の特徴と言えば、体温を放射する役目の耳が短く、夏が大の苦手であった。真夏になると、息がはぁはぁと荒くなり、涼しい秋の到来を待つのである(周りの家族が)。
風とおりが良い場所なのか、段差が好きなのか、廊下の片隅の南の間との境界あたりにくつろぐ姿、居間のテーブル下、椅子の下、“もも”の好きな場所はいくつかあったようだ。なでられるのが好きで、ペタンと床に頭をつけて目を細める様は“クロ”になめられていた頃同様の幸せなひとときであったのか。どうしても気乗りがしなく、かまわれてほしくない時は、くるりと我々にお尻を向けて座り込むのである。又、階段下の廊下では決してなでさせてくれなかった。誰にも侵されたくない唯一の場所だったのだろう、かみついて抵抗して来るのである。無言で何の感情も持っていないようであるが、うさぎにはうさぎの思いがあるのでしょう。
大山メモリアルパークで火葬され、あんなに大きな体をしていたのに、骨壷におさまったももちゃんは信じられないくらい小さくなってしまった。居間の本棚のクロちゃんの隣に仮置きされているももちゃん、やっとクロちゃんと一緒になれたね、春が来て大山の雪がとけたら、家族みんなで最後のドライブしようなぁ………、そして夏でも暑くない涼しいメモリアルパークでクロちゃん以外のたくさんの友達とも仲良くしようなぁ………。
平成18年12月
     晃 教

ももちゃんの写真立て

2006年12月30日 | もも・くろ
今年は、本当に「もも」に始まり、「もも」で終わります。
年末になって「もも」が突然お月様に引っ越して行きました。
思い出いっぱい残したままで・・・。

一番ももちゃんらしい写真を飾ってやりたくて、写真立てを描きました。
メアリーワイズマンさんのベリーです。

本当は、イチゴで描きたかったのですが、明るい色合いが使えない気持ちだったので、ブルーのベリーにしました。
ももの大好物は、イチゴのへた部分。みんながイチゴを食べてる横からへたをおいしそうに食べてました。みんなが、へた部分にはミルクや砂糖が付かないように気をつけて食べてました。もっと頂戴の顔が浮かんできます。

ももちゃんらしい写真はいくつかありましたが、この写真にしました。
今年9月に千本桜公園に「うさんぽ」にいったときに撮ったもの。
久しぶりにいっぱい跳ね回っていたっけ。
りりしくていいお顔でしょ!!

これが今年最後の更新になると思います。

どうぞ、みなさま、よいお年をお迎えくださいね。

ありがとうございます。

2006年12月26日 | もも・くろ
皆様がかけてくださったことばの一言一言がとてもあたたかくて・・・。
ほんとうにありがとうございます。
私は、大丈夫です。
いっぱい泣いて、いっぱい「もも」を思い出しています。
思い出すことが「もも」の供養と思っています。
徐々に「もも」のいない生活にも慣れてくると思います。
新しい子を迎える予定はありません。

うさぎは、声を出さない動物ですが、それでも表情は感情を表していましたし、しぐさで自分の思いを伝えていました。
「もも」も「くろ」も私にとって、家族にとって、最高のパートナーだったとしみじみ感じています。

「もも」の写真入れを描こうと思っています。一番「もも」らしい写真を入れてやりたいと思います。

とてもとりとめのない文章になってしまいましたが、もう少し気持ちが落ち着いたら、ここに書き込んでくださった皆様のHPにご挨拶に行かせていただきたいと思っています。
ロコ♪さん、ひろちゃん、よっくんママさん、とりりんさん ありがとうございます。
ぴょんたの飼い主さん、ありがとうございます。「もも」はダンディなぴょんた君にあえたかな?

毎日思っていたこと。

2006年12月24日 | もも・くろ
朝がやってくると思うのです。
「もも、寒くないかしら。エアコンは、ちゃんと動いてるかしら?」
「お父さんの部屋に行く?でも、悪さはダメだよ~~。」
「あっ!お父さんが何か言ってる。もも、布団を噛んでる?」
夕方になると思うのです。
「もも、おしっこたまってるんだろうな。早く帰って、おしっこさせてやらなくちゃ。」
夕飯になると思うのです。
「テーブルにおかずを運んだら、もものご飯を用意してやらなくちゃ。一緒に食べ始めるももちゃんが、催促するからね。」
夜になると思うのです。
「お兄ちゃんはいつ帰ってくるかしら。ももの薬は、お兄ちゃんじゃないとうまく飲ませらないよ~~。」
就寝前に思うのです。
「さ~~て、ももちゃんおしっこしよう。すっきりして、寝ようね。」

これらは、ほんの3日前まで、毎日思っていたこと。
でも、今は思う必要がなくなっちゃった。

ももが旅立ちました。

2006年12月23日 | もも・くろ
昨日平成18年12月22日午後12時50分にももは、くろのいるところへと旅立ちました。
排尿障害ののち出血が始まり、25日に手術を決めた矢先でした。1日3回圧迫排尿をしていましたが、出血があるため、少量しかおしっこを出してやれなくなり、主治医の先生に排尿をさせていただくために、通院した病院でなくなりました。
尿管に憩室か腫瘍かが出来ていて、そこから出血していたらしく、そのため、排尿も出来なくなっていたと思われます。
緊急で手術をお願いしましたが、手術準備の間に、お医者様と私と仕事を抜け出してくれた主人に見守られて、ももは7歳8ヶ月でお月様に引っ越していきました。

きょう、ペット葬儀屋さんにお願いすることにしています。
大好きだった「青梗菜」と、排尿のあとにご苦労様であげていた「フルーツチップ」と、途中でお医者様に止められて食べられなくなった「かじりま専科」をしっかり持たせてあげようと思っています。

今、ももちゃんは、大好きだった主人の部屋で眠っています。


夕方、小さくなったももをつれて帰ってきました。
大山(だいせん)のふもとにあるメモリアルパークで火葬し、お骨も拾ってやれました。
今、ももは小さな壷に入って、くろちゃんと並んで慣れ親しんだ部屋の中に一緒にいます。
もものいなくなった部屋はなんだかとても広くて、とても寂しいです。