Around40☆アル症モモコ♪

Around40☆のアル症本人(女)

結婚14年のダンナ(単身赴任中)がいます

父との別れ ④

2008-10-11 08:03:57 | Weblog
父が残した遺書なんですが、作ったのは3月下旬で少し補足(主に葬儀のこと)が4月上旬でした。(手紙とCDロム)
残された家族がおろおろしないように、細かく指示がありました。

その時、まず、私達がしなければいけないのは、葬儀を出すことでした。

病院のほうから遺体の搬送のことで尋ねられ、こちらで手配する旨を申し出て弟が父の遺言に記してあった葬儀会社に電話を入れました。

その葬儀会社は弟の同級生の家がやっているのですが、数少ない父のアル症ではない方の知合いでした。
(20年以上も前、弟が少年野球チームにいた頃・父もパパコーチとして関わりがあった)

葬儀会社に連絡をして、時間通りに搬送車を病院に向けてくれることになり、私達は父の退院支度が出来るのを待ちました。

霊安室へと案内されてそちらへ向かうと、すぐに父は看護師さんに連れられ、死亡診断書と共に霊安室へ来ました。

死因 『胆管細胞癌』

家族、先生と看護師さんで焼香をし少し話していると、葬儀会社の人が来て父と私達は病院を後にし、自宅へ戻りました。

これから、父の生前に作ったプランに沿って、父を送るべく行動開始になりました。

父の遺言では、通夜・葬儀・荼毘と法事(四十九日法要)は、親族と自助G以外の友人知人ご近所の人達だけで、そして「お別れの会」を遺族である私達に催してほしい旨がありました。
それは今後も私達遺族がお世話になるであろう、周囲の人達への感謝とお願いの会、そして長年お世話になった自助Gの方々へのお礼の会の2つでした。
招待リストみたいのもありました。

父がお別れの場をそういうふうに、自助Gの人とそうでない人にわけてしまったのは、たぶん父の死をきっかけに私達にもっと自由に楽になってほしいみたいな気持ちだったと思います。
遺言にも確かに違う形の言葉でありましたし。

私のアル症をきっかけにして、父も自分の断酒を続けてきた人生、アル意味ワンマンな人生を一度振り返ったようでした。


父を和室の布団に寝かせ、葬儀会社さんとの打ち合わせ(もうすでに出来てるので、あとは会場だの火葬場の予約だの)を済ませ、親戚や周囲の人への連絡などしながら、お寺の住職さんがみえて、親戚が来て、近所の人が来てと時間はあっという間に過ぎていきました。
まだ悲しみは訪れず、各自自分の任務を遂行みたいな(笑)

死亡当日は自宅で父と私達は過ごし、翌日には父が生前葬儀会社を通して連絡を取ってあった、お寺の斎場へと場所を移し、通夜、葬儀、そして火葬をおえ、遺骨となって実家へ父は戻りました。

葬儀のお経の時に少し涙を潤ませた私ですが、父の「お別れの会」にはもう少し間がありました。

                     続く


 ※  文章力ないんで、ダラダラ長くなってすみません<m(__)m>  
コメント (2)
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