Around40☆アル症モモコ♪

Around40☆のアル症本人(女)

結婚14年のダンナ(単身赴任中)がいます

父との別れ ③

2008-10-09 17:18:36 | Weblog
5月下旬に入り、父は言葉や症状しぐさで、痛み・不快のみしか訴えなくなりました。
ただ「死への恐怖」みたいなものは、私達家族は感じ取ることが出来ませんでした。
それは・・・(・_・")? やはり、本人も家族も「もうすぐそこに来ている死」を、自然と受け入れ始めていたのだと思います。
その時、具体的にどんな思いだったのか、説明は難しいですし、時間が経過してしまったのでm(_ _)m

5月も残すところ数日となった頃、幻覚・幻聴が現れたようです。
どこにそんな力があるのか?!と思うほどの力で、点滴管を引っ張ったり、看護に当たる人の手を除けたり、ベッドから降りようとしたり、無意識の行動が現れるようになりました。

担当の先生から、鎮静剤を点滴で落とす旨説明を受けました。
病室も集中治療室に変わり、私達の付き添いも制限され、いよいよ、終末期(ターミナルケア)に入りました。
(緩和ケア病棟ではないので)


鎮静剤を始めてからはいつも目を閉じていましたし、声かけや手を握って一瞬目を開けることもありましたが、視点はこっちをちゃんと見てなかったように思います。

たまたま私が面会に行った時に、
「看護師さん、おふくろ(父の母・すでに他界)が今こっちに向かってますから。」
と、急に大きな声を出しました。
私は、どうしたの? そんなわけないよ。 と言ったのですが・・・

その翌々日・6月入ってすぐに、昏睡状態に入りました。

面会時間よりも少し前に病院からその旨電話連絡があり、すぐに家族で駆けつけました。
もう肩で息をしているというか、呼吸が早く荒くなっていました。
一人ずつ1時間交代でベッドサイドに居ることを許可して貰って、順番に見守ることにしました。
夜9時までそうして過ごしたのですが、帰り間際に弟が
「お父さん、みんなそばに居るの分かる?」と耳元で行った時に、
『ああ、分かってる。』
それが最後の言葉になりました。

一旦、実家に戻り眠れぬ夜を過ごしていたのですが、日が変わって午前3時過ぎに再度病院から連絡があり病院へ行ったところ、家族が看取れるようにスペースを確保しておいてくれました。

着いたばかりの時は、まだ呼吸は荒く苦しそうだったのが(足は凄く浮腫んでました)、しばらくすると呼吸が小さくなっていくのがわかりました。
父と心電図モニターを交互に見ていましたが、モニターの波形が変わりました。

午前5時25分、先生・看護師さん・家族に看取られながら、最後は頑張って呼吸をしようとしてすぐに息をひきとりました。

とても穏やかな満足しきった死顔で、私達もホッとしました。

退院の準備を病院のほうでして貰ってる間に、私物をまとめたのですが、家族宛の遺書を床頭台の引き出しに見つけ、弟と私で病院の外へ出て読みました。

まずは、自分の葬儀のことについてきちんと要望があり、すぐさま母にそれを伝え、本人の望むようにしてあげようということが即決まりました。


                        続く 
コメント (4)
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