私は片付けが得てなタイプなので、片付けが苦手な方の苦労がよくわからないでのす。
得て・不得手の違いは何だろう。
性格なのか?
生活習慣なのか?
時々遊びにいくブログに「片付けが不得手な方」がいらっしゃるのですが、その方はアスペルガーの診断を受けている方。
感性が繊細で独特な思考をされます。
自分にはない繊細な感性に惹かれながら読んでいますが、片付けが得て・不得手の本質的な違い(良い悪いではない)に感じることがあり。
あくまでも自分を基軸においてですが、片付けが得てなタイプは・・
- 捨てる、捨てないの判断が早い→執着が少ない
- 全体をイメーシし計画的に片付けができる→どのようなアプローチから入っても最終イメージ(こうしたい)に持っていける
- 物の総量を把握している→総量の上限があり、オーバーしないようコントロールできる
で。
より本質的な違いと思うのが、「執着」にある気がします。
「執着」と書くと言葉がきついのですが、要は対象物をどうとらえるかの感性。
たとえば、私は対象物を「要る要らない」でジャッジするのですが、当然「要る要らない」だけが判断基準ではないわけで。。
思い出が詰まっていたり、好きという気持ちが強かったり。
そうした思いを含んでの「執着」という言葉なので、対象物に対する「記憶」と置き換えてもいいかも。
ちなみに、私には子供時代の写真や記念品なんてわずかにしか残っていません。
それが残念とも悲しいとも思わないのは、過去の過ぎたことは心の記憶だけで十分、、と思っているからです。
家族の想い出の写真もほとんど残っていないな。。
引っ越しやら母親の病気やらで離散しているんだと思います。
そういう子供時代の背景もあって「物に対する記憶」に対して冷淡なんだと思います。
そんな風に考えると「片付け」とは物に対する割り切り力の強さ次第と言えるのでは?
もちろん、割り切る力が強いことが「良い」とは言えないのです。
より本質的な違いと思うのが、「執着」にある気がします。
「執着」と書くと言葉がきついのですが、要は対象物をどうとらえるかの感性。
たとえば、私は対象物を「要る要らない」でジャッジするのですが、当然「要る要らない」だけが判断基準ではないわけで。。
思い出が詰まっていたり、好きという気持ちが強かったり。
そうした思いを含んでの「執着」という言葉なので、対象物に対する「記憶」と置き換えてもいいかも。
ちなみに、私には子供時代の写真や記念品なんてわずかにしか残っていません。
それが残念とも悲しいとも思わないのは、過去の過ぎたことは心の記憶だけで十分、、と思っているからです。
家族の想い出の写真もほとんど残っていないな。。
引っ越しやら母親の病気やらで離散しているんだと思います。
そういう子供時代の背景もあって「物に対する記憶」に対して冷淡なんだと思います。
そんな風に考えると「片付け」とは物に対する割り切り力の強さ次第と言えるのでは?
もちろん、割り切る力が強いことが「良い」とは言えないのです。