内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

最も価値のあるもの

2022-11-02 20:27:58 | ビジネス境界線
世の中で最も価値のあるものは
なんなのか

恐らく最も多くの人にとっての
価値のあるものは
「自我」になる





「価値がある」とは

1価値を感じる主体と
2主体のもつ基準

の2つから生まれる

1価値を感じる主体とは?
これは間違いなく自我である


人間に発生する主体は
99.99%自我である



2主体の持つ基準とは?

言い換えると
自我が持つ基準とは?
となるが

自我そのものが基準でもある

自我という一つの彫刻は
産み出された瞬間に
価値を図るものさしとしても機能する


主体と基準の機能を併せ持つのが
自我の重要な特徴だ



ではこの特徴はどんな事を生み出すのか?


自分自身の存在と
自分自身の持つものさしが一致している

それは当然
自分自身を守る行為というのは
自分の基準を守る行為と一緒
という事だ



価値があるというのは
究極的に言えば

私か
私でないか

その判断のものさしで評価する
ということだ


ここでいう私は勿論自我の事である


自我にとって不都合な事は
価値がないものになる



現代人の私はほぼ自我と同義だ


自我こそ私であり
生命と一致していない事もざらである


例えば
私は
(生命として)死ぬことよりも
(自我として)操られ苦しむ事の方が
絶対的に恐怖がある

私の自我は
「自由でいたい」
という事が最も重要なものさしであり
それ自体が自分自身でもあるのだ


ここを一次的な核として
私の世界は出来上がる

二次的になると
1私にとって大事な所属組織
が拡張的な私になり

2その所属組織そのものが価値基準
となり

価値あるものと
価値のないものの世界が
広がっていく


自我が壊れなくなることは
最も恐いことの一つである


死ぬことが恐い人というのは
突き詰めていくと
生命が死ぬことではなく
自我がなくなる苦しみを
想像しての恐怖であることは多い



しかし自我は勿論なくなるのだが
変形も自由自在だ

人間は自我がどんどん変形している
どの変化には以外と気づきにくい


何故かといえば
いつでも
私(自我)=私の基準そのもの
だから当然である

他人から変わったよねと言われないと
本人は気付くことは難しい


自分でもし気付くことが出来る人は
複数の自我が混在している人であり
劣勢の自我から見て
優勢全体の自我の変化に気付く
そういう他人と同じ機能のメカニズムが
自分自身の中で起こる人だけだろう



自我が変化するということは
価値基準自体が変化する
ということだ


しかし生命は変化しない

人間は生まれたときから
生命としての営みが続き
いつか死ぬ


自我が幻である由縁は
生命と比較することで
少し輪郭を捉えることができる


自我は変化も自由自在であるので
勿論ピッタリと生命と一致させることも
可能である


この状態をロジャーズは
「自己一致」
と呼んでいるのであろう

生命と一致した自我は
とても強いパワーを生む
生命を自我の主体が一致すると
何が起こるかといえば

人間の持つ感覚機能と脳を
最大限に
「捉える事が出来るようになる」
ということだ


五感に鋭くなり
脳主導による感覚ではなく
感覚主導での脳後続
というイメージとなる


私はこの状態を
「生命の奴隷」
と読んでいるが

人間の幸福度という観点でいうと
この状態が最も幸福感を
得られるのだと考えられる


ロジャースはそれを「経験」という
言葉で読んでいるようだが


「五感で感じている現実」の方が
「自我で感じている現実」よりも
圧倒的に快感なのである


価値を感じているはずなのに
それを手にいれても満足いかない

だからいつまでも乾いていて
永遠に同じ価値を求め続けてしまう


そんな話しはこの世の中で
実にありふれた話だ


これは
「生命の奴隷=自己一致」
の状態から遠いポジションで
自我が形成されてしまっているから
なのである


だからこそ
病んでしまった人には
マインドフルネスがいいとか
タッピングが効くとか
自然を味わうとか
スポーツをしろとか

そういう対処法がよく使われるのである


差はあるが自我は簡単には変化しない
とても頑固なものである


だからすぐに変化は望めないが
価値のあるものというのは

自我は変化するのだから
もともと幻であること

たとえ
生命の奴隷の状態になり
幸せをとても感じるようになっても
自我によって価値が生まれていること
その価値が生命と一致しているから
今幸せなだけであること
結局幻であること


この現実はよく理解した方がよい

本当のところは
自我も価値も幻だし
幸せも不幸も幻で
主人となった生命でさえ
自我の作り出した擬似主体である事実は

根本的な原理は
全く変わらないのである














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