内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

男女間性的ゲームと結婚制度

2021-10-10 13:58:12 | ビジネス境界線
結婚という仕組みについて
問題視する声が
大きくなりつつある

私も小さな頃の結婚という概念
結婚する前に悩んだその概念
大人になって自分が経験した体験
それぞれ大きな隔たりがあり
それ自体が大きな経験でもあり

肯定的な視点に立つことも
問題視することも
いくらでも出来るような
要素がふんだんに持っていると
感じる



その中でもとりわけ
重要要素に
男女互いの人間関係
についてがある

結婚というものは
法律行為であり
人間関係以外のルールも
たくさん含まれる

この要素は
どちらかといえば
見える分だけ分かりやすい


子供の頃や結婚前には
分からなかった
社会からの制約を受ける要素を
結婚というものが大きく持っていること
それは形として体験としても
分かりやすく

それが合っている人には
結果的に肯定的に感じるだろうし
あっていない人には
否定的なものとして捉えやすい
他人にとってもその意見は
分かりやすく理解しやすいものであろう


しかし
人間関係の問題は非常に難解だ

結婚というものを一つのゴールとして
見たてているものって
そもそも何でしたっけ?

この素朴な疑問に立ち返ると

例えば小さな頃であれば
女の子が将来お父さんと結婚したい
という発言が多々あるように

この人が好きである

という気持ちの最大級アクション
であることが伺える

そして
思春期ともなれば
異性への好きという気持ちは
個人的な差はあっても
より強く性的思考とも
交ざるようになってくる

どんなに仲がよい同性であっても
同性愛でない限り
その親友に対して結婚したいという
表現は少なくとも
私の世界では経験したことはない


小さな子供であっても
この性的要素は充分に混ざった上での
結婚したいという表現は
起こっていると思う


この男女間での性的な意味が
混じった好きと
混じっていない好きを
区別する発明として

付き合う 彼氏 彼女 交際
といった概念があり

これは男女間の関係の中で
性的混じりの好きですよ
を一歩前進させるお互いの意思表明
である

また
建前上社会では
年齢条件などで歓迎はされにくいが
現実のコミュニティでは
性行為が許容されると考えていい

同時に
法律ではないけど
社会的ルールとしては
互いに浮気という概念が発生し
束縛が発生するのも一般的である


ここで
後者の概念はそれまでの男女関係にない
新しい概念であることは
重要であると思う


この段階までも
人間関係が基本となったルールであり
結婚という概念も
この延長線にあるもの
という捉え方が恐らく大半であろう



これが現実に結婚を考えるようなると
結婚に対する概念状況が変わってくる

互いの家系社会システムの
一部となること
お互いの仕事や稼ぎ
子供という概念
一緒に生活をするということ

こういった新しい概念が
あらゆる結婚システムを経験済の
世界から一気に流れてくる

結婚前の精神不安定などは
こういうものの押し寄せに
よるところが多いだろう


これが
実際に結婚を経験した後となると
いよいよ2人の人間関係というものは
更にシェアを奪われ

一家としての主体
出産風潮
子供との関係
性行為はむしろ強要気味となる風潮
互いの家系との付き合い
介護の問題
税金などの連帯責任
日々の生活の助け合い

など現実に
結婚というものが
男女の人間関係などとは
随分離れたものを営む
パートナー制度であることが
よく分かる

子作りの問題を除けば
正直男女である必要もない
社会構成システムの一部としての
機能であることがよくわかる


とはいえ
こういった本来の流れとは
全く違う要素であっても
それはパートナーにとって
同じ課題として捉え
お互いに進んでいくことが出来れば
むしろ肯定的にとらえられる課題と
なるだろう

しかしそうでない場合
すなわち課題が課題ではなく
一定の自己犠牲を越えてしまえば
それは只の強制システムに
他ならなくなる


ここで
男女間にとって一番いい
人間関係としての関係を考えるならば
結婚なんてしないに尽きるのである

唯一結婚のいいところといえば
束縛心が強く相手に浮気をされたくない
人にとって国のお墨付きの罰ルールを
作れることぐらいだ

そもそも人間関係を何か契約のような
形としておと仕込む事自体が
ナンセンスであって
そんな幻のようなものを
国家の社会システムの重要な1単位
として使うことがずれているのである

これは国民側の捉え方の問題とも
言える

好きな人と結婚するもの
という思い込みが間違っている

結婚相手というのは
恋愛相手を想定したものではなく
ビジネスパートナーのような
気持ち決めることの方が
制度の趣旨としては合っているのだから



結婚制度の話にそれてしまったが

ここで今まで言ってきた
男女関係
とは何なのか

これについて
一辺倒に語られることが多いが
男女関係も人間関係の一つであり
とてもたくさんの形があることを
意識しないとわからないことが
多い


私が今自分が一番好きな人を
自分で分析すると

1性的意味を含んだ好き 20%
2人生の師匠としての慕い 40%
3一番の親友として好き 30%
4自分の子供として10%

恋愛対象として好きになった人の場合
1性的意味を含んだ好き 70%
2師匠としての慕い 10%
3親友として 0%
4自分の母親として 20%

同性の友達であれば

1性的意味を含んだ好き 0%
2師匠としての慕い 10%
3親友として 70%
4自分の母親として 20%

こんな感じで
各パラメーターの総合評価で
好きという言葉が決まっている


1性的意味を含んだ好き

これがいわゆる男女間での人間関係で
一辺倒に出てくるものだが

このもとになる感情というものは
随分たちが悪く
素晴らしい気持ちにさせてくれる一方で
嫉妬といった辛い感情も同時に合わせて発生させるとてもパワーのある力である

この勢いが子供を作るいや
気づいたら子供が出来てしまう
源であり

少子化云々いうのであれば
正直 結婚と子供という結びつきを
社会からの切り離せば
バンバン子供は勝手に出来てしまう
はずである


そして
最も1の嫉妬心のようなものは
戦いを起こしてしまう

だから結婚においても浮気は
駄目だし
一般的な社会ルールでも浮気は
受け入れられない

男女間の人間関係において
大人になると
友達関係は成立しない
といわれるのは
成立しないのではなく
この1性的男女ゲームの犠牲により
成立させてもらえないのが真実だ


ここであげただけでも
友達以外にも師匠や親というような
概念の人間関係が少なくとも
存在する

建前上
性的男女ゲームのゴールが
結婚という法的システムのお墨付きが
あることで
それ以外の異性の人間関係は
地下にもぐらされてしまう
というのが
問題だと考えている

性的男女ゲームと
結婚システムを
全く違うものとして捉えることで

特に男女の人間関係は
より自由な関係に成熟していける
はずだし
ジェンダー問題のようなものも
互いの交流がこういった障壁によって
断絶されてしまうことも
大きな要因だと考える