涙と笑いのHIV奮闘記III

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れとも戦っています。

兵庫県立美術館で「没後130年 河鍋暁斎 鬼才! Kyosai!」展

2019-04-18 15:00:15 | 美術館・博物館

奈良国立博物館に、兵庫県立美術館のちらしが置かれていて、
この後兵庫県立美術館へ行こうと思い立ちました。

近鉄奈良駅から神戸三宮行きの快速急行に乗り込みます。

途中、阪神武庫川駅からの武庫川と桜。

御影駅で下車して、普通電車に乗り換えと思っていたら、
近鉄の快速急行は御影に留まらないんですね。

で、三宮まで乗り越してしまいました。
その三宮駅には、奈良県桜井市の三輪明神の看板。

岩屋駅まで戻って。

駅前にもうツツジがさいています。

海側へ歩いてゆくと、国道3号線を渡りまして。

その歩道橋から兵庫県立美術館が見えてきます。

八重桜と美術館。

南北にわたる道路を渡って、渚中学校の敷地に沿って植えられている八重桜を愛でながら美術館へ向かいます。

美術館に到着です。

入口の看板。

チケット売り場の前の吊看板。

向かって右側にロッカーが有るのですが、その途中にも看板。

荷物をロッカーに預けて階段を昇って会場に向かいます。
階段の踊り場にも垂れ幕。

階段を昇り切ったところ。

そこには大型の幕(複製)が掛けられています。


幕末から明治前半にかけて活躍した河鍋暁斎(1831-89)は、幅広い画業で知られています。歌川国芳から浮世絵を学び、また狩野派にも入門し伝統的な官学派の絵画を学んだ経歴を持つ暁斎は、当時の画家や日本に滞在・居住していた外国人との交流のみならず、寺院や神社、版元・出版社、料亭や老舗商店、能や歌舞伎といった広範囲にわたる人たちとの交友・受注関係を培いながら多様な作品世界を展開しました。彼らとの交流のなかで暁斎は時代の状況を敏感に感じ取り、時に体制批判の精神を研ぎ澄まし、また一方で日本的な人間・自然観、身体観、死生観といったテーマを独自の視線で掘り下げ、屏風や掛軸、巻物や画帖といった無数の作品を作り上げました。本展では、暁斎の多様な作品群を紹介しながら、「写生帖」や「日記」、「下絵」や「画稿」なども展観し、暁斎の「眼」、すなわち見る、捉える、表現するといった制作の様相を企画の照準に据えます。一方で、幕末明治の表現を検証する手がかりとしての「ネットワーク」というキーワードのもと、暁斎が手がけた錦絵や挿絵本、工芸作品なども含めて展観します。鬼才・河鍋暁斎の画業をトータルに展開できる、またとない機会です。

 

多くの河鍋暁斎の絵が四章に分けて展示されています。

1章 幅広い画業
多くの画題を様々な表現方法で描いた暁斎。現在の「美術」という言葉では捉えきれない数々の作品世界が作り出されました。

2章 眼の思索  下絵からはじまるネットワーク
暁斎の下絵を一挙大公開します。鋭い観察力、洞察力、写生力、そして描写力がダイレクトに伝わります。

3章
幕末・明治期は、政治や社会の劇的な変動がありました。暁斎は民衆の目線にたって、こうした出来事を面白おかしく諷刺する錦絵を手がけました。

4章
地獄絵や幽霊、美女から観音までありとあらゆる対象を描きつづけた暁斎。 幕末・明治期という時代だからこそ生まれた身体・精神表現の本質に迫ります。

前期のみ、後期のみの作品があるので、また後期展示(4/30~)に行きたいですね。



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