神戸市立美術館でのボストン美術館の展示。
同館でのボストン美術館の展示は去年の「俺たちの国芳 わたしの国貞展」以来です。
午前中に部屋の片づけ、洗濯をして神戸三宮に向けて出発です。
三宮駅に到着。
そうそう、夜になればルミナリエか!夕方に来ればよかった、とは後の祭り。
近鉄では快速電車の表示は赤なのですが、阪神線では青色なんですね。
クリスマス、もう来週なんですね。
さて地上に出るとバリバリ、ブンブンブブブンと大音響。
えっ、まだこんな暴走族って居るんや~。
市役所前の花時計。来年の干支の狗のデザインです。
葉牡丹(花キャベツ)で描かれています。
もう12時過ぎ、腹は減っていないけれど、のどが渇いたのでイートインのあるセブンイレブンでホットコーヒー。
店の前には高級そうな「第一楼」という中国料理店があります。
ランチ有るかな?平日しかなくって、しかも3800円・・・
他の季節と比べると、植栽は寂しい。
昼のルミナリエ。
ホテルの前にクリスマスツリー。
市立博物館に到着。
美術館の前に美術展の広告。
入場券を買って入館。
1階の記念撮影コーナー。
今回手に入れたちらし。
以前手に入れたものはA4サイズの1枚でしたが、今日は折り畳みでA4サイズ2枚分。
I.異国を旅したボストニアンたち
1.古代エジプト美術 2.中国美術 3.日本美術。
II.「グランド・ツアー」-ヨーロッパ美術を集めたボストニアンたち
4.フランス絵画
III.アメリカン・ドリーム -自国の美術を収集するボストニアンたち
5.アメリカ絵画
IV.同時代の美術へ -未来に向かう美術館
6.版画・写真 7.現代美術
という構成で80点の美術品が出展されています。
今回はI-2,3 II を楽しみに観に来ました。どれも素晴らしい。
混雑を予想していたので、余りに空いていて肩透かし。
いつも通り絵葉書を購入です。
中国美術から陳容の「九龍図巻」
約10mに及ぶ長大な画面に描かれた九匹の龍。沸き立つ雲と荒れ狂う波のなか、あるいは悠然と飛翔し、あるいは佇むさまを粗放な筆墨で描き出している。作者の陳容は南宋末期に活躍した画家で、特に龍図を得意としたことで知られている。なかでも本図は、かつて清朝の乾隆帝も旧蔵した龍図の名品である。
日本美術より酒井抱一の「花魁図」
喜多川歌麿の「三味線を弾く美人図」
英一蝶の「涅槃図」
170年ぶりの本格的解体修理を経て、初めて里帰りしてきたようです。
英一蝶(1652~1724)は江戸に生きる人々の風俗画を得意とした一方で、仏画も多く手がけたことで知られている。釈迦の入滅の様子を描いた《涅槃図》は一蝶による仏画の大作であり、江戸時代の仏画の代表作だ。画面だけでも高さ約2.9m、幅約1.7m、表具を含めれば高さ約4.8m、幅約2.3mにも及ぶ大きさに圧倒されることだろう。涅槃に入る釈迦と悲しみにくれる菩薩、羅漢、動物たちを鮮やかな色彩で大画面に描いており、一蝶の力の入りようが伝わってくる。本図は、1886年(明治19年)以前にフェノロサが購入してからはボストン美術館で収蔵されてきた。作品の大きさと経年による劣化ゆえ、同館でも25年以上にわたり公開が実現できなかった。本展での公開に際して、画面の折れや亀裂、汚れ、糊離れなどを改善するために、約170年ぶりに本格的な解体修理が行われており、約1年に及ぶ修理作業の一部は、日本絵画の修理現場を来館者に紹介することを目的として、ボストン美術館の展示室で公開されてきた。このたび、《涅槃図》は初めて里帰りを果たす。海を渡ってから、その作品を実際に見た人はごくわずか。江戸時代の人々が祈り、想いを馳せた、一蝶による幻の巨大涅槃図は必見である。
曾我蕭白の「風仙図屏風」
勢いよく渦を巻き、強風を呼び起こす黒雲。あるいは龍の存在を示唆しているのだろうか。荒れ狂う波濤、揺れ動く木々のなか、剣を持つ男が橋を挟んで黒雲に対峙している。緊張感ある攻防の後方には、風に吹き飛ばされた滑稽な表情の男たち。その後ろには白と黒の兎のつがいがひっそりと姿を見せている。墨の濃淡、線と面、緊張と弛緩、大胆さとユーモアを巧みに織り交ぜた、蕭白の代表的作品。
フランス絵画よりミレーの「編み物の稽古」
ドガの「腕を組んだバレエの踊り子」
ドガの踊り子といえば、今東京上野の国立西洋美術館で、北斎漫画との類似性が展示されていますね。
セザンヌの「卓上の果物と水差し」
風景画だけではなく、こういう静物画も描くんだ。
モネの「ルーアン大聖堂、正面」
そしてゴッホの「郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン」
同じくゴッホの「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン婦人」
1888年2月、ファン・ゴッホはパリを離れ南仏アルルに移り住んだ。見知らぬ土地に暮らし始めたファン・ゴッホにとって、ジョゼフ・ルーランはモデルとなってくれる数少ない友人だった。ジョゼフの仕事は「郵便配達人」と紹介されることが多いが、実際にはアルル駅で郵便物の管理を担当していたとされる。ジョゼフばかりではなく、妻オーギュスティーヌ、長男アルマン、次男カミーユ、赤ん坊の末娘マルセルもファン・ゴッホのモデルとなった。20点以上も残される一家の肖像画は、画家とルーラン一家との親愛の情を映し出している。
ルーラン夫妻は、精神的にもファン・ゴッホの支えとなった。1888年12月、ポール・ゴーギャンとの共同生活が破綻した際、ファン・ゴッホは自らの耳を切った。ジョゼフは入院した彼を定期的に見舞い、外出が許されたときには彼に付き添った。パリに住む弟テオとも連絡を取り合い彼を支え、マルセイユに転勤したのちも交流は続いた。ファン・ゴッホは、テオ宛ての手紙に「ルーランはぼくの父親というほどの年齢ではないが、年長の軍人が年下の兵に接するような寡黙な厳しさと愛情を注いでくれる」とその存在の大きさを書き記している。
アメリカ絵画からジョン・シンガー・サージェントの「フィスク・ウォレン夫人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル」
優雅で洗練された肖像画家として人気を博したサージェント(1856~1925)。作家・詩人でもあったウォレン夫人は、光沢のあるドレスに身を包み、ルネサンスの調度を背景にその社会的地位が十分に示されている。制作後すぐにボストン美術館に貸し出されるなど公開の機会に恵まれ、洗練された技巧と内面までをも描き出す肖像画家サージェントの名声を高める作品となった。
いつもながら素晴らしい保存状態の絵画を見ることができ、幸せな気分で三ノ宮駅へ戻ります。
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