MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1637 「隔離」を簡単に考えすぎてはいないか

2020年06月06日 | 社会・経済


 新型コロナウイルス禍に出口らしきものが見え始めたとたん、国民全体をPCR検査にかけ、感染が疑われる人を隔離することで経済を立て直そうという提言が出てきた(小黒一正・関山健『新型コロナ・V字回復プロジェクト)……早稲田大学大学院教授の岩村 充 氏は5月22日の東洋経済オンラインに寄稿した『コロナ感染者隔離のための検査は「地獄への道」』と題するレポートの冒頭にそう綴っています。

 日本のコロナ対策の問題点は、ウイルス禍に対して「命か経済か」の二者択一から離れられないでいるところにある。国民全体を検査し感染者を完全に隔離する体制を整えられれば、非感染とされた人は安心して経済活動にいそしめるようになり「命も経済も」守ることができるという発想自体が、その最たるものだということです。

 一方、岩村氏はこのレポートで、こうした考え方に強く反対する立場をとっています。

 理由は、検査と隔離だけでは感染爆発を止められないから。さらに、このような提言が実施されたときに生じる自由あるいは人権への危機を、予感せざるをえないからだということです。

 例えば、もしもあなたが(何かのきっけで)新型ウイルスへの感染を心配する状況に陥った場合を考えてもらいたい。ウイルス感染症への特効薬のようなものが開発されていてそれを処方してもらえば完治すると知っていたら、ぜひ検査を受けたいと望むだろうと氏は言います。

 しかし、特効薬がなく陽性と出ても「隔離」されるだけとわかっていたら、あなたは好んで検査を受けたいとは思わないだろう。それは、治療薬がない状況での隔離はあなたの命を守るためのものではなく、(あなたの行動の自由を奪うことで)あなた以外の人の命を守るためのものでしかないことが判っているからだということです。

 さらに言えば、残念ながら、国民全員検査論者が頼りとするPCR検査の精度はあまり高くない。PCR検査が感染してしまっている人を非感染つまり陰性としてしまう確率は、(検査を受けるタイミングにもよるが)20%から30%にも上ると氏はこのレポートに記しています。

 新型コロナウイルスの感染拡大の動きがひと段落してきた現状を踏まえれば、確かに「この際白黒つけて、世の中から残りのウイルスを根絶したい」と考える人が出てくるのも無理からぬことかもしれません。

 しかし、冷静に考えれば、国民全員にPCR検査を義務付けて、その結果をもって白か黒かに色分けし、黒い人は(白くなるまで)隔離して白い人だけの国を作ろうというのも随分乱暴な話です。

 安全な立場にある人たちには、(本人の責によらず)たまたまリスクを背負ってしまった人たちの自由を奪い、社会から強制的に「排除」する権利があるというのか。

 そういう立場から現在の状況に危機感を募らせる一人として、5月26日の東洋経済オンラインに、同誌解説部コラムニストの大崎明子氏が「コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの」と題する論考を寄せいています。

 最近のメディアと読者、国家との関係には危ういものを感じる。具体的には、国に対してコロナ対策が緩すぎるとしてロックダウンを求めたり、PCR検査を国民全員に行って陽性者の「隔離」をせよと提案したり、国民を監視する海外の政策を推奨したりすることだと、大崎氏はこの論考で懸念を表しています。

 特に気になるのは、世論において、患者の治療のためにおこなっているはずのPCR検査がなぜか国民の一大テーマになってしまっていること。テレビのワイドショーでは、コメンテーターがコロナ危機を戦争に例えて「このままでは旧日本軍と同様に(世界に)負ける」などと叫んでいるが、こうした煽動こそ危険だと氏は指摘しています。

 これは、太平洋戦争前夜にマスコミが積極的に国民の不安と不満を醸成していった状況によく似ている。マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと、熱狂そのものが権威を持ちはじめ、不動のもののように人々を引っ張ってゆくということです。

 一部の経済学者たちは、既に国民全員を対象に新型コロナに感染しているかどうかのPCR検査を行って、「陽性であれば隔離・治療へ」「継続的な陰性は社会活動・経済活動へ」との提言を行っている。

 内容を読むと、そこには個人の意思や選択権などないか、あっても簡単に従わせることができるという傲慢な前提が置かれている。国家規模のGDP(国内総生産)の維持が重視され、国家経済のために「国家総動員法」と同じ発想で出している提案だと氏はこの論考で説明しています。

 「隔離」は私権制限の最たるものだと氏は言います。日本でも結核患者やハンセン病患者に対する国家の強制隔離が基本的人権を侵害してきたことは恥ずべき歴史の一部といえる。そうした歴史への配慮もない提案は、驚きとしか言いようがないというのが氏の見解です。

 新型コロナは未知のウイルスであり、その性質などは現在でも解明されているとはいいがたい。こうしたもどかしい状況下では、メディアの報道も勢い大げさなものになりがちだと氏はしています。

 しかし、だからこそ、メディアが新型コロナの脅威を報道すればするほど人々の不安や恐れも必要以上に拡大していくことになるというのが氏の認識です。

 そうした中で、人々は政府に対し「魔法の杖」のようにコロナの感染拡大を止めてくれる手段を望んでしまう。しかし、魔法の杖はなく、極端な解決策ほど大きな副作用や大きな落とし穴が待ち受けているというのが氏の指摘するところです。

 長く続く自粛生活の中で不満が募る人々を煽り、誰にでもわかりやすい単純な解決策を提示するのは至極簡単なことかもしれません。

 しかし、その大きな影響力を考えれば、マスメディアには人々に思慮深さと自制を呼びかける公共器としての責任があると考えるこの論考における大崎氏の主張を、私も重く受け止めたいと思います。



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