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♯764 教育国債を考える

2017年04月03日 | 社会・経済


 大学などの教育に対する財政支援に必要な財源を確保するため、与党自民党が「教育国債」の発行に関する議論を開始したとの報道がありました。

 現在、安倍晋三首相が意欲を示す憲法改正の項目に「教育無償化」を掲げることが浮上していることから、財政法第4条第1項の普通国債に「教育国債」というカテゴリーを新たに設けることで、そのための財源を確保しようというものです。

 少し詳しく話をすると、財政法第4条第1項は「国の歳出は原則として国債又は借入金以外の歳入をもって賄うこと」と規定しています。この条文は、国の財政規律を確保することを目的に、政府による無秩序な国債の発行を規制するために設けられているものです。

 しかし、その一方で財政法は、「ただし書き」により公共事業費や出資金及び貸付金の財源について、例外的に国債発行又は借入金により調達することを認めています。

 この「ただし書き」基づいて発行される国債は一般に「普通国債」と呼ばれ、(いわゆる「赤字国債」とは異なり)国会の議決を経た金額の範囲内で発行できるとされています。

 さて、安倍首相は1月の施政方針演説で、「誰もが希望すれば高校にも専修学校、大学にも進学できる環境を整えなければならない」と述べ、高等教育の無償化に強い意欲を示しました。

 この方針を受け、政府自民党では3月15日、教育無償化の財源論を議論するプロジェクトチーム(PT)を教育再生実行本部内に新設し、教育国債の実現性や教育無償化に必要な財源(の確保)などを議論し政府への提言をまとめることとしています。

 政府は、PTでの議論を踏まえ、6月に閣議決定する予定の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」への反映をめざす考えですが、一方で教育無償化には概ね5兆円にものぼる膨大な財源を確保する必要があり、その実現に向けたハードルは相当に高いものと言えるでしょう。

 また、教育国債に関しては、「親の世代が子どもに借金をまわすものだ。極めて慎重にやらないといけない」(麻生太郎財務相)といった意見も根強くあり、財務省も財政規律の確保の視点から慎重な考えを示しています。

 こうした状況を踏まえ、3月30日の日本経済新聞に掲載された経済コラム「大機小機」には、「教育国債の摩訶不思議」と題する興味深い論評が掲載されています。

 そもそも、国の財政は同世代の税金で賄うべきものだと、この記事は政府の方針に釘を刺しています。

 その例外として、将来世代も使う道路建設などの財源になる建設国債の発行が認められているが、それを(拡大解釈して)教育分野にも広げようというのはあまりに無節操に過ぎる。それは(言うなれば)、自分は親世代の税負担で教育を受けておきながら自分の負担は子供世代に先送りするのと同じことだというのが、教育国債の議論に対する(記事の)基本的な認識です。

 自分が昔受けた教育と自分の子供の分のダブルの負担をすることを、先送りされた子供世代は(果たして)納得するだろうか。結局、自分の子供の分も含めてダブルで次の世代に先送りするだろう。それでは借金は膨らむばかりで、どう考えてもおかしいと記事は指摘しています。

 同記事によれば、「21世紀の資本」で有名なフランスの経済学者トマ・ピケティ氏は、2011年4月に仏紙リベラシオンに寄稿した「日本―民間は金持ちで政府は借金まみれ」と題する論評において、日本の財政状況を「欧州から見ると、日本の現状は摩訶不思議で理解不能だ」と評しているということです。

 「債務残高がGDPの2年分に達するというのに、日本では誰も心配していないように見える」「どんな事情で、あるいはどんな政治決断によって借金がこれほどまで莫大になったのか。われわれは日本の政府債務を(中略)毎日目にしているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目をそらしてしまうのだろうか」といった指摘が、(素直な驚きとともに)そこには並んでいるということです。

 戦争もない平和な時代に、借金をここまで積み上げてきた日本の指導者たちと、それを(違和感なく)受け入れてきた国民感覚。少子高齢化が原因といってもそれは急に起こったわけではなく、時間は十分にあったのに(その間)ほとんど何の対策も取られなかったと、「大機小機」は厳しく指摘しています。

 今回の教育国債の議論に当たっては、自民党の会議でも「教育国債がいいなら農業国債もいいはずだ」といった様々な意見が出されたということです。それはある意味確かに正論で、「目的のためなら手段を選ぶ必要はないのか?」という疑問を内包した、極めて常識的な感覚と受け止められます。

 ピケティ氏は、際限なく負債を積み上げても気にならない日本の「政治決断」の無責任さを「理解不能」と評しています。

 そうした観点から、「教育国債」の議論を、小泉純一郎元総理が説いた「米百俵の精神」にももとる摩訶不思議な議論だと断じるこの記事の指摘を、私も重く受け止める必要があると感じた次第です。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-04-04 17:49:57
日経の消費税推進の記事に、なぜ消費税反対のピケティの名前が出てくるのでしょうか?2015年に日本に来日した時に経済成長で解決するべきと言っていましたよ。

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