MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2063 「こども家庭庁」ってどうよ?

2022年01月13日 | 社会・経済


 親が子を戒めることを認める民法上の「懲戒権」に関し、法務大臣の諮問機関である法制審議会の専門部会が、この規定を削除し体罰を禁止する規定を新たに設ける方向で検討を始めたと1月5日の時事通信が報じています。

 民法822条は、懲戒権について「親権を行う者は、監護および教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる」と定めています。それ自体は体罰を容認するものではありませんが、従前から「しつけ」と称して児童虐待を正当化することの「口実」に使われているとの指摘が出ていたのも事実です。

 新しい要綱案では、この規定を削除する代わりに、親の行動について「子の人格を尊重するとともに、子の年齢および発達の程度に配慮しなければならない」との規律を設けるということです。さらにその上で、虐待にもつながる「体罰その他の心身に有害な影響を及ぼす言動」の禁止を明記するとされています。

 折しも、政府は昨年12月、子ども政策の司令塔となる新組織「こども家庭庁」に関する基本方針を閣議決定したところです。名称は(与党内での非公式な議論をふまえて)当初案の「こども庁」から「こども家庭庁」に変更されており、「2023年度のできる限り早い時期」に創設するとしています。

 さて、そんな折、12月15日の自民党「こども・若者 輝く未来創造本部」の会議前、議員への根回しにおいて、この新組織の名付けについて紛糾したとの報道を耳にしました。この日の会議では、最終的に座長の加藤勝信前官房長官が「『こども家庭庁』でいかせてほしい」と声を上げ、(なんとか)同21日の閣議決定に至ったということです。

 「こども庁」と「こども家庭庁」…外野ともいうべき私にはその違いがよくわからなかったところ、1月6日のPRESIDENT ONLINEに、ノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)氏が「「こども家庭庁」は最悪なネーミング」と題する論考を寄せているのが目に留まりました。

 子ども政策の司令塔として2023年に新設予定の「こども庁」が、ここにきて急に「こども家庭庁」へと急遽名称が変更された。

 この議論の座長を務めた加藤勝信衆議院議員によれば、その理由は「子どもは家庭を基盤に成長する。家庭の子育てを支えることは子どもの健やかな成長を保障するのに不可欠」と判断したということ。しかし、それはあくまで建前で、実際は自民党内の伝統的家族観を重視する保守派に配慮したからだという報道もあると窪田氏はこの論考に綴っています。

 実際、当事者である子どもからすれば、この新名称は「最悪」の一言に尽きるというのがこの論考における窪田氏の見解です。それは、日本の子どもたちを100年以上前から苦しめ、時に命まで奪ってきた「子どもは親の所有物なので、第三者が勝手に引き離してはならぬ」という不文律が、これまで以上に強まってしまう恐れがあるからだと氏は言います。

 ユニセフ(国連児童基金)が調べたところ、日本の子どもの精神的幸福度(生活満足度、自殺率)は38カ国中37位(ユニセフ報告書「レポートカード16」)と最下層に沈んでいる。また、そんな国際比較に頼らなくとも、親に虐待され、時に殺される子どもたちが苦境に追い詰められている背景には、「子どもは親の所有物」という現実があることは明らかだというのが氏認識です。

 日本の児童虐待の相談件数は30年間右肩上がりで増え続け、2020年度にはついに20万件を突破。第9回児童虐待防止対策に関する関係府省庁連絡会議幹事会に提出された資料によれば、2003年から2016年まで、727人の子どもが虐待で命を奪われ、514人が「心中による虐待死」で亡くなっているということです。

 このような悲惨な事件を招いてきた日本に独特の人権感覚を象徴しているのが、「こども庁」に「家庭」の二文字をねじ込んだ人々の「親が幸せにならないと、子どもも幸せにならない」という主張だと、窪田氏はここで指摘しています。

 パッと見、正論のような印象を受けるかもしれないが、冷静に考えれば、これは子どもを「独立した1人の人間」ではなく、「親の付属品」だと捉えていることに他ならない。このロジックでいけば、親が不幸になったら、子どもも不幸にならなくてはいけないし、親が人生に絶望をして死を選ぶなら、子どもも後を追わないとといけなくなるということです。

 子ども行政を司る機関の名称に「家庭」の2文字が入るということは、この機関の法的根拠にも「子どもは家庭を基盤に成長する」という理念が明文化されるということだと氏は改めて指摘しています。

 公務員というのは基本的に、法令などの範囲でしか動けないので、こういう文言がある限り、どんなに子どもがつらい思いをしていても、児童相談所は「親権に遠慮」しなくてはいけない。つまりそれは、「パパ、ママいらん」と行政に泣きながら救いを求めながら、「家庭」という地獄へ送り返された(あの5歳女児のような)犠牲者がこれからも増えていくということでもあるというのが氏の指摘するところです。

 「子どもが家庭を基盤に成長をする」というのは当たり前の話で、「子どもは親と一緒にいることこそが幸せ」というのもよくわかると氏は言います。

 しかし、実際の世の中はそんな幸せな子どもばかりではない。たまたま戸籍上は親にはなったが、「親になってはいけなかった人」もまたたくさんいる。彼らはわが子を「モノ」のように扱って、自分の気分で手を上げる。さらに最悪なのは、自殺するのに道連れにするだろうということです。

 昨今話題になっている「親ガチャ」ではないが、このような「親になってはいけなかった人」のもとで生を受け、「家庭」という名の地獄で苦しむ子どもたちにこそ「こども行政」は必要なはずだと氏はこの論考の最後に記しています。

 親や家庭がしっかりしていない子どもは幸せにはなれないのか。幸せな家庭がなければ健全な子どもが育たないような世の中で本当に良いのか。…私個人としても、庇護する親や家庭がない子どもこそ、社会制度がきちんとケアをしなければならないのではないかと切に思います。

 (自分たちの力ではどうすることもできない)様々な境遇の下で生きる子どもたちの耳に、政治家が口にする「家庭における子育てを支援する」といった言葉は(果たして)どのように響くのか。

 役所の名称に「家庭」を強引にねじ込む…そういう日本の政治家の旧態依然とした人権感覚が、子ども「幸せになる権利」を今後も奪うことになる。(「たかが役所の名前」と思うかもしれないが)年間20万件の児童虐待相談件数と、「子どもの精神的幸福度38カ国中37位」という現実がそれを証明しているとこの論考を結ぶ窪田氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。



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