
モータースポーツの最高峰と呼ばれている自動車レースが、国際自動車連盟 (FIA) が主催するフォーミュラ1世界選手権(F1GP: Formula One World Championship) です。
実は、自動車レースの歴史は案外新しく、世界で初めてのグランプリレースがフランスで開催されたのは、第一次世界大戦の少し前の1906年のこと。1885年にドイツのゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツが、ガソリンを燃料とする内燃機関による自動車を世界で初めて実用化してから、おおよそ20年後のできごとです。
その後、車輌の重量や大きさ、エンジンの排気量などの規格(formula)が整理され、1920年代にはヨーロッパ各地でもカテゴリーごとに盛んに国際的なレースが行われるようになったということです。
第二次世界大戦により、こうしたグランプリは一時期中断を余儀なくされていました。しかし、終戦翌年の1946年には、早くも国際自動車連盟(FIA)が新たな規格を制定し、エンジン排気量「自然吸気式4,500cc、過給式1,500cc」を最高クラスの「フォーミュラ1(A)」として位置付けたことで、現在に続くF1グランプリの歴史が始まったとされています。
1950年にはポイント制が導入され、ヨーロッパを中心に世界各国を転戦しレース毎の順位の総計によって年間チャンピオンを決定するという、いわゆる「コンチネンタル・サーカス」が、イギリスのシルバーストン・サーキットで開幕されました。
第二次世界大戦後の自動車産業の飛躍的な発展とともに、F1グランプリには世界中の自動車メーカーやレースをスポンサードするグローバル企業から大量の資金が投入されるようになりました。以降、このレースはコマーシャリズムに乗って、世界の自動車ファンが注目する国際的なイベントとして、ヨーロッパや南米を中心に脚光を浴びることとなっていきます。
現在では、毎年、世界中の大富豪たちが訪れることでも有名なモナコグランプリをはじめとして、F1グランプリはまた、開催国などの有力者や文化人などのいわゆる「セレブレティ」が訪れる、単なるスポーツ観戦の枠を超えた社交の場としても意味づけられるようになっています。
それぞれのグランプリが開催されるサーキットに、「Paddock Club(パドック・クラブ)」と呼ばれる特別観戦エリアが設定されているのを御存知の方も多いでしょう。
このパドック・クラブというもの、通常はピットエリアに続くパドックエリアやピット上に、チームやレーススポンサーをはじめとする関係者(の多くは接待)のためのスペースとして確保されており、一部のコネクションのあるファン(例えばフェラーリのオーナーズクラブのメンバーやマスコミ関係者など)にも有料(GPにもよりますが、3日間通しで千数百ドルから数千ドルのようです)で開放されています。
F1グランプリ開催中のサーキットのパドック・クラブは厳重な入場制限が行われており、エリア内に入るには、名前入りの(場合によっては顔写真入りの)入場パスが必要です。パドック・クラブ内には一般観客と完全に隔たれた(冷房の利いた)観戦エリアおよび休憩エリアが設けられており、ラウンジや食事、シャンパンなどの飲み物などは基本的に無料です。
パス所有者にはおそろいのチームカラーのユニフォームが配られたり、レースの合間に設けられたピットウォーク・タイムには自由にピットエリアを歩いたりすることも可能です。レース前には契約ドライバーが(いわゆる「タニマチ」への)あいさつに訪れ、サインにも気軽に応じてくれます。
テレビなどではあまり紹介されませんが、実はF1開催期間のサーキットには、資本主義の原則に基づくあからさまなヒエラルキーがあります。観客は首からかけているパスの色ごとに、バックストレッチ付近の芝生席から各コーナーの観客席、メインスタンド、パドック、そしてガラス張りのVIPスイートなど、入ることのできるエリアが厳然と定められており、行く先々にパスチェックのためのゲートが設けられています。
入場門をくぐって最初にあるのは、バイクなどで全国から集まり、前の晩からテントで泊って首にタオルなどをかけている若者達のエリアです。そしてそれに続いて、レジャーシートなどを広げお弁当を食べながら観戦している地元のグループや家族連れのエリアが広がります。
その次に現れるのはスニーカーにスタジアムジャンパー姿のカジュアルな若いアベックなどのエリアであり、さらにその次にようやく姿を見せるのが、テレビの映像などでおなじみのメインスタンドなどチームカラーのブルゾンなどを着込んだいわゆるF1ファン(マニア)のエリアです。
そして最後のゲートからうやうやしく迎い入れられると、そこにはヘリコプターや高級車でサーキットの中まで乗り付けた、ハイヒールとドレス、ネクタイとジャケットという(それ以前のエリアとは違った)装いのセレブの世界が現れることになります。
政財界、特に自動車業界やファッション業界の有力者やマスコミ関係者、芸能人、モデルなどが集まり独特の雰囲気を醸しているこうしたエリアでは、入って見ればその多くは常連さん達でお互いに顔見知り。レース展開などはあまり気に留めず、「やあ、久しぶり」「今年のマクラーレンはどうだろうね」などといった挨拶もそこそこに、先週参加できなかったゴルフコンペの話題などで盛り上がっているのが普通です。
こうした場に居合わせて、日本の社会ではあまり顕在化してこない「階級(クラス)」というものが、(欧米に比べて露骨ではないにしても)実は厳然として存在していることを体感できる人は、実際そんなに多くはないのかもしれません。
F1グランプリは、(入場料収入というよりは)多くの富を生み出している自動車産業そのものに支えられた「興行」であることは間違いありません。自動車やタイヤ、オイルなどの売り上げを含めれば経済波及効果が数千億円にも及ぶとされるそこには、様々な企業の思惑と、利権、利害が渦巻いていることもまた現実です。
しかし、普通のファンも、そう卑屈になることはありません。ゲートのあちらがわの出来事は所詮ゲートの向こう側のこと。
見方を変えれば、この興行が所得格差とコマーシャリズムを体現した「資本主義の華」であればこそ、浮世離れした壮大なイベントとして、私たちも(貧富の違いを忘れ)心おきなく支払った入場料金以上に壮大なレースを楽しむことができるのですから…。
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