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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯267 ソウルの地下鉄に乗って

2014年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム


 所要があって、週末を使いソウル市内のあちこちを回ってきました。

 およそ1年ぶりの初冬のソウルは思ったよりも暖かく、明洞(ミョンドン)の繁華街も(主に中国からのツアー客と思われる)大勢の観光客で明るく賑わっていました。

 ソウル市内の移動はタクシーが便利です。需要に見合った台数のタクシーが幹線道路を走り回っていて道端で容易に捉まえることができるうえ、料金水準も日本の半額以下といった印象で、近距離での利用にも躊躇は不要です。

 市内の道路も一時ほどは渋滞していないようで、市域の適度な広さとも相まって、市内を移動する交通手段としては使い勝手がすこぶる良いと言えます。

 乗り込んできた乗客が(韓国語が全く通じない)日本人とわかっても、ドライバーは総じて愛想よく、自腹の携帯で電話をかけて目的地まで道順を確かめたりしてくれます。

 こちらからそれを持ち出さない限り、歴史認識や領土問題など国家間の外交上の軋轢もとりあえず関係ないものとして、ソウルの一般市民は大人の顔を見せてくれているようです。

 そんなわけで、ソウルで公共交通機関に乗る機会はあまりなかったのですが、そうした中でも、今回、金浦空港から市内まで久々に地下鉄を利用して、その際にいくつか思い出したことがあったので、ここで覚え書きしておきたいと思います。

 私が初めてソウルを訪れてから、気が付けば四半世紀以上の月日が経過しています。

 ソウルでは、1974年に韓国初の地下鉄として地下鉄1号線が完成した後、1980年には地下鉄2号線が開通しました。さらに1988年のソウルオリンピックの開催を背景に1985年には地下鉄3号線と地下鉄4号線(の一部)が一気に建設され、現在まで続く市内地下鉄網の基本的な骨格が形作られた、そういう時代の話です。

 この時代の韓国経済は、1985年のプラザ合意以降の①ドル安・ウォン安、②国際金利の低下、③一次産品や原油価格の低下のいわゆる「三低」の追い風の下、オリンピックの特需が相まって、1986年は12.2%、1987年は12.3%、1988年は11.7%という驚異的な成長率を記録していました。

 当時の韓国の物価は、旅行者の感覚的には日本の7~8分の1といったところだったでしょうか。日・韓でほとんど物価の差を感じない現状からみると、その後の20余年間における韓国のインフレには驚きを禁じえません。

 ソウル市内では、地下鉄ばかりでなく幹線道路や高速道路、大規模住宅団地などがそれこそラッシュのように建設されており、都市インフラの整備が急激に進んでいました。また、朝鮮戦争、南北対立、そして軍事政権の時代を経て国民の所得が一挙に上昇し、民主化の息吹とともに庶民の表情にも明るさが戻った高度成長の時代だったと言えます。

 (街の雰囲気的にも)日本で言えば1960年代を彷彿とさせるこの時代は、一方で、1980年の「光州事件」に始まり、大統領直接選挙制を求めた大規模な民主化運動である1987年の「六月抗争」に繋がる、社会運動や学生運動の時代としても知られています。

 ソウル市内にも書きなぐられた立て看板が随所に立ち並び、ヘルメットをかぶった大学生がビラを配りながらアジテーションを繰り返す姿を街頭のあちらこちらで見かけることができました。

 そんな中、開通から間もない当時の地下鉄路線は、市民の所得と比較してまだ料金が少しだけ高かったこともあってか現在ほどの利用者はなく、少しばかり暗く殺伐とした雰囲気があったようにも記憶しています。

 列車ひと編成に一人くらいの割合で、傷痍軍人のおじいさんや物乞いのおばあさんが乗り込んできて空き缶や紙コップを持って車両を回っていたり、ガムや靴下などの様々な雑貨を車内で(無許可で)販売する人たちが駅で乗り降りしながらひっきりなしにやってきたりしていました。

 当時、地下鉄に乗り込んで特に印象的だったのは、乗客に十代と思われる若い人や子供がとても多かったことです。日本ではすでに高齢化が始まっていたからかもしれませんが、1970年代にベビーブームを迎えた韓国がいかに「若い国」であるかを改めて感じることができました。

 若い男女にカップルは少なく、ほとんどが学生服などを着込んだ男女別々のグループでした。夫婦の多くは小さな子供たちを2人、3人と連れており、いずれもつつましい暮らしぶりが思い浮かべられる雰囲気です。

 夫婦の間では、(少なくとも当時の日本よりも)男性がずいぶん「威張って」いるように見えたことも強く印象に残っています。

 また、少しでも年長と思われる乗客が前に立つとどの若者も当たり前のように黙ってシートから立ち上がり、駅に着くたび次々と席を譲る様子は、(さすが儒教の教えが行き届いていると)日本の若者の態度を見慣れた目にはかなり新鮮に映りました。

 そして、もうひとつ。乗客の中には、短く刈り上げた頭に迷彩服を身につけた見るからに鍛えこまれた観のある厳しい表情の若い兵士が大勢いて、平和に慣れきった日本人たちは、この国が徴兵制をしきいまだ隣国と休戦状態にあることを驚きとともに思い知らされたところです。

 駅構内には毎日決まった時間にサイレンが響き渡り、北からの空襲や砲撃に備えた退避訓練が行われていました。また、プラットホームのそこここには救命用具やガスマスクなどが配置されており、(平和ボケした)私たち日本人には、そうした物々しさがある種の違和感として感じられたのも事実です。

 さて、今回、ソウルの地下鉄に乗って改めて感じたことは、言うまでもなく彼の国の社会も日本と同じように(場合によってはそれ以上に)、時代とともに急激な変化を体現してきたのだなという感慨です。

 車内放送は「韓国語」「英語」「中国語」「日本語」で次々と流されます。切符の購入や進行状況のデジタル表示も概ね4か国語で用意されており、初めて訪れた旅行者でもおそらく迷うことはないでしょう。

 車内は清潔で(中国の観光客以外に)大声で話す乗客もおらず、サラリーマンもスマホやタブレットのチェックなどに余念がありません。金髪でイケメンのボーイフレンドとミニスカートの女子学生のカップルは、おしゃべりに夢中で目の前におじいさんが立っているのにも気が付かない様子です。

 若者の貧困化が問題化している日本ですが、地下鉄で見る韓国の10代の様子は何とも豊かであどけなく、日本以上にリアルな生活感が感じられないような印象もありました。

 自分の国では見えないことが(日常生活の中では気が付かないことが)、鏡に映すように見えてくることがあります。

 ソウルの地下鉄の中、姿かたちばかりでなく東京に大変よく似た文化や人々の雰囲気に浸りながら、この四半世紀において日本と韓国の辿ってきた道のりと、社会の変化に、改めて思いを馳せたところです。



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