MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯908 お江戸日本橋と首都高速

2017年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム


 7月21日に国土交通省の石井啓一大臣と東京都の小池百合子知事が、それぞれ記者会見において首都高地下化の検討を本格的に始めると表明しました。国交省と東京都は今後、事業主体となる首都高速道路会社と共同で、日本橋周辺の街づくりと連携しながら検討を進めていくということです。

 11月1日には国道交通省、東京都、中央区、首都高速道路の幹部が出席する第1回の検討会が開かれ、2018年春までに対象区域や地下ルートの具体案を決めるというスケージュールが示されたところです。

 地下化の対象となるは、竹橋JTCから江戸橋JCT間の2.9kmのうち周辺で市街地再開発事業が進む中央区内の区間。2020年の東京五輪・パラリンピック閉幕後の着工を目指し、10年単位の事業期間と数千億円規模の事業費を見込んでいるということです。

 日本橋の首都高地下化構想は、10年以上前の2006年に小泉純一郎首相の私的諮問機関「日本橋川に空を取り戻す会」が具体案を盛り込んだ報告書を発表したほか、国土交通省でも2012年に地下化に言及した提言をまとめています。また。2016年には、国家戦略特区の都市再生プロジェクトに日本橋周辺の再開発が追加されています。

 こうして、これまで何回も浮かんでは消え、消えては浮かんできた日本橋上空の首都高速道路を撤去して地下に移設するという計画が、ここにきて急速に現実味を増してきました。

 確かに首都高速道路の橋脚が上空を覆う日本橋の景観は、決して褒められたものではありません。初めて日本橋を訪れた誰もが、その光景に(ちょっと)がっかりした気分を味わってきたことは否定できないでしょう。

 しかしその一方で、古き良き(本当の)東京を知る人たちの間にあるのは、こうした都心の首都高速道の地下化の動きを(もろ手を挙げて)歓迎する動きばかりではないようです。

 日本橋の老舗和菓子店「栄太楼総本舗」6代目の細田安兵衛氏(90)は9月11日のNIKKEI STYLE誌のインタビューに答え、(首都高速の地下化には)「工期も費用もものすごくかかる。本当に地下化が唯一無二の方法なのか」と疑問を投げかけています。

 小泉純一郎首相のもとで日本橋の高速地下化が浮上した際の試算では、竹橋からわずか3キロメートルを地下化するのに5000億円もの費用がかかるとされたということです。1センチメートルで実に170万円。今なら資材高などで、もっと必要になるかもしれない。工期だって恐らく20年はかかると細田氏は指摘しています。

 地下化が唯一無二の方法でないとすれば、どうしたらいいのか?…そうした質問に、「そりゃあ、不要論ですよ。壊しちまうのが一番いい。」と、細田氏はインタビューにあっさり答えています。

 氏は、実際のところ中央環状線が開通した現在では、日本橋あたりで乗り降りしている車は既にほとんど見かけないと言います。

 今後、「3環状」が完璧にできて、通行料を安くすれば、東名、中央、関越、東北、常磐道などを行き来する車は都心環状線を経由しなくなるのではないか。現実に車社会は過去のものとなり、今の若い人は免許すら取らなくなっている。せっかく地下に高速道路をつくっても、1時間に何台も通らないというような世の中になっているかもしれないということです。

 「パリでもロンドンでもローマでも、街のなかに高速道路をつくっていません。みんな郊外。高速道路は街と街をつなぐものです。」と細田氏は話しています。

 陸送で不足なら、水運を使えばいい…細田氏はそう提案しています。実際に、氏が小学生の頃までは日本橋周辺では水運が盛んで、江戸橋にかけて魚河岸があって(魚や海産物を荷揚げする)船板がたくさん出ていたほか、内陸部からもコメだの雑穀だのを盛んに倉庫に運び入れていたということです。

 氏は、今まで高速道路が果たしてきた社会的な役割はそれなりに評価し、きちっと認めないといけないとしています。その後の車社会の到来を考えたときに、「なかったら(確かに)大変だったろうな」と。

 しかし、時代が変わって、車社会でなくなって、景観とか環境とかが重要な時代になり、ちょうど高速道路の寿命も来た。つまり(日本橋上空の首都高速道路は)「役割を果たした」ということではないかというのが、この問題に対する細田氏の基本的な認識です。

 日本橋を跨ぐ高速道路の高架は確かに醜いと誰もが思っているでしょう。しかしだからと言って、(高いお金を払って)地下に埋めるばかりが方法というわけでもありません。

 東京が2020年のオリンピックを終えた時、いよいよ都市政策の原点に立ち返り、都心の景観や都市機能を大きな目で見つめなおしてみるタイミングが訪れるのではないかと、戦前から日本橋とともに生きてきた今年90歳となる細川氏へのインタビューを読んで、私も思いを新たにしたところです。




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