MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯248 日本型利益分配の歴史

2014年11月03日 | 社会・経済


 日本経済新聞社の「やさしい経済学」では、今年の6月下旬から7月上旬にかけて、慶応義塾大学教授で財政金融史が専門の井出英策(いで・えいさく)氏が、「負担と受益」と題する連載により、日本の利益分配システムの成り立ちと特徴について様々な論点から考察を行っています。

 日本の利益分配システムは、第二次大戦後一貫して、(均一給付を基調とした大陸型(北欧型)のシステムではなく)あくまで「受益者」を特定する「選別主義」を採用してきたと考えられています。

 実際、日本では、欧州のように一律に医療費を無料にしたり学費を無料にしたりということはせず、医療保障や年金、介護など社会保障のほとんどが受益者を特定して給付を行う制度設計になっています。また、公共投資や農業保障などにおいても、特定の地域や対象に対して手厚いインフラ整備や所得補償を行う内容になっています。

 それではなぜ、日本の財政では、「利益」が個別の階層や集団に分配される形を取っているのか。この疑問に対し、井出氏は、戦後の経済政策の歴史を追いながら興味深い解説を行っています。

 戦後、焦土と化した大都市の復興を支えた公共投資は、都市の復興がひと段落終えると、1960年代後半には、その規模を縮小することをせずにそのままの形で軸足を地方へと移していったと井出氏は指摘します。それは、農家の兼業先を作り、所得を補完することで農村におけるコミュニティーの解体を食い止めるためだったということです。

 一方、日本列島改造ブームなどに乗り、こうして徐々に地方に偏っていった利益分配は、次第に都市部住民の不満を産むことになりました。井出氏によれば、そこで採用されたのが「減税」という対策だったということです。

 当時、10%近い経済成長が潤沢な税収を産んでいました。政府はこのような増収の一部をサラリーマンを中心に還元することで、都市部の中間層を政治的に納得させていたと井出氏は考えています。そして、現金を得た中・低所得者層は、住宅取得や子供の教育、老後に備えるために貯蓄に励んだということです。

 普通であれば、福祉国家化のプロセスでは、税収が上がれば政府はこれに応じて福祉サービスを充実させていくのでしょう。しかし日本では、誰もが市場からサービスを購入できるように「現金」を国民に返していったというのが、この問題に対する井出氏の論点のポイントです。

 こうした「減税」による利益分配を可能にしていたのは、言うまでもなく経済成長による税収増ということになります。しかし、1970年代後半から始まったオイルショック以降の成長率の鈍化の中でも、政府は借金をしてまでも、自らを成長のエンジンとすべく様々な利益配分を続けた。井出氏によれば、こうして、都市と地方、中間層と低所得者層をつなぎ合わせる「日本型福祉」が定着したということです。

 井出氏はまた、社会保障が誰もが必要とするものであるだけに、政治家にとって争点となりにくかったことを指摘しています。与党の政治家たちは、中選挙区制のもと他の与党候補者との間で差別化を図る必要があった。このため、道路や鉄道、開発などの公共事業により、競い合うようにそれぞれの選挙区への利益の分配を進めていったことも指摘しています。

 井出氏によれば、減税で財政を抑制しつつ社会保障や教育を提供してきたため、日本においては全ての人を受給者とするような分配システムにはできなかったということです。こうして、個別利益を重視する日本の(特徴的な)財政制度が出来上がったと井出氏はしています。

 さて、政府はこのように戦後一貫して、高度成長期の利益配分を再現すべく、借金を重ねてまで中間層への減税や地方への公共投資を繰り返してきました。しかし、それによってもたらされた社会は一体どのようなものになったのでしょうか。

 企業は、終身雇用と年功賃金を通じて男性労働者の所得を保障しました。さらに減税が毎年のように行われたことで先進国最高水準の貯蓄率が生まれ、この資金が銀行を通じて設備投資に向かったことでさらなる経済成長が支えられたと井出氏は説明しています。

 氏はまた、企業の利潤は企業内福祉によっても従業員に分配され、医療や住宅などの様々なサービスが政府に代わって企業によって提供されたと指摘しています。さらに、成長と公共投資に支えられた男性労働者の賃金上昇は女性の就労の必要性を減少させ、女性が専業主婦として育児や保育、介護などの機能を担うことで、政府の機能はさらに代替されたということです。

 こうして、戦後日本の社会は財政政策と企業、家族、地域社会が有機的に結びつき、小さな政府、小さな社会保障を支えてきたというのが出井氏の見解です。しかし、1990年代に入るとこうした日本社会も大きな転換期を迎え、政府もこれまでのようには国民のニーズに応えられなくなってきた氏は指摘しています。

 90年代最大の変化は、企業が貯蓄超過に転じたことだと井出氏はしています。銀行から資金を借り入れて設備投資を進めてきた企業が、98年を境に貯蓄増加に転じた。その底流には、企業が金融市場の影響を強く受けるようになったことがあると氏は見ています。

 利益追求型の機関投資家が企業経営に影響力を持つようになり、国際的に統一された会計基準のもと、キャッシュフローを重視した経営に転換せざるを得なかった。資産価値が下がる中、株式売却損を処理して手元の現金を増やす必要に駆られたということです。

 そうした経営の中で次に求められるのは、従業員の給与削減ということになります。井出氏によれば、こうして98年を境に従業員の非正規雇用化が進み、若年層の失業率や離職率の上昇が始まった。そして、企業内福祉も激減し、日本型福祉国家の経済的基礎が大きく揺らいだということです。

 こうした変化の影響は家庭内にも及んでいる。97年には共働きの世帯数が専業主婦世帯数を上回り、小さな政府を支えてきた女性の家庭内労働力も期待できなくなった。また、それと歩調を合わせるように親戚や地域社会との結びつきも形骸化するようになり、職場の人間関係も希薄なものに変わってきたと井出氏は指摘しています。

 井出氏によれば、こうした社会の変化は財政へのニーズを一変させることになったということです。高齢化が進み、女性の就労が活発化する中、公共事業は(投資額に見合うような)雇用政策の解決策とはなり得ていない。さらに都市部では社会資本の整備が一巡し、公共事業へのニーズが減退しているという指摘です。

 人々の高齢化や女性の就労が進めば、地方における公共事業よりも、むしろ都市部における育児や保育、介護といった地域社会での対人社会サービスのニーズが高まることはもはや必然と言えるのかもしれません。

 氏の指摘するとおり、時代の転換期に生きる我々は、こうした状況を真摯に受け止める必要があるでしょう。

 従来どおりの日本型福祉国家ではこれからの国民のこれからのニーズに応えることが難しい。目前に迫っている超少子・高齢化社会、人口減少社会の到来をふまえ、利益配分のシステムそのものに手をつけていく必要があるのではないかとする氏の意見に、この際改めて耳を傾けていく必要があると改めて感じたところです。


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