MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2112 クリエイティビティとはかくも繊細なもの

2022年03月16日 | 社会・経済


 世帯の金融資産や貯蓄額は年々積みあがっているのに、それらが実際の消費に回らず経済全体が活性化しない…そうした状況が日常化しているという話をよく聞くようになりました。もちろんそこには、高齢化などによる生活の先行きに対する不安感や、賃金が思うように上がっていかないなどという日本固有の理由もあるのでしょうが、(いずれにしても)消費の低迷が成長のネックになっているのはどうやら紛れもない事実のようです。

 新型コロナによる経済活動への影響を和らげようと、政府は交付金など様々な形で市場を刺激してきましたが、期待の10万円の交付金や政権肝いりのGoTo政策も空振りに終わった観があります。オミクロン株が引き続き世界中で猛威を振るう中、欧米では民間需要が回復し、コロナ禍前を上回る成長を取り戻している国も増えています。しかし、一方の日本では、為替の長引く円安基調やエネルギー価格の高騰などを背景に過去最高の利益を上げている上場企業は多いものの、マーケット全体の「活況」には程遠い状況と言えるでしょう。

 なぜ、日本の消費者はモノを買わなくなったのか。なぜ、市井の人々は、お金を使うことにこれほどまでに消極的になったのか。富裕層の間では、都心のタワーマンションや高級外車、高級腕時計などの装飾品が人気だとの話も聞きますが、それも一部の人たちのこと。10万円をもらったからといって、一般の人々が高級品を買いあさったというような話はつとに聞きません。

 もちろんその背景には、「新しい生活様式」のもとで外出や外食ができないことや、身の回りのものにお金を使い必要がなくなったことなのがあるのでしょう。しかし、やはり基本にあるのは、「特にほしいものがない」「高額な料金を払ってまで受けたいサービスがない」という現在の状況があるような気がします。

 魅力や欲望は創造されるもの。スマートホンや宅配サービスなどに言及するまでもなく、プラスアルファのお金を出してでも欲しいのは(時には消費者自身が想像もしていなかった)市場のニーズを形にしたものだと言えるでしょう。人はそこに「価値」を見出し、新しいマーケットを生みだす。人間の持つ「創造性(クリエイティビティ)」とは、そうした新しい価値や市場を生み出す力だと言えるかもしれません。

 経済社会に新しい活路を開くこうした能力(の持つ特徴)に関し、2月後半の日本経済新聞のコラム「さやしい経済学」では、東京大学准教授の稲水伸行氏が「職場から考える創造性」と題する論考を連載しています。筆者によれば、米イリノイ大学のグレッグ・オールダム氏らは、クリエイティビティを「新規で有用な製品・実践・サービス・手順に関するアイディアを開発すること」と定義しているということです。

 クリエイティビティは、市場で利益を上げるためのイノベーション・プロセスの第一歩として、非常に重要な要素となる。組織のメンバーがクリエイティビティを発揮するには、もちろん個人特性としてのパーソナリティが必要で、そこに環境要因が加わるというのが筆者の指摘するところです。

 それではまず、クリエイティブな人のパーソナリティとはどのようなものなのか。カリフォルニア大学バークレー校のH・G・ゴフ教授は人の持つクリエイティビティを評価する基準として「関心の幅の広さ」「創意工夫に富んでいる」「ユーモアがある」「問題に対応する能力がある」「常識にとらわれない」などの項目を挙げていると筆者はこの論考に記しています。

 全部を満たすのはなかなか難しそうですが、(幸いなことに)このような人物でなければ職場でクリエイティビティを発揮できないというわけではない。マネジメント次第でその能力が高まったり(場合によっては発揮できなくなったり)することになるというのが、筆者の見解の興味深いところです。

 クリエイティビティの発揮には、(その人のパーソナリティばかりでなく)「内発的動機付け」が極めて重要になると、筆者はこの論考で指摘しています。「何事かに熱中して時のたつのも忘れた」という状況は、誰もが一度は経験しているはず。筆者によれば、こうした外形的には何の報酬もなくても、その行為から喜びや満足を引き出している状態を「内発的に動機づけられている」と呼ぶのだそうです。

 筆者はここで、ハーバード大学のテレサ・アマビール教授が行った実験を紹介しています。(小欄ではその詳細の紹介は省きますが)実験の結果は、何事かに熱中している人は、そこに(例えば「高い報酬を出す」といったような)「金銭的なインセンティブ」を与えるだけで、クリエイティビティが低下してしまうことが示されたというもの。たとえ、行為そのものが面白いと内発的に動機づけられていたものでも、一旦報酬をもらえるとなると「そのために行う作業」になってしまう。つまり、「内発的動機付け」が「外発的な動機付け」に変わってしまったことで、創造性が阻害されてしまうという状況が生まれるということです。

 筆者によれば、これは「過剰正当化仮設」と呼ばれ、一定の評価を得ている仮説とのこと。つまり、安易に評価や報酬を与えクリエイティビティを上げようというのは危険な考え方で、マネジメント的には問題が多い手法だということのようです。社長がいくら札束でほっぺたを叩いても、従業員の創造性は上がらない。オフィスの環境や人間関係、働き方などを改善し、何より仕事を面白いと感じられる環境を整えなければ、イノベーションは進まないということでしょうか。

 いずれにしても、クリエイティビティとはかくも繊細なもの。規則や時間に縛られたギスギスした環境からは、平凡なアイディアしか生まれないということなのだろうなと、記事の指摘から私も改めて感じたところです。


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