
最近よくメディアなどで耳にする(しかし、ある意味耳慣れない)言葉に、「ドローン」というものがあります。Weblioが運営する「新語・時事用語辞典」によれば、「ドローン(英:Drone)」とは、遠隔操作やコンピュータの制御などによって無人での飛行が可能な航空機の総称ということです。
ひと口に「ドローン」と言ってもその規模(大きさ)や用途は様々で、軍事用に用いられるような全長10メートルを超えるジェットエンジンを備えた大型機から、空撮や農薬の空中散布などに用いられる中型~小型のヘリコプター型のもの、さらには(最近話題に上ることの多い)ラジコン飛行機のような玩具のカテゴリーに属するものなどがあるようです。
コンピュータによる制御技術の発達により、特に小型ドローンの運用の安定性や安全性はここ数年で飛躍的に向上しています。また、素材や技術の革新により、価格が安く高性能なドローンが、街中の量販店やネット販売で簡単に手に入る世の中となりました。
さて、私達の頭上に広がる空中の自由度が、地上や海上などとは比較にならないほど高いことは言うまでもありません。そこを、カメラやGPSの眼を持って、(まるで鳥のように)自由に移動することができるドローンは、限りない可能性を秘めたある意味「夢の技術」と言えるかもしれません。
しかし、高性能化によりその可能性が広がれば広がるほど、テロへの利用や墜落の危険性などを踏まえ、実社会においてこの技術が一定のルールのもとに運用させることが求められるのも、また仕方のないことでしょう。
特に最近は、電動で飛行するラジコンタイプの小型の機体の落下事故の頻発や、4月に首相官邸の屋上に小型のドローンが落下していた事件などを受け、国内でもドローンの飛行規制に向け関係機関の調整が進んでいるということです。
ドローンという新しい技術をめぐるこうした状況を踏まえ、5月19日のYahoo Japanでは、メディアプロデューサーの柳内啓司氏が、『ドローンはいつの間に「嫌われ者」になったのか?』と題する興味深い論評を行っています。
本来「テクノロジー界のエース」であるはずのドローンのイメージが、心ない利用者の悪用によって悪化の一途をたどっている。しかし、ドローン自体はあくまでテクノロジーであり、それ自体が良い・悪いという議論は意味をなさないことをもう一度思い出してほしいと、氏はこの論評で指摘しています。
ドローンが、運送分野や映像分野でこれまでにない利便性や楽しみを提供してくれる可能性を秘めた、「期待の新星」であることは間違いありません。そのドローンに対し、管理目線で一方的に「危ない」と決め付け行き過ぎた規制をかけてしまっては、せっかくの若い芽を摘んでしまうことに繋がるのではないかと、氏は昨今のドローン規制の動きに懸念を示しています。
確かに、ここの所のメディアによる報道の仕方を見ると、ドローンをまるで空から人々を襲うための、テロリストが使う危険な技術のように扱っているものが少なくありません。
しかし、ドローンには、現在考えられているだけでも、例えば
① 災害時の捜索活動や救助活動への活用
② 自然界での調査活動やジャーナリズムへの活用
③ Amazonで開発が進められているような商品の流通分野への活用
④ 空中を使った広告展開
など、「空の産業革命」と言われるほどの限りない可能性があると考えられています。
ドローンの未来には、これまでに私たちが経験したことのない世界が広がっている。こうした未来を現実のものとするためには、安直に「危険だから規制!」と叫ぶのではなく、”テクノロジー界 期待の新星”であるドローンが心置きなく活躍できるようなルール作りを前向きに検討していく必要があると、柳内氏は訴えています。
確かに、メディアにとって、新しい技術を(とりあえず)ネガティブに受け止め非難することは容易いことでしょう。思えば、「ドローン」という名称自体、日本人のイメージから言うと何とも得体のしれない(どろっとした)「悪者風の印象」を醸し出しているのかもしれません。
新しい技術というものは、いつの時代も社会の中で認知されるまでに、それなりの時間がかかるものです。技術の進化にユーザーである人間の方が追いついていかない状況も、今少しすれば変わるはず。ドローンの持つ可能性を考えれば、発展途上の技術として一定程度温かく見守る余裕も社会の側に必要なのかもしれません。
悪質ユーザーを憎んで、ドローンを憎まず。政府は航空法を改正して、ドローンの当面の運用方針を固めるとしていますが、その際には、是非この「新星」の才能の芽を摘むようなことのないルール策定を期待したいとする氏の論評を読んで、私もこうした革新的な技術への向き合い方についての思いを新たにしたところです。
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