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はじまり~畠山重忠ゆかりの地(4)

2022-03-28 | 旅行
おはようございます。
畠山重忠公ゆかりの地めぐり、埼玉県・深谷市編の後編です。
どうぞ、おつきあいくださいませ。



昨日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、「亀の前事件」。
今後の波乱を予想させる、「後妻打ち(ウワナリウチ)」でしたね~

重忠公は「見た目が大事」なお役目を拝命していました。
中川大志さんが演じているので当然ですが、
ドラマの中でも、イケメン武将であることが立証されたわけですw

そうそう・・・昨日も、何かと小四郎(小栗旬)を助けていた、
三浦義村(山本耕史)は、重忠公の従兄弟にあたります。
重忠公の母は、義村の祖父(義明)の娘でした。



では、深谷編の後編、「武蔵武士の鑑」重忠公ゆかりの地を歩きます。

前記事、重忠公の誕生の地であり、墓がある
「畠山重忠公史跡公園」から、ちょこっと移動しました。
(車で3分ほどw)



まずは、真言宗の満福寺。
寿永年間に重忠公が再興、
畠山家の菩提寺とし、お位牌が収められているのだとか。




このお寺の隣が、「井椋神社(イグラジンジャ)」↓です。
神仏分離以前の江戸時代までは、
満福寺が、この神社の別当寺でした。



神社の由来は・・・

もともと、秩父氏の一族だった重忠公の家は、
畠山の荘園の「庄司(荘園領主)」となったことから、
父の代に「畠山」と名乗り、本拠となる館を、こちらに移しました。

その際、祖父・重綱が秩父の椋神社から勧請(分社)し、
建立されたのだとか。



秩父は、一族の本流・秩父氏の拠点です。

父祖の地を離れ、新しい土地へ移り、
名を改めることに対し、神様へ許しを請い、
変わらぬ守護を祈ったのでしょう。

重忠公が生まれる前の、お話です。



神社の裏手に、荒川が流れています。

重忠公も難儀なさった川です。
郎党の家を訪ねた帰り、豪雨に遭い、川を渡れずに困っていると・・・
ウグイスが鳴いて、川の浅瀬を教えてくれたのだとか。



以来、このあたりは「鶯の瀬」と呼ばれているそうです。

さすがは重忠様、鶯も味方してくれるのでございます♫




・・・ということで、
「畠山重忠公ゆかりの地めぐり・深谷編」も終了です。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を、きっかけに、
明治生まれの亡き祖母が、畠山重忠の昔語りを思いだし(→過去記事
重忠公のゆかりの地めぐりを始めています。

重忠公が非業の死を遂げる、横浜市内のゆかりの地も
既に歩きました。
いずれ、そちらについても、まとめるつもりです。

「鎌倉殿の13人」で中川大志さん演じる重忠公が
ドラマの中で、どう、描かれるかも楽しみにしています。




次回の予告、第13回「幼なじみの絆」に、木曽義仲(青木崇高)が登場、
傍らには染めちゃんこと、市川染五郎丈がっ!
いよいよ清水冠者・源義高さまが登場ですっ!

今から泣けます・・・

拙ブログでも、義高さま終焉の地についても、急いでまとめなくては・・・
どうぞ、またお立ち寄り下さいませ。


本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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📖参考
各地の案内板をもとに、以下を参照して記事をまとめました。
埼玉県立嵐山史跡の博物館『菅谷館の主 畠山重忠』
(嵐山史跡の博物館ガイドブック1)

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