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鎌倉さんぽ~英勝寺

2021-10-16 | おでかけ
おはようございます。

鎌倉さんぽ、まだ続きまして・・・
本日は英勝寺について
どうぞ、おつきあいくださいませ。

英勝寺は、鎌倉では比較的大きなお寺かもしれません。
手入れの行き届いた境内で、季節の花に心和まされ、
歴史に想いを馳せてまいりました♫


(この季節は、どこのお寺でも、シュウメイギクを見かけます)


まずは、入り口脇の洒落た西洋風の鉄の門(↓)に、うっとり・・・♫

葵のご紋と、桔梗紋のミックスです。
家紋のミックスって、珍しいでしょう?

・・・この理由は、開基の英勝院尼にありました。
徳川家康公の側室だった女性です。




英勝院、俗名・お勝(1578/天正6-1642/寛永19)。

高校生の頃の愛読書「人物日本の女性史」(集英社)に登場し、
強烈に印象が残った、「徳川の夫人たち」の一人です。

彼女は、年若くして、40歳近く年齢差のある家康公に愛され・・・
関ヶ原の合戦にも伴われています。

その勝利後、家康公から賜った名前が「勝」・・・
以後、家康公の出陣の度に、供をするお勝の姿があったとか・・・




実は、・・・

関ヶ原以前、家康公は側室の彼女を、若い家臣と娶せたていました。

ところが、新妻は、新しい夫を拒み続け・・・
これを聞いた家康公は、結局、彼女を取り戻したのでした。

・・・って、すごいよね、と、当時高校生の私は思いました。
若造よりも、天下人・・・を選んだってことですもんね。

これしか覚えていなかったところが、10代の私の限界w
週刊誌的な興味しか持てませんでした。




今回、英勝寺に参り、仰天。

お勝は、太田道灌公の子孫(5代孫)だったのです!
ひゃひゃひゃ~~~っ!

もちろん、「人物日本の女性史」にも、ちゃんと詳しく書いてありました!
(↑帰宅後、早速チェックした!)



それによると・・・

徳川家康公は、江戸の街造りに着手し、
同時に関東で名門とされる家々の子孫を探し、取り立てていきます。

その中に、太田道灌の末裔がいたのです。

太田道灌と言えば、最初に江戸城を築いた名将です。
父方は太田道灌の血筋で、母は、北条氏康(後北条家三代目)の養女・・・!
(後北条<小田原北条>家びいきのアタクシ、もう卒倒しそう・・・w)

このとき、兄とともに家康公に拝謁した妹が、
後の「お勝」英勝院でした。


(山門)


で・・・先に触れましたように、この妹「お勝」は
家康の寵愛を深く受けて過ごします。

やがて、お勝が、たった一人の姫君(市姫)を4歳で亡くすと、
家康公は、悲しみに暮れる彼女のため、
11男にあたる水戸頼房を養子としました。

水戸頼房は、御三家・水戸藩25万石の藩主にして藩祖です。
とはいえ、まだ8歳の少年、
養母・お勝の愛情をいっぱいに受けて成長しました。


(山門の扁額は後水尾天皇宸筆 )


1616(元和2)年、家康公が逝去、お勝は出家し、英勝院と改めました。
それから20年後、英勝院は先祖を供養するために寺を開きます。

これが英勝寺。

寺の敷地は、太田道灌ゆかりの、扇ガ谷の地、
水戸頼房公の娘にして、黄門様こと水戸光圀公の姉君が尼として入山・・・
以来、現在も鎌倉唯一の尼寺なのだとか。




英勝寺創建後、英勝院は65歳で逝去します。
その後も、重厚な伽藍だけでなく、
花畑や菜園、樹木園まで整えられ、水戸家の御寺と称せられました。

これも水戸家の力だけではなかったようです。
英勝院の生前、三代将軍・徳川家光公が何くれとなく、
英勝院へ心配っていたのだとか・・・

徳川家光といえば、背後には、強い強い乳母殿・春日局がいらっしゃいます。

その春日局の嫉妬が、お勝に嫉妬することもなく
家光が心配りをできた・・・
春日局と英勝院は同年配・・・通じるものがあったのかもしれません。



女性で言うなら、英勝院の養子・水戸頼房の生母・お万の方も、
家康公の命令とは言え、お勝に、よく息子を預けてくれたものです。
側室同士、ライバルと目されてもよいはずなのに・・・

少なくとも、英勝院は、同性から嫌われることは
なかったということでしょうか。


(わかりにくいですが、画面中程に横須賀線が走っています。)


そういえば・・・最晩年の家康公は、年若い側室を持ったものの
大阪の夏の陣には、お勝を供にしています。
若い側室よりも、中年のお勝と居る方が、心地よかったのかもしれません。

同性からも嫌われず、権力者に愛された、お勝という女性は
心配りのできる、穏やかな人柄だったのでしょうか・・・

令和の御代、英勝寺は、鎌倉唯一の尼寺として、
広い境内に、まっすぐな竹藪ややぐらを持つ、風情あるお寺でした。
いにしえの女性、英勝院のお人柄もかくやと、偲ばれました。




本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

なお、本記事や過去記事に登場する「やぐら」は、
鎌倉に、よく見られる、中世のお堂です。
こちらについては、またいずれあらためてアップしたいと存じます。

どうぞ、またお立ち寄り下さいませ。


◆参考
「拝観のしおり」東光山 英勝寺
安西篤子「英勝院」『徳川家の夫人たち』「人物日本の女性史」8 集英社

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