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京都五社巡り

2018年01月05日 | 日本文化



 京都五社巡り



 京都は、方角を司る「四神」が守護する土地として造営されたため、四神相応といわれる。

 北の玄武が上賀茂神社、東の青龍が八坂神社、西の白虎が松尾大社、南の朱雀が城南宮、そして中央に鎮座する平安神宮

 京の都を守るこの5つの神社を巡拝して御朱印を集めることを「京都五社巡り」といいます。



 八坂神社



 平安時代以前の656(斉明天皇2)年の創建と伝えられている神社。





 祇園精舎の守護神とされる牛頭天王を祭神とし、祇園神社、祇園社などと呼ばれていましたが、明治の神仏分離によって八坂神社と改められました。

 現在の祭神は、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)。


      


 四条通と東大路に面しているこの楼門は表門ではなく、南楼門が表門となります。

 京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる京都三大祭の一つ「祇園祭」は八坂神社の例祭。





 863(貞観5)年から疫病の流行が続き、869(貞観11)年に当時の国の数「66」の矛を立て、八坂神社から神泉苑へと行列したことが祇園祭の始まりと伝えられます。

 本殿の下には「龍穴」と呼ばれる井戸があり、神泉苑に通じているといわれています。


      



 平安神宮



 平安神宮は平安遷都1100年を記念して、1895(明治28)年に遷都の親神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。





 当時、京都の衰退ぶりは目を覆うものがありました。

 幕末の戦乱で市街地は荒廃し、明治維新によって事実上首都が東京へ遷ったことは人々の心に大きな打撃を与えました。

 そんな悲惨な状況下で京都を救ったのは、京都復興に対する市民の情熱と全国の人々の京都に対する思い入れでした。





 数々の復興事業を展開し、教育、文化、産業、生活などすべての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。

 これらの熱意と一連の町おこし事業が見事に結実して、平安神宮が創建されました。





 社殿は、平安京の中心施設である朝堂院を約8分の5に縮小して復元されています。

 平安神宮は、千年以上も栄え続けた雅やかな京都や、京都復興にかけた多くの人々の遺志を後世に伝えるために、四海平安の祈りを込めて創建されたのです。






 上賀茂神社



 秦氏の才女の玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきました。





 持ち帰り、軒に挿しておいたところ、懐妊して男子を産みました。その子が三歳の時、父は雷と知り、天に昇って別雷(わけいかずち)となりました。

 この神を祀ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社といいます。





 神社は京都でも最も古い神社の一つで、雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めました。

 平安時代初期から400年にわたって、伊勢神宮の斎宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきた歴史もあります。

      



 松尾大社(まつのおたいしゃ)



 松尾大社は大宝元年(701)に建立された社で、酒づくりの神様として有名。





 境内に足を入れると目を引く山のように積まれた酒樽は、各地の酒造業者が奉納したもの。亀の井とよばれる湧き水を元水に加え酒を醸造すれば腐らないという言い伝えがあります。

 4月下旬には楼門から本殿の間の一ノ井川沿いなど境内一円に3,000本もの山吹が咲き誇り、ライトアップも行われます。





 また、それぞれ趣の違った庭が集まる「松風苑」があります。

 これらの庭園で用いられた200余個の石はすべて徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)で、1970年に着工、1975年5月に完成しました。







 城南宮



 794(延暦13)年の平安京遷都に際し、都の安泰と国の守護を願い、国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀り、城南大神と崇めたことが城南宮の創建。





 城南宮とは、平安城の南に鎮まるお宮の意味。

 平安時代後期、白河上皇や鳥羽上皇によって、城南宮を取り囲むように城南離宮が造営されて院政の拠点となると、城南宮は離宮の鎮守として一層崇められました。





 2k㎡にも及ぶ離宮は政治・文化の中心となり、歌会や雅やかな宴や船遊びも行われ、王朝文化が花開きました。


 城南離宮の御殿は、熊野詣の精進所や方違(かたたがえ)の宿所にも充てられ、上皇や貴族は方位の災厄から無事であるよう祈願されました。





 このように、城南宮の方除の御神威は平安時代の昔より顕われています。

 江戸時代には「大日本不易太大神宮」と尊称され、城南祭では、3基の神輿が氏子区域を巡行、周囲の村々に住む人の一番の楽しみになっていました。





 また、明治維新を決定づけた鳥羽伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まりました。

 そのため、旧幕府軍に勝利した薩摩の軍勢は「城南宮の御加護によって勝利を得られた」と御礼参りに訪れたといいます。





 こうして1200年の歴史を重ねてきた城南宮は「方除の大社」と仰がれ、全国の人々から、日々の暮らしの守り神と、篤く尊崇されています。
 



 編集後記



 観光名所以外の京都の街の色々な表情を見れたり、京都という街の大きさを体感することができるので、レンタサイクルでの巡礼もオススメです。

 なお、休憩なしだと2時間半で回ることができました。

 ちなみに、平安神宮~上賀茂神社は鴨川の河川敷を走るので心地良いけど、上賀茂神社~松尾大社は坂道が続くのでちょっとキツイです。。

 
   
   
    五社めぐり四神色紙(1000円)、ご朱印(各300円)



【記事引用】「京都:祇園八坂神社」「平安神宮」「方除けの大社 城南宮

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