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尾崎豊と石川啄木 ー奇妙な共通点ー

2019年04月27日 | 尾崎豊



 尾崎豊と石川啄木



 尾崎豊と石川啄木には、多くの共通点があることが知られています。
 
 父親の健一さんの影響で、小学校の頃に短歌も詠んでいた尾崎。彼は、啄木の生まれ変わりなんでしょうか。
  
 二人の共通点について探っていきます――。



 自由を求める歌


  
 「不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸われし 十五の心」(石川啄木)

  学校を抜け出し、不来方城跡の草むらに寝転んで空を見ていると、将来への野望、不安、焦燥が渦巻く十五歳の魂が澄み切った空に吸われていき、様々な葛藤が清められるようだ。


 
 「誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜」(尾崎豊)
 
 学校の頭髪検査で「髪が長い」という理由でバリカンで滅茶苦茶に切られ、それに反発して家出した仲間たちと自由を求めて夜の帳を彷徨った。



 高校を中退


 
 尾崎は、無期停学からの復学を巡る先生との争いから人間不信になり、青山学院高等部を自主退学。
  
 啄木も、勉強そっちのけで文学に傾倒し始め、授業をサボるようになり、5年生の時に盛岡中学校 (当時の高校) を中退。
 

 

 釧路との縁


  
 “十代の教祖”と呼ばれた尾崎は、十代最後のライブを釧路市民文化会館で行っています。
 
 啄木は、釧路で最も多くの作品を書き上げ、「釧路時代こそが彼の文芸才能を一気に広げた時代」といわれています。
 


 
 小説家としての顔


 
 尾崎は「普通の愛」「黄昏ゆく街で」などの小説を発表。啄木も、「雲は天才である」「漂泊」など数多くの小説を遺しています。
 
 


 妻と別居して創作活動


  
 尾崎は、「仕事に没頭できる家がほしい」と渋谷区松涛にマンションを借りて妻の繁美さんと別居していたことがあります。
 
 啄木は、「自由な環境が無くなると小説が書けない」と小樽の自宅に頑なに戻りませんでした。
  
 


 母親を亡くした後に他界


 
 尾崎は1991年12月29日に母親を亡くし、翌年4月25日に逝去。啄木は1912(明治45)年3月7日に肺病で母親を亡くし、同年4月13日に亡くなっています。
 

 

 享年が同じ


  
 尾崎も啄木も、26歳の若さで他界しています。しかも、同じ4月に亡くなっています。
  


 
 終焉の地が同じ文京区


 
 尾崎は文京区にある病院で死去。啄木も、文京区にあった自宅で亡くなっています。また、二人とも肺に起因する死因(肺水腫と肺結核)でした。
 




 編集後記



 尾崎豊と石川啄木の奇妙な共通点については、啄木の出身地である岩手県でもテレビ番組が制作されたり、講演会などが開催されています。

 生まれ変わりかどうかは本人にしかわかりませんが、もしそうだったとしたら面白いですね。


【記事参照】「啄木歌集カラーアルバム


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