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「さっぽろ雪まつり」再考

2012年02月16日 | 北海道



 さっぽろ雪まつり



 「さっぽろ雪まつり」は、毎年2月初めに札幌市内の3つの会場で開催される雪の祭典。


              


 大小の雪像や氷像の展示を中心にしたもので、国内外から200万人もの観光客が訪れる北海道で最も大規模なイベント。

 明日から開幕する「さっぽろ雪まつり」の歴史を簡単に振り返ってみます――。



 雪まつりの歴史



 1950年に、札幌観光協会と札幌市の主催によって第1回が開催されました。

 展示された雪像の数は、地元の中学生と高校生が、雪捨て場であった大通り7丁目広場に作製したわずか6基だけでした。


                


 しかし、雪合戦、雪像展、カーニバル等を合わせて開催したこともあり、5万人余りの人出で予想以上の大人気となり、以後、札幌の冬の行事として定着していくことになります。

 当初、雪像の高さは7mが限度でしたが、1953年に高さ15mの大雪像・昇天が初めて作製されました。


         


 雪の塊を石材のように積んだアーチ状の建築物に立像を建てたもので、大量の雪が必要だったため、札幌市はトラックとブルドーザーを動員して準備にあたりました。

 これは、現在のような機械力を用いた大規模な雪像づくりの端緒となりました。


         



 日本の雪まつりへ



 1954年の第5回から市民制作の雪像、1955年の第6回には自衛隊、商社、札幌市の出張所の雪像が加わり、様々な参加者による多数の像が並ぶスタイルが定着します。

 しかし、高等学校の雪像制作は、3年生にとって受験や就職活動との両立が困難になってきたことから、第6回で打ち切られます。


         


 第10回開催の1959年には、雪像制作に2500人を動員。初めてTVや新聞でも紹介され、翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。

 こうして、「札幌の雪まつり」から、「日本の雪まつり」へと発展していきました。


         
                

 1965年、第2会場として真駒内会場を正式に設置。1972年には冬季オリンピックが札幌で開催され、「ようこそ札幌へ」のテーマで雪まつりは世界に知られるようになります。


         



 試練の雪まつり



 1974年は、オイルショックで試練の雪まつりとなりました。

 雪運び用のトラックのガソリンが手に入らず、雪像の中にドラム缶を入れるなどして乗り切った。この年から国際雪像コンクールもスタート。


               


 1974年以後、瀋陽、アルバータ州、ミュンヘン、シドニー、ポートランドなど札幌と繋がりの深い外国地域の雪像が制作され、国際色あふれるイベントとして発展しました。


         



 すすきの会場登場



 その後、第34回開催の1983年から、3番目の会場として「すすきの会場」が登場し、ネオンに輝く氷像が評判を呼び、雪まつりの新たな一面を開拓しました。


         


 また、1984年から会期を2日間延長して7日間とするなど、世界中の多くの人々に愛される雪まつりへと成長を遂げていきました。

              
         



 編集後記



 札幌の雪まつりが日本を代表するイベントになり、世界的にも有名になっていく道程は凄い。

 ちなみに、釧路にも「さっぽろ雪まつり」に似た冬のイベントが開催されています。その名も「釧路氷まつり」。

 さっぽろ雪まつりに比べると規模は小さいけど、小さい頃に親に連れてってもらってヒーローの雪像や氷の滑り台で滑った楽しい思い出があります――。



【記事引用】「さっぽろ雪まつり」「さっぽろ雪まつり資料館」「Wikipedia
【画像引用】「札幌観光行政」「さっぽろ雪まつり大通り会場」 etc..

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