はと@杭州便り

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重男軽女

2010-04-11 23:03:38 | 中国人相方&親戚
ユキには福州に、もう一組従姉妹がいる。
相方の従兄の娘、ジンちゃんと、スーちゃんである。

日本では従姉妹といえば、親の兄弟姉妹の子供のことしか指さないのだが、
中国では親の従兄弟、または従姉妹の子供のことも指す上、呼ぶときは互いに「お兄さん」「お姉さん」と呼び合うので、本当の兄弟姉妹のように聞こえる。

相方には一人だけ父方の従兄がいて、姓が同じということもあって親近感が強いらしく、
小さい頃から兄弟のように育ってきて、名前の一字も共有していた。
その従兄が突然の交通事故で、30代なかばの若さで亡くなったのは、ちょうど2年前。
後には従兄の奥さんと、まだ11歳のジンちゃん、3歳のスーちゃんが残され、相方も折にふれて電話をしたりして気にかけているのだが。

どうやらこの従兄の奥さん(中国式に言えば私の義姉)は、従兄の生前から、舅姑とあまりうまくいっていなかったらしい。
中国では子供が生まれると、どちらかの祖父母が同居して面倒を見るのが普通なのだが、
義姉は中国では珍しく、従兄の生前は働きに出ず、自分で子供を育ててきた。
従兄は自営業で小さな店を経営していたのだが、その店を手伝わずに子育てに専念する義姉は親戚の中でもあまり評判が良くなかったらしい。

夫が突然亡くなった後、義姉は「今まで店のことを手伝ってこなかった人が店を続けるのはとてもムリだから、店をたたんでは」という親戚の勧めを聞かず、自分が店を続けると言い張ったらしい。
折り合いの悪かった舅姑を福州に呼び寄せて子供たちを預け、「女老板」(店主)として慣れない商売に苦戦しながらも、頑張って店を切り盛りしている。
それでも部外者の私から見れば、親戚の中での彼女の評価には理解できない部分がたくさんある。

従兄の賠償金はすべて親である舅姑、そして2人の娘に分配され(娘の分は舅姑に管理されている)、義姉には一元も渡らなかったこと。
まだ一周忌も明けないうちから、舅姑から「もし再婚するなら婿養子にして家に入ってくれる人しか認めない。そうでなければ娘2人を置いて出て行くように。」と言い渡されたこと。
…そして、何かにつけ、「あの人は●家の人間じゃないから。」と親戚が話しているのも、よく聞く。

中国の法律では夫婦別姓で、結婚しても姓は変わらないのだが、
それは何も女性の権利やフェミニズム云々でそうなっているのではなく、伝統的に女性は婚家でもよそ者扱いなのである。
都会では多少違うのかもしれないが、義姉を見ていると田舎では女性の立場はまだまだ弱く、封建的な考えが根強いのだということを思い知らされる気がする。
さらに義姉への風あたりが強いのは、男の子を生んでいないことも関係があるのかもしれない。
所詮私は部外者の上、ガイジンなので傍観するしかないのだが。

ジンちゃんは今年秋から中学に上がるのだが、父親を失って以来成績があまり良くないらしい。
いつも側にいてくれた母親が働きに出て、かわりにおじいちゃん、おばあちゃんが来ても急になじめるはずもないし、そういうことも影響したのだろう。
祖父母ではどうしても孫に対して甘くなってしまって、これから思春期を迎えるジンちゃんを監督できない、と思ったのか、
今年秋から、ジンちゃんを一人で紹興市内の親戚(父方)の家に預けることになったと聞いて、びっくりした。
「その親戚の家には彼女より一歳下の男の子もいるし、一緒に勉強したら良い。」
「おばさんも実の娘のように可愛がってくれるはずだから、心配ない。」と言われても、
まだ13歳のジンちゃんが一人で、列車で片道6時間もかかる紹興へ、母親とも妹とも離れて「国内留学」する必要が本当にあるのだろうか。
紹興で中学に行ったら、おそらくこのまま高校、大学も福州へ戻る可能性はほとんどないだろう。
もしかしたら祖父母が「この子は●家の子だから、本籍地である紹興へ帰ったほうがいい。」と言い出したのかもしれない。

相方に一言、
「お義姉さんは同意してるの?」と聞いてみると、「同意してるよ」と言うのだが
結局子供に関することは舅姑に逆らえなかったのではないかと思うと、割り切れない思いが残る。

たまに日本の人から「中国は日本より男女平等でしょ」みたいなことを言われることもあるが、
農村ではまだまだ日本以上に封建的だなぁと思うことも結構あるのだった…。

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