「高知県・牧野植物園に!」牧野富太郎って知っていますか、知っている人は植物の通です。
家には植物の台紙に貼られた標本が沢山ありました。戦争で亡くなった長兄が採取して作られたもので、どうらんもあり本格的なものでした。
理科の中学校の先生でした。
図鑑もけっこうそろえられていて、顕微鏡用のプレートも何箱も作られて、顕微鏡も、もちろん出征と共に我が家に持ち込まれていました。
御蔭で、私の夏の課題は中学卒業まで植物標本作りや蝶の鱗粉標本、鱗粉の違いなどをまとめて提出したものでした。
いつも新聞紙の間に植物を採取してきて、毎日新聞かえをしていた小学校時代が懐かしいのです。
興味は植物から蝶に変わり、また植物に変わりました。高校時代は生物部に入っていました。
牧野富太郎植物図鑑の大冊をも求めたりしました。
教員生活最後の年、高知に出張させてもらい、行くつもりの室戸岬行きは台風が来て行けず、高知市内の見学になりました。
坂本龍馬関係の施設も見学しましたが、更に行く所はと検討すると「牧野植物園」があることが分かり、それではと行くことにしました。
道路は細くバスがようやく通れそうな道を進んでいたのが思い出されます。
北海道からわざわざ牧野植物園に行く人は珍しい事でしょうが、私の心の自慢(支え)になっています。