走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

自分の最期を考える

2019年12月14日 | 仕事

製薬会社の人と話をしていて、横道にそれた話題。

その方のお母様が亡くなられた。悪性の脳腫瘍と診断されてから13ヶ月後の事だったという。彼は言う。辛くて長い13ヶ月だったと。なんでもお母様はもともとMAiDに興味を持っていた方。MAiDは医療者による自殺幇助。カナダは合法化され、この道を選んだ方は少なくありません。

悪性の脳腫瘍と診断された時、手術をするかMAiDを選ぶか迷った末に手術を選んだ。術後のお母様はまるで別人で意思の疎通も出来なくなった。そうなってからは自己の意思決定ができないのでMAiDの対象にはならず、その方を始め家族はこの方法を選んだのは正しかったのか、と疑問視していた。なのでお母様がなくなった今、その苦痛から解放されてホッとしたとも言う。しかし後悔は残っているそうだ。

私は看護師のキャリアを脳神経外科から始めたし緩和ケアは長く専門にしていたので、この方が話していらっしゃる事はよーくわかります。

1つだけ言えるのは、迷った末でもその決定を下したのがお母様なのであれば、全てがお母様の意思で、家族としてサポートしてきたのだから、結果として辛い思いをしても正しい選択だった、という事。

「決定を下したのがお母様なのであれば」と書きました。個人の意思決定は個人のものですが家族が介入したり影響を与える事もあります。例えばお母様はMAiDを選んだが子供たちが泣き叫び生きて欲しいと懇願する間に母親の決意が変わる、とか。これはよく起こる事です。良い方向へ行った時は良いですが、悪い方向へ行った時には、その後悔は測りきれないものでしょう。
また自分で決められないからあなたが決めてちょうだい、なんて人がいるのも事実です(MAiDはこれでは施行できませんが他の意思決定は動く場合もあります)。だから周りに影響されず、自分の意思で医療をどうしたいか決める事は残された家族の負担を減らす事にもなります。

このような事から、人生の最後をどう過ごしたいか?考えるチャンスは大切です。人間は生まれて来たからには必ず死にますからね。避けられる事ではありません。そして決めた事は家族に伝えておきましょう。そうする事で最期に家族間で意見が割れしたりする事がありませんから、これもまた一つ、家族の負担を減らす事になるのです。

昔と違い医療が発展したおかげで選択肢は増えました。医者任せや息子に決めてもらえるほど決定事項がシンプルな時代ではありません。家族のために自分の最期を考えてみませんか?





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